4.


バレンタイン当日の朝。

通学路の風はまだ冷たかったけれど、街全体に暖かな空気が流れている気がする。

同じ方向に向かう生徒たちはみんな浮足立っていて、みんなに会うのが楽しみになってきた。


二つ持った紙袋のうち、大きい方には前日にドラッグストアで買った大袋の市販のチョコが入っている。安いし、見た目もちょっと地味だけど、それでも「ありがとう」と一緒に渡すには十分だと思った。


教室に入ると、すでに森くんを含めたクラスの男子たちがそわそわとした様子でちらちらこちらを見ている。


「おはよう、西宮さん!」


森くんが元気よく挨拶してきて、でもどこか落ち着かない目をしているのが可笑しかった。


私は紙袋の中でチョコの袋を開け、ひとつを笑いながら差し出した。


「はい。ほんの気持ちだけど。いつもありがとうね」

「……あっ、マジで!? ありがとう! すっっげえ嬉しい……!」


チョコを受け取った森くんは、思わず口元を覆って、近くの男子と喜びを分かち合っていた。

それを見ていた他の男子たちも、そっと列に加わるように集まってくる。


「え、俺もいいの?」「ありがたや……!」


義理でも、自分の行動が人に喜んでもらえることって、こんなに嬉しいんだ。

紫貴も喜んでくれるといいな。





そして放課後。

昇降口で待ち合わせて紫貴と並んで歩きながら、本命のチョコが入った紙袋の重みをそっと確かめた。


「チョコ、配ったって聞いた」


紫貴がぽつりと言った。声のトーンが、少し低い気がした。


「うん、よく知ってるね。クラスの森くんとか、ちょっと期待してたみたいだから」

「ふーん」


返ってきた声が素っ気なくて、私は横目で彼を見た。

普段は無表情でも目が優しいのに、今は、ちょっと口元がへの字になっている。


「……紫貴、もしかして、拗ねてる?」

「別に。……ちょっとは拗ねてもいいでしょ」


その言い方がなんだか可愛くて、私は思わず笑ってしまった。


「義理だよ。市販の、ほんとに安いやつ。紫貴のは……頑張って作ったんだよ」


そう言って紫貴の顔を下から覗き込んだ。

紫貴は少しの間黙っていたけれど、ふいに私の頭を優しく撫でた。


「……なんか、ずるいな。そうやって笑うの。許すしかなくなるじゃん」

「それ、褒め言葉として受け取っていい?」

「うん、まぁ……そうだね」


笑い合いながら並んで歩く帰り道。

アスファルトの水たまりに映る街灯が、少しずつ春に近づいていく空気を照らしていた。


歩幅を合わせながら、私は紙袋を両手で持った。


「ねえ、紫貴」


立ち止まると、紫貴もすぐに振り返った。

そのまなざしは、やっぱり私だけを見ていた。


「チョコ……受け取ってくれる?」


私はゆっくり紙袋から、小さな包みを取り出した。

白と紺の紙でラッピングした、手作りのチョコ。ちょっとだけ不格好で、でも何度も作り直して、心を込めた。


「義理とは、全然違うやつ。紫貴に、いちばん渡したかったやつ」


差し出すと、紫貴はそっと受け取って、包みを見つめた。


「……ありがとう。すごく嬉しい」


その声は、いつもより少し低くて、あたたかかった。


私はうつむきながら言った。


「……もっと上手に作れたらよかったんだけど。紫貴は甘いもの得意じゃないし、味とか、どうかなって思ってて……」

「鈴那が作ってくれた時点で、俺が好きな味だよ」


そう言って、紫貴は私の手をそっと握った。

意外と大きな掌に包まれると、チョコを渡すまで心配していたことが些細なことのように感じられた。


「紫貴、これからもよろしくね」

「うん。こちらこそよろしく」


手をつないだまま、歩き出す。


夕焼けもとっくに終わって、街は夜の匂いに変わっていたけれど、その中でふたりの歩幅だけが、静かにぴたりとそろっていた。



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