第13話 君は独りじゃない

 ヴェンの姿は、変わらず穏やかにそこに立っていた。闇に満ちた心の中に現れたその笑顔は、かつてフロイントが失った大切な記憶の象徴だった。


 ヴェンはふと視線を伏せ、申し訳なさそうに口を開いた。


「……あの時は、本当にごめん。今になって振り返れば、僕が君たちの住む場所に向かうことだって出来たのに……。でも僕は、それを選ばなかった。」


 声には悔いと、自責の念が滲んでいた。フロイントはその言葉に、心を揺らされながらも、即座にかぶせるように叫ぶ。


「それは違う! お前は悪くない……! 悪いのは、お前を責めて追い詰めたヤツらなんだ!」


 激しい感情がそのまま言葉になった。自分ではどうにもならなかった過去への怒り。今でも胸に燻る喪失感。だが、ヴェンはその反応に少し困ったような顔を見せ、ゆっくりと頷く。


「……そうかもしれない。でも、今なら……なんとなく彼らの気持ちも分かるような気がするんだ」


 フロイントはその言葉に目を見開いた。


「……何?」


「僕たちだって、もし見知らぬ存在が突然、身近な場所に現れたら……きっと警戒する。怖がる。僕たちにそういう気持ちがないとは言いきれない。もちろん、あの時の彼らの行動は到底褒められるものじゃないし、許されることでもない。でも、それでも……人は、知らないものに怯えるんだ。」


 静かで、どこまでも優しい声だった。


 その言葉を聞いたフロイントは、しばらく黙り込んだ。怒りを収めるようにゆっくりと目を閉じ、心の奥深くへ意識を沈める。


 そして、ぽつりと呟いた。


「……そうだな。私が……人目に付かない場所を選んでお前と会っていれば、あんな悲劇は避けられたのかもしれない……」


 苦しげに、しかしどこか納得するように言葉を紡ぐフロイント。


 その隣で、ヴェンはそっと首を振る。


「君も悪くない。僕たちが生きていた世界は、窮屈だったんだ。違う種族が一緒にいることが異常とされた世界で、僕たちはただ、自然に笑っていたかっただけ……でも、それは許されないことだった。」


 その言葉に、フロイントは胸が詰まる思いだった。自分たちが願ったただの“日常”が、世界にとっては“異常”だった。そんな矛盾に、何度も苦しめられてきた。


「でもね、今の君は、魔王として生きている。」


 友人は一歩、魔王に近づく。そして真っ直ぐに見つめながら、力強く言った。


「もし君が、自分自身を赦せる時が来たなら……あの時の僕たちと同じように、今も種族の違いで苦しんでいる人たちを、君が救ってあげてほしい。そして、君のような存在が中心となって、人間や魔族、他の種族たちが共に生きていける世界を……築いてほしいんだ。」


 その願いは、静かに、しかし確かな意志を持っていた。


「……しかし、今の私に、そんなことが……」


 フロイントは言葉を詰まらせる。過去の傷、今の立場、そして長年信じてきた“孤独こそが強さ”という思想。それらすべてが、今の彼の足を縛っていた。


 だが、ヴェンは微笑を絶やさずに、こう続けた。


「今の君には、いるじゃないか。愛と友情の大切さを知っていて、そして君のことを思ってくれている人が。」


 その言葉に、フロイントはハッとする。


「……あの勇者……ドルクか……」


「うん。彼は君に敵意を向けるだけじゃなかった。最後まで君の心に言葉を投げかけてくれた。あんな戦いの最中に、君の中の“人”を見ようとしたんだよ」


 確かに。あの目は、剣を向ける敵を睨むものではなかった。手を差し伸べるための、信じる者の目だった。


「……ドルク……。私を……本当に“友”として見てくれるだろうか……?」


 フロイントの声には、かつてなかったほどの弱さが滲んでいた。しかし、それは決して敗北の声ではなかった。長い間閉ざしていた心の扉が、ようやく軋みながら開きかけている。


「きっと、見てくれるさ。君が歩み寄る勇気さえあればね。」


 ヴェンはそう言って、そっと肩を叩いた。


 フロイントはその温もりを感じながら、ゆっくりと目を閉じた。ヴェンの言葉が、胸に刻み込まれる。


 今はもう手の届かない存在──それでも、その想いだけは、たしかに自分の中に息づいていた。


 そして、彼は決意する。


 もう一度、信じてみよう。


 もう一度、誰かと共に生きてみようと。

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