21
インターフォンが鳴ったとき、時市は、やっぱり知っているのだな、と思った。あの男は、時市が腹を刺されたことも、ひばりがこの部屋に住みついたことも、そして彼女が今日出て行ったことも、知っているのだろう。
力なく腰掛けていたソファから立ち上がり、玄関に向かう。ドアを開けると、いつものように黒づくめの男が立っている。
なにもかも、知っているんでしょう。
言えなかった。なんのことだ、と返されるのは分かっていたし、万が一、そうだよ、と返された場合にどう返答していいのかも分からなかった。
男が時市の傍らを過ぎ、部屋の中に入って行く、いつもと変わらない歩調だ。時市も、彼に続いた。男は奥の部屋のベッドに腰掛け、煙草を一本咥え、火をつける。時市も、自分のポケットから出した煙草を咥え、男に火をもらった。
腹の傷は、もう癒えた。今日はこの男に抱かれるのだ。
そう思うと、堪らなかった。自分でもどう表現していいのか分からない感情が、腹の中で捩れている。もたもたしている、と、ひばりは時市を表現した。言い得て妙だと思う、時市はいつも、もたもたしている。言いたいことも言えず、そもそも自分がなにを言いたいのかすら分からず、いや、言いたいことは分かっていて、目を逸らしているのだ。いつも。いつもいつも、そうやって目を逸らしてやり過ごしてきた。求められていないから。望まれていないから。結局は拒絶が怖くて、傷つきたくなくて、もたもたし続けているのだ。
二人分の煙草の煙が、ゆらゆらと天井に吸い込まれていく。時市はそれをじっと見上げ、目を逸らし続けてきた自分の感情を、どうにかとらえようとする。すると結局、残ったのはたった一言の言葉だった。
「俺、あなたのこと好きだったんですよ。」
煙草を唇に挟んだままの、やや不明瞭は発音。それでも男に意味が通じるには十分な声音をしていることに、時市は安堵した。これ以上、自分を嫌いにならずに済むと。
一瞬の沈黙の後、男は煙草を唇の端に引っ掛けて、少しだけ笑った。
「過去形?」
時市は目を伏せ、きつく煙草のフィルターを噛み、言葉を絞り出す。
「悔しいじゃないですか。」
今でも好きだと認めてしまえば、悔しい。男はまるで、時市なんか好きではないのだから。一番大事なのは、子どもと嫁。言われた時の衝撃は、まだ時市の中に残っている。それに、この男は時市からの好意なんか、別に求めていないのだ。それなのに、過去形、だなんて尋ねてくるのは、ひどい。
「……ひどいですね。」
いつでも、あなたは。
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