15皿目 紅の鶏
その日、広場は朝から騒がしかった。空は快晴、風は穏やか。だが、集まった町民たちの胸には、ある種の高揚感が渦巻いていた。
週末──それは、“魔王の料理教室”が開かれる日。
開始時刻が近づくにつれ、どこからともなく掛け声が沸き上がった。
「ボリューム&ヘルシー! ボリューム&ヘルシー!」
最初は小さな声だったそれが、瞬く間に会場全体を包むほどの大合唱へと変わっていく。町民たちの期待と熱気がひとつになって、広場の空気を震わせた。
やがて、静かに登場したのは、漆黒のマントを翻す男──魔王。
その姿を見た瞬間、歓声が上がる。
魔王は軽く口元を緩め、ゆっくりと手を上げて答えた。
「待たせたな、諸君。今週の料理教室の始まりだ。」
一斉に拍手が湧き上がる中、魔王は高らかに宣言する。
「さて、今回我が作るのは……鶏胸肉のアラビアータだ。柔らかく焼いた鶏胸肉を、トマトと唐辛子の酸味と辛味が効いた野菜ソースでいただく一皿。ボリュームがありつつ、ヘルシーな逸品だ。カプサイシンとアリシンには新陳代謝活性化、血行促進、脂肪燃焼などの効果があるので、ダイエットにももってこいだ。」
「おお、アラビアータか! これは楽しみだ。」
「魔王様の料理なら、味も食べごたえも保証付きだ。」
「毎回新しい発見があるのがいいよな。」
町民たちは期待に目を輝かせている。
魔王は鍋にオリーブオイルをひき、みじん切りにしたにんにくと輪切り唐辛子を入れて、弱火でじっくりと香りを引き出し始めた。
「アラビアータの基本は、香りの層作りにある。焦がさぬよう、忍耐強く火を入れるのだ。その間に──」
魔王は次に、観音開きにした鶏むね肉を取り出す。
「鶏胸肉は低脂肪・高たんぱくで、まさにヘルシー料理の王道。しかし、焼きすぎればすぐにパサつく。だからこそ、観音開きにし、小麦粉をまぶして焼く。これにより、鶏胸肉のパサつきを防ぎつつ、均等に火が通りやすく、ソースとの絡みも良くなる。」
「へぇ~観音開きって、手間がかかるけどメリットが大きいんだな。」
「すごいな……ちゃんと科学してるんだ、魔王様の料理って……」
ジューッという音と共に香ばしい匂いが立ち上り、鶏肉の表面が黄金色に色づいていく。
魔王は鍋に戻り、香り立つにんにくと唐辛子に、切りそろえたぶなしめじ、ブロッコリー、ナスを加えて炒める。
「この料理は“アラビアータ”の名を冠しているが、野菜の種類に正解はない。栄養バランスと色合い、食感を意識すれば自由でよい。」
「……柔軟だ。魔王様の言葉って、料理への向き合い方を変えてくれるよな。」
野菜に火が通ると、魔王はホールトマトを加えて木べらで潰しながら煮詰める。トマトの赤が、鍋の中で美しく広がっていく。
「ここで味を整える。塩、こしょう、そして少しだけハチミツ。酸味をまろやかにまとめるには、甘味が必要だ。」
やがて、鮮やかに煮詰まったアラビアータソースに、先ほど焼き上げた鶏胸肉のソテーを加える。
「……これで、鶏胸肉のアラビアータ、完成だ。」
盛りつけられた一皿は、香り立つトマトの赤、焼き目のついた鶏肉、緑のブロッコリーにナスときのこが彩りを添え、まるで絵画のようだった。
「さあ諸君、トマトの酸味、唐辛子の辛味、そして旨味が折り重なるこの料理を──味わうがいい!」
配られた皿を手にした町民たちは、目を輝かせてスプーンを手に取る。
一口、また一口──広場のあちこちで驚きの声が上がる。
「う、うまい! しっかり辛いのに、なんだかさっぱりしてて食べやすい!」
「鶏胸肉が驚くほど柔らかい……。ソースが絡んでて、これだけでメインディッシュになるわ。」
「ナスとトマトの相性が抜群! ぶなしめじの食感もアクセントになってる。こりゃあ箸が止まらんな……いや、スプーンだけど!」
「ブロッコリーって地味かと思ってたけど、酸味と辛味の中に入ると彩りも栄養も最高だね。」
魔王はそれらの声を受けながら、静かに頷いた。
「ボリュームとヘルシー、そして満足感。すべてを叶えるには──知識と工夫、そしてほんの少しの遊び心が必要なのだ。」
「魔王様、これレシピ公開してくれませんか?」
「家でも作ってみたいです!」
人々の要望に、魔王はひとつ頷いて答えた。
「……ふむ。ならば、いつの日か“鶏胸肉のアラビアータ”の家庭向けアレンジ版を教えよう。それまでに、にんにくとトマト缶は忘れずに用意しておくのだぞ。」
再び拍手と歓声が広場に響く。
その日もまた、“ボリューム&ヘルシー”という名の魔法が、人々の心と体を満たしていった。
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