第20話 炎

遠目にも、それがただの光ではないことは明らかだった。

紅刃の輪郭が赤く滲み、淡い炎がまとわりつくように揺れていた。

紫音の動きが止まり、敵もわずかに警戒して足を引いた。

菊代が静かに声を漏らす。


「……ほう」


蓮見が顔をしかめるように振り返った。


「あれって……炎? なんで紅刃が燃えて……?」


菊代は目を離さずに答える。


「“属性励起”とか呼ばれるやつだよ。ま、実際は魔法でもなんでもない。エネルギー変換の一種さ」


蓮見の視線が、ちらりと紫音の背中をなぞる。


「……エネルギー変換?」

「吸血鬼の能力の一つに、血液同士の反応エネルギーを別の形で出力する性質がある。それと同じやつだね。炎、電気、風……使える形は人による」

「じゃあ、紫音くんは……」

「自力でそこにたどり着いたんだろうね。お前らも、もう少ししたらやり方教わるだろうけど、誘導なしでできるのはかなり珍しい」


蓮見が言葉を失う。

菊代は少し間を置いて、声を上げた。


「――紫音。聞こえる?」


紫音は刃から目を離さず、小さく頷いた。


「送るエネルギーの量を増やすことと、範囲を狭くすることを意識して。

 紅刃の“周り”に出す。外縁に集中させるつもりでやってごらん」


紫音は無言で紅刃を見つめ直した。

紅刃に灯った火は、いまのところ“燃えているだけ”だった。

視覚的な変化はあったが、威力はさほど上がっていない。


紫音は目の前の敵を見据えたまま、脳内で菊代の言葉を復唱する。

――送るエネルギー量を増やす。

――範囲を狭くする。

――紅刃の周囲に“出す”。

(刃そのものにじゃなくて、外に……)

そう思って意識を集中するが、刃の先に火は出るものの、広がりすぎて形が定まらない。


勢いだけの小さな火柱が、刃を包んでは消えた。


紅獣が動いた。

目を伏せていた紫音に向かって、前脚が振り下ろされる。


とっさに紅刃を盾にして受ける。

腕に衝撃が走った。数歩、後退する。


紫音は荒く息を吐いた。

時間がない。

敵は待ってくれない。


(外に……周囲に……エネルギーを)


もう一度、紅刃に意識を集中する。

エネルギーの流れを感じる。

だが、また刃そのものに流れてしまう。

外へ、外へと押し出そうとするが、何かが途中で滞っている。


(ほんとに、できんのか……?)


弱音が脳裏をよぎったその時、かすかに声が届いた。


「がんばれ……」


蓮見の声だった。

小さな声だったが、確かに耳に届いた。


紫音は一度、まぶたを閉じる。


(集中しろ)


自分に言い聞かせる。

胸の内で、強く。


(俺が自分でやるって、勝てるって言ったんだろ……)


もう一度、紅刃を見つめた。

火はまだ、形を成していない。

だが、刃の周囲にはわずかな熱の流れが生まれ始めていた。


紫音は呼吸を整えた。

頭の中で、もう一度だけ言葉を繰り返す。


「出力をあげて、狭く。周りに広がる熱を、紅刃の周囲に集中させる……」


両脚を踏みしめる。

紅刃を握る手に、もう一段階、意識を沈めた。

刃の根元で何かが集まる感覚。

さっきまで暴れていた熱の渦が、少しずつ形を変えて収束していく。


「……この感覚――」


目を見開いた。

紅刃が変わった。

赤みが強くなり、鋼のような輪郭に沿って、淡く、だが確かに火が縁取られていた。

光が増している。


一瞬、それは燃えているというより、発光しているように見えた。


蓮見が思わず小さく声を上げた。


「……!」


その光は、誰の目にも明らかな変化だった。

炎の気配が、刃に沿って整い、一定の層を作っていた。

短剣ほどのサイズの紅刃。

その周囲に灯る火の帯が、空気の揺らぎを伴って漂う。


菊代が、静かにつぶやいた。


「……はは、本当によくやるよ……」


紫音は刃を見下ろしたまま、深く息を吸い込んだ。

火は、今もなお、そこに燃えていた。

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