第3話 休日の来客とは悪魔の別名である。

 店の定休日の朝食後、紅茶を飲みながら師匠が発した『薬の材料の調達に行くから付き合いなさい』という命の下、いつもの仕事を倍速で終わらせ、腐海の中から発掘した釣竿を手に城の近郊にある湖で糸を垂らしてから約二時間。


 目の前でまたもやピクリと動いた浮きが、次の瞬間グンッと沈んだ手応えに合わせて竿を引く。パシャリと水飛沫をあげて釣り上げられたのは、なかなかに形の良いフェロンだった。ほっそりとした薄水色の魚で、淡白な味で癖がない分どう調理しても美味しい。


 上機嫌でフェロンを針から外してナキタの蔓に通し、再びエサをつけ直して湖へと投げ込んだ。波紋を作る湖面に映り込む空は文句なしの快晴。優しく吹く風の心地良さに目を細めていると、隣で寝転んでいた師匠の口から「暇だわー……」という呟きが漏れた。


 休日だから服装のやる気は普段の半分以下。それでもふんわりとした形の袖をした仕立ての良いシャツとスラックスを着た姿は、どこかの王族か、上級貴族の子息といった風な品がある。


「だったら師匠も竿を持ってみたら良いんですよ。言い出した張本人のクセに一回も竿に触れてすらないじゃないですか。二本発掘した私の苦労を返して下さいよ」


「だからそれがあんたの仕事でしょ。あたしは虫を触るのも力仕事も嫌なの」


「でも今晩のおかずはその虫を食べた魚ですよ? まあ私的には全然気になりませんし、久々の釣りがそれなりの戦果で大満足ですけど」


「暢気で良いわねー。あたしはさっさと本命のダロイオを釣り上げて帰りたいのよ。あれの目玉と肝にしか用がないんだから。それに虫で釣り上げても調理する時にははらわたを取るでしょうが」


 端整な顔をした師匠の唇から腸という単語が飛び出すのは面白い。普段師匠が接客をしているところを見る機会はないけれど、恐らくお客に対してもこうなのだろう。卑屈に取り繕うのは師匠に似合わない。と言うよりも想像出来ない。


「釣りは運ですよ師匠。それに私としてはダロイオの方が虫より気持ち悪いです」


 師匠のお目当てのダロイオは魚の魔物の中ではかなり上位の気持ち悪さだ。溶解毒を含んだ水鉄砲は多少危ないものの、大きな個体でなければそれほど威力はない。でっぷりと肥った見目と全身紫色の斑模様でブルンブルンの触り心地は不快の一言に尽きる。


 ちなみに食用にはならない。使えるのは肝と目玉にある半透明のグニグニした部分だけ。それだってたぶん師匠みたいな美容狂しか使わないと思う。しかし工房に並んでいる綺麗な瓶に詰められたダロイオパックは、原材料を知らないお貴族様達に絶大な人気を誇っている。気の毒に。


「大体ねー、そんなにフェロンばっかり何にしろってのよ」


「蒸しても焼いても揚げても干しても美味しいじゃないですか」


「今日その調理法を全部やるのとか絶対に嫌だから。せめて二つに絞りなさい」


「え~……じゃあ揚げと蒸し……いや、焼きも捨てがたい」


「ならフェロンの揚げ団子スープ、それと野菜と蒸し焼きにしてあげるわよ」


「最高の献立ですね! 俄然やる気が出てきましたよ!」


「ふふ、本当現金な子ね。ま、何でも良いわ。さっさと釣り上げて頂戴。あたしは暇だから昼寝でもして待ってるわー……」


 そんなやり取りの後、すぐに寝息を立て始めた師匠の隣で私が見事ダロイオを釣り上げたのは、それからさらに二時間後のことだった。


 十五匹釣れたフェロンを通したナキタの蔓に、背負い籠から溢れそうなダロイオを一匹という大荷物を抱えた私と、釣竿二本と昼食を包んでいた布だけを持った師匠が城に戻ったのだけれど――。


「あー……やっぱ駄目ね。アリア、夕飯の支度の前にちょっと店の方を見てくるわ。どこかの馬鹿が朝からずっと呼び鈴を鳴らしてるっぽいのよ」


「え、朝からってもう四時ですし、第一今日は定休日ですよ?」


 面倒そうに前髪をかき上げる仕草まで美しい師匠相手であっても、突っ込むことは大切だ。いくら相手側に非があろうとも朝から気付いていて放置していたとは。次からお客の評判が下がってしまう。


 私の声に含まれた非難の色に気付いたらしい師匠は、気怠そうな溜息をつきつつ「あんたが知ってる奴にいるでしょ。定休日だろうがお構いなしで、諦めの悪い奴が」と言った。その言葉で思わず「ああ……」と納得してしまった私も大概ではある。でも今も工房の呼び鈴を鳴らしているらしい人物というのは、要はそういう困った人なのだ。


 それどころか若干同情の念まで湧く。自然界におわす現象に因んだ精霊王の名前から取った一週間の暦は七日。アルマルミルポーラザキアシスルイクタテクスと分けられている。他にもまだ一人ガルツと言う精霊王もいるけれど、一週間の中には入っていない。そしてその中で師匠の店の定休日は金と土と風の日だ。


 一週間に四日しか開いていない店は、それでもこれだけ美形で腕も良い魔術師が店主をしているとあって、それなりに繁盛している。城にいる間は放っておけば腐海を生み出す怠惰な師匠ではあるものの、実質営業日も定休日も魔術の研究をしているから多忙なのだ。


「分かったら先に応接室の準備をしておいて。出来れば店内で話を終わらせたいとこだけど、どうせ面倒事を持ち込んでくるだろうからこっちに来ることになると思うわ。でもま、相手はあいつだから。適当に荷物を部屋の端に寄せて隙間を作るだけで充分よ」


「そういうことなら分かりました。雪かき用のスコップで部屋の床を見える状態にしておきます」


「良い子ね。あたしも出来る限りとっとと話を切り上げて夕飯の支度をするわ」


 そんな言葉と共に頷き合った私と師匠は、これからやって来る嵐を前に気を引き締めた。

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