プロローグ 災い

「この国はめつへと向かっております。その原因を取り除かねばなりません」


 きらびやかなシャンデリアに照らされた会場では、着飾った人々が楽しげに談笑していた。ある者は恋人とダンスを踊り、ある者は友と語らい、食べ切れぬほどの料理に舌鼓を打つ。磨き上げられたグラスに注がれた最上級のワインに、新鮮でみずみずしいフルーツたち。壁に飾られた美しい絵画を尻目に、人々はこの国の未来について口にする。

 皆が思い思いに宴の席を楽しんでいる中、そうごんな音楽を奏でる演奏者たちの演奏をき分けて、天使のように美しい聖女はそう口にした。


「各地で広がり続けるれいたちの不満の声は、とどまることなく大きくなるでしょう」


 今日はこの大広間にて、ローレラン帝国の皇帝、のちにパトリシアのになる人の生誕祭が行われている。はくの城。この国の誰もがうらやむ美しく気高いその場所で、隣国アヴァロンの聖女は声高らかに予言した。

「それらはやがてわざわいとなり、この国を破滅させるでしょう」

 ビンッ、とみみざわりな不協和音を立てて、演奏者たちの指が止まった。広間にいる全ての人が不気味な沈黙に息をみつつ、魅惑的な聖女へと視線を向けた。

「災いを取り除かねばなりません」

 聖女は透けるような白い腕を上げ、桃色の爪先を向けた。

 ──パトリシアに向かって。


「──え?」


 聖女はすいのような美しい瞳をパトリシアに向けると、赤く色付くくちびるを三日月にゆがめた。

「災いはあそこにいます」

 会場の全ての視線が自分へと向けられて、パトリシアは一歩後ずさる。

 ──災いとはなんのことだ。

「パティ、落ち着いて」

「……っ、クライヴ、さま?」

 クライヴ・エフ・ローレラン。

 現皇后の息子であり、パトリシアが皇太子妃になった暁には、義理の弟になる人だ。

 この国の皇子である彼は、黒い仮面からのぞく目元をやさしく細めた。

「ゆっくり息をして。飲まれちゃダメだ」

 彼が肩に手を置いた瞬間、パトリシアは初めておのれの呼吸が荒くなっていることに気付いた。視線を下に向けると、手が小刻みに震えている。

 呆然としているパトリシアに追い討ちをかけるように、またしても声が響く。

「父上、お聞きになったでしょう!? やはりパトリシアを皇太子妃にするのはやめたほうがいいと神がのたまっているのです!」

 そう声高々に告げたのはこの国の皇太子であり、パトリシアの婚約者アレックスだった。彼は公の場に別の女性を伴い、人々の前に姿を現した。

 そして──。


「私は今ここでパトリシアとの婚約を破棄し、ミーアと結婚することをちかいます!」


「アレックス様!」

 アレックスの隣で頬を赤らめている女性は名前をミーアという。奴隷という身分でありながら皇太子付きの侍女となった、アレックスの恋人。

 パトリシアは皇帝の生誕祭のために特注したドレスを身にまとっていた。

 深い青色の夜空をほう彿ふつとさせる生地に、天の川のようにちりばめられた胸元の宝石。上半身はタイトに、リボンでペプラムを結ぶようにデザインされたそのドレスは、「ドレス大臣」の異名を取る仕立て職人シャルモンの弟子がパトリシアをイメージして作ってくれたものだ。

 それなのに、それとほぼ同じドレスをミーアも着ているのだ。

「アレックス様の愛があれば、私はいつまでもみじめでかわいそうな奴隷じゃないんです」

 あしらいや色は異なるが、シルエットの特徴や仕立て具合からデザインを盗まれたことは一目瞭然だ。

「それにこの指輪、見てください!」

「──っ、それ!」

「お二人の婚約指輪と同じものを用意してもらったんです! れいでしょう?」

 うっとりと頬を赤らめるミーアの指には、パトリシアがずっと大切にしてきた婚約指輪と同じものが着けられていた。婚約が決まった幼き日より何度もサイズを直して着け続けてきた、アレックスとおそろいである唯一のもの。

「だって、お願いしたのに、パトリシア様がくださらないから!」

 指輪のアーム部分はえんつなぐという意味を込めて、ひねり腕になっており、トップには聖なる石と呼ばれるラピスラズリがあしらわれている。二人の縁が永遠に続きますように、という意味を込めたそれを彼女は嬉しそうに左手の薬指に着けているのだ。

「パトリシア様が持っているものは、ぜーんぶ私がもらいます! かわいそうな私を無視したあなたが悪いんですよ」

 そういたずらに笑うミーアと彼女の肩を抱くアレックスを呆然と見つめるパトリシアののうに、ありし日の光景がよぎる。


 あの大きな木の下で指輪をもらった日。子どもながらに指輪の意味を知っていた二人は、頰を赤らめて照れくさそうに笑い合った。

『約束だ! 一緒に大人になって、この国の未来のために頑張ろう。隣にパトリシアがいてくれるなら、私も頑張れるから』

『──はい』

 なぜだかあの時、パトリシアはとても恥ずかしくて、顔を伏せたまま消え入りそうな声でそう答えた。


 あの時のことを胸に今日まで努力してきたのに……。そう思っていたのは自分だけだった。涙がひとすじ、パトリシアの頰を伝う。

「…………アレックス様は、私のことを少しも見ていてはくださらなかったのですね」

「見ていたさ。私を馬鹿にし、ミーアを邪険に扱う君の非道な姿を」

「アレックス様から聞きました! アレックス様が始めたホウアン? ……を自分のものにしたって。そんなのひどすぎます!」

 ああ、本当なのだなと理解した。あれは、ただただ彼のためにしたことだったのに。

 アレックスが始めた奴隷解放法案を進めたのは、パトリシアだった。皇帝や多くの貴族たち。交渉は難しいだろうと思っていた宰相にまで了承を得て、これから法案を押し進めていくはずだったのだ。それがアレックスの願いであったから。

 ただ、彼の力になりたいと思ってやったことが、まさかこんな結果を生むなんて誰が想像できただろうか。


(…………私は全てを奪われてしまった)


 彼の隣で、彼と手を取り合い、この国の未来のためにと努力してきた過去の努力は、一番見ていてほしい人に認めてもらえなかった。


よくのためだけに地位を手に入れようとした君を、私は許さない。パトリシア、君は皇太子妃にふさわしくない!」


 アレックスの言葉が深くパトリシアの胸に突き刺さったその瞬間、彼のために過ごした日々がそうとうのようによみがえった。ただひたすら、寝る間もしんで勉強をしていた毎日。楽しそうに遊ぶ同年代の子どもたちをうらやましいと思いながら、彼との未来のためにしてきたこと。それが彼のたった一言で、砂で作った城のようにもろくも崩れ落ちた。

「──」


 喩えるなら、ぷちっ。


 伸ばした糸を切るように。張り詰めた紙に穴を開けるように。

 ぷつんと大きな音が一つ、己の中で鳴った気がした。


 その瞬間は不思議な感覚だった。目を開けているのに視界が一瞬で真っ暗になり、まばたきを何度かするうちにだんだんと視界がクリアになっていく。

 そのかんわずか数秒。それだけの時間でパトリシアは大きな決断を下した。

「わかりました。では、皇太子殿下、参りましょう」

「──パトリシア、なにを!?」

 アレックスの手をつかんで、にぎわう人々を掻き分けて進んでいく。

 この時の気持ちは、きっと一生忘れることはないだろう。なんて晴れやかな気分なのだろうか。心はずっと穏やかで、けれどよろこびにあふれている。不安や恐怖は消え去った。

 パトリシアは目的の場にたどり着くと、困惑するアレックスから手を離し、顔を上げた。驚いた表情の皇帝や皇后、そして父を見ながら、声高らかに宣言した。


「──私、パトリシア・ヴァン・フレンティアは、皇太子殿下の婚約者の座を退しりぞきます。皇太子妃には──なりません」

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