第8話 昭和49年、燃えよドラゴン
「なあ、『燃えよドラゴン』って見たか?」
昼休みの教室。
弁当をかきこみながら、級友の近藤が声をひそめるように言った。
「まだだけど……見たいよな、あれ」
高校一年の夏。
クラスでは、ブルース・リーの名前が合言葉のように飛び交っていた。
テレビでも雑誌でも、彼の話題は止まらない。
「アチョーッ!」という叫び声、ヌンチャク、回し蹴り。
とにかく、すべてが新しかった。
土曜日の午後。
誠一とは級友と3人で制服のまま映画館に直行した。
商店街の裏手にある古びた映画館。
ポスターの中のブルース・リーは怒りの表情で拳を振りかざしていた。
館内はすでに満席だ。
学生、会社員、時折はチンピラ風の兄ちゃんたちも混ざっている。
床にはポップコーンの破片とコーラの染み。
そして、始まった。
怒涛のアクション。
島での大会、鋭い突き、鋼のような背筋、
そして、何よりヌンチャク。
ブルース・リーの振るヌンチャクに観客席からはどよめきが起きた。
「おい、アレ……コマ落としだろ」
「そうに決まってんじゃん、あんな速さあるかっての」
隣で近藤が興奮した声を漏らす。
誠一も思わず笑った。
でも、心の奥ではこう思っていた。
コマ落としじゃない。あれは本物だ。
なぜなら、自分は未来から来た人間だから。
ブルース・リーの伝説と短い生涯を知っている。
スクリーンの中の彼の動きは時が過ぎても全く色あせていない。
カメラワーク、編集、間の取り方。
アクション映画のテンポとしても完成度は高い。
16歳の誠一は、ただただ圧倒された。
そして、未来から来た誠一にとってもやはり凄い。
映画が終わり、外に出ると、夕焼けが街を赤く染めていた。
制服のシャツが少し汗ばんでいる。
自販機の前で、3人は缶ジュースを買って一息ついた。
「……ヌンチャク欲しいよな」
「あんなもの、何処で売っているのかな」
馬鹿話をしながら笑っている仲間たちの顔が、夕焼けに染まっていた。
何も知らず、何も失っておらず、ただワクワクしているだけの表情。
誠一は、この一日を忘れたくないと思った。
あれから何十年経っても「あの日、映画館でブルース・リーを見た」という記憶だけは鮮明に脳裏に残っている。
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