第一章 私が選んだ婚約破棄④

    ***


 奴隷解放法案の件は、いくつかの名家が鉱山の採掘に名乗りをあげたこともあり、また有力貴族からの大きな反発もなく、軋轢を生まずに進めていけそうだ。パトリシアの差し出した書類を見た皇帝の瞳はやさしく、「素晴らしい」とだけ繰り返す。あんではあるがしんを重ね、法案推進の許可も下りた。あとはアレックス名義で進められれば角が立たないのだが……。

 アレックスはあの日以来、宮殿の外に出ていないようだ。噂ではミーアのために隣国アヴァロンのみならず遠国からも商人を大勢呼び寄せ、夜な夜な商談しているらしい。流行りのドレスに世界に一つしかない宝石、星のようにきらめくアクセサリー。贅を尽くした宝物をミーアに与えるアレックスを想像して表情をくもらせていると、小さい咳払いが聞こえてきた。

「ふふっ。うわの空のようね?」

「──し、失礼いたしました、皇后陛下」

 慌ててスカートをつまんであいさつすると、椅子に腰掛けた皇后はやさしく微笑ほほえんだ。

「いいのよ。あなたの気持ちはわかっていますわ。さあ、座って」

 皇宮にある建物の中でも、格別華やかなユリ宮。その主である皇后は美しく、げんあるまなしをパトリシアへと向けた。

 ここは皇后の住まいにあるユリの花園。四方を取り囲むように咲くユリの中心に白いガゼボがあり、柱や天井はもちろん、テーブルや椅子に至るまでユリの花が描かれている。パトリシアは、この宮の主にふさわしいその場所に招待されたのにも拘わらず、このようなしつたいを犯すなんてと自分自身を戒めつつ、改めて居住まいを正した。

「申し訳ございません。少し呆けておりました」

「あら、私とのお茶会はつまらないかしら?」

「そのようなことはございません!」

 しゆくしていると、皇后の隣に座っていたクライヴが「母上、パティをいじめないでください」と助け舟を出してくれた。皇后は、はいはいと答えつつ、その赤く染まる唇でティーカップに触れた。クライヴは言葉を続ける。

「奴隷解放法案の件、父上に聞いたよ。うまくいきそうだね」

「……お耳が早いのですね」

(わずか二、三日で伝わるなんて……)

 驚くパトリシアの前に、クライヴはユリを模したクッキーを置いた。

「父上から相談されたんだ。僕の案で申し訳ないけど、いくつか助言もさせてもらった。……大丈夫。きっとうまくいくよ」

 アレックスの名で進めることになる予定の法案を、本人よりも先にクライヴが知ったようだ。クライヴにれつとうかんを抱いているアレックスが知ったら荒れるに違いない。パトリシアは嫌な予感を抱きつつ、紅茶を口にする。

 皇后はやさしい母の表情から一変、くんしゆたる強い瞳でパトリシアをいた。

「それよりも、私がパトリシアを呼んだのはあの奴隷の娘のことよ」

 いつか聞かれるだろうとは思っていた。けれど、クライヴが一緒にいるタイミングだとは。

「あなたが望むのなら、あの奴隷は今すぐにでもめさせられるわ。どうする?」

 その場に緊張が流れる。今この瞬間も、パトリシアは試されているのだ。次期皇后のしんを。だからこそつとめて冷静に、震えそうになる手を必死に隠して日常の会話のように応対する。

「皇后陛下のおこころづかいに感謝申し上げます。ただ……お気遣いは無用でございます」

「……いいのかしら? アレックスをられてしまうかもしれませんのに」

「私の立場が彼女に脅かされることはございません」

 どれほど愛を注がれようとも、ミーアが皇太子妃になることは未来永劫ありえない。愛人や側室ならいざ知らず、爵位を持たぬ者には資格がない。皇帝の即位前に儀礼を整えて嫡妻である皇太子妃となり、長く皇帝の傍に仕えた女性だけが皇后として立てられる……というのがこの国の習わしだ。

「私は己のやるべきことをいたします。──この国のために」

 アレックスから婚約指輪を授かったその瞬間から、自分はただこの国のためにありたいと願ってきた。ミーアという存在がアレックスの心を占めようとも、その信念が変わることはない。

 パトリシアの返答に、皇后は満足げに頷きつつもどこかうつろなをした。

「あなたにも、胸に秘める想いがおありのようね」

 皇后は横を向いて、遠くに咲くユリの花を見つめた。咲きこぼれるその花になにを思ったのか、皇后は手に持っていたティーカップをゆっくりとテーブルに置いた。

「アレックスが生まれた時、私はしつでおかしくなってしまいそうだった。どうして皇后の私より、そくしつの女が先にと」

「……」

「恥ずかしい話、アレックスを皇位につけてなるものか、とやつになった時期があったわ。クライヴをにんしんした時、よろこびと同時に恐怖も感じた。この場所は、子どもが生きていくには、あまりにもこくなところだと知っていたから」

 アレックス、クライヴ共に幼少期から何度も暗殺未遂にっていた。きゆうていや賢者でも特定することが難しい、未知の物質が複数混入した複雑な毒が見つかったこともある。

「なによりも守るべきは我が子だと、そう思ったらあとはどうでもよくなったの。なのに、この子ったら思ったより優秀で……」

 早まったかしら、なんて口にする皇后に、クライヴと共になんともいえない顔で返す。こればかりは私的な場とはいえ口にするのははばかられる。

「アレックスが皇位をぐには、まだ多くの困難があるわ。……あなたが未だに皇太子妃になれないように、ね」

「……そう、ですね」

 皇太子妃として必要なレッスンは全て終わり、年齢的にもなんら問題はない。だが、パトリシアは未だ皇太子の婚約者なのである。

 原因はわかっているのだが、解決にはいたっていない。

「私の力不足のせいです」

「決してあなたのせいではないと、はっきりと言っておきます。いいですね? これはアレックスの問題です。……こんなことなら、私が逃げずにクライヴを皇太子に……なんてね」

「そ、れは……」

「母上、パティを困らせないでください」

「まあ! クライヴったら、可愛くないこと。アカデミーに通ってから生意気にはくしやがかかっているわ」

 年齢よりもうんと若く見える皇后は、ぷりぷりと怒りつつ紅茶のおかわりを侍女に命じている。そんな彼女のすきをついてクライヴを横目で見ると、軽くウインクを飛ばしてきた。どうやらうまく話を逸らしてくれそうだ。

「そういえば、アルバゼインではいかがお過ごしですか? アカデミーの方は」

「楽しいと言えば、楽しいかな。友人もいるし」

 友人か……。とパトリシアはテーブルに置かれたクッキーを瞳に映した。幼いころから皇太子妃になるための勉強や試験で忙しく、社交界に出てからもそのきんべんさがあだになったかもしれない。ここローレラン帝国では勉強をする女性はほとんどおらず、必要最低限の教養だけ身に付ける者が多い。同世代の女性とは話が合わず、気付いたら遠巻きにされていた。

 未来の皇太子妃と親しくなりたいがためにやってくる取り巻きの令嬢たちはいたが、彼女たちが友人かと問われれば疑問符がつく。ねなく同じ時を共有できる誰かがいてくれたらと、パトリシアは少しだけさみしく感じた。

「……うらやましいです。とても」

「パティもアカデミーにかよえるといいんだけど……」

 無理な話かもしれないが、クライヴもそれをわかって言ってくれている。そのやさしさがわかるからこそ、パトリシアはゆっくりと頷いた。

「ええ、いつか……」

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