07 感謝
ラプラシアの肉体は【
だがそれは、彼女が何もできない、ということを意味しない。
魔法使い――戦闘に長けた一流の魔法使いは――あらゆる状況を想定し呪文を織り成し、自らの意志を貫徹する。世界の法則、魔法に魅入られたものは、己の肉体や意識でさえ、魔力と魔法を現実化するためのツールに過ぎないと認識し、意識の消失や、死後にさえ備える。肉に練り込まれた詠唱符、臓器に埋め込まれた魔石は、ただオカルトめいた、怨念にも似た意志によって駆動し、そこではもはや、自我や精神さえ不要となる。死後の呪いは、生の中で編まれる。
「…………ルフィア、さん……?」
アマネの声が、不安に曇った。
完全に意識を、行動を、すべて停止しているはずのラプラシアの背後。
「ばか……な……」
ルフィアが絶句の呟きと息を漏らした。
赤黒いオーラがうねうねと蠢き、何かの形をとろうとしていた。数億匹の昆虫がうごめくようなその様子は、あからさまなほどに邪悪を感じさせた。そして実際、形作られたものを見て三人は息を呑んだ。
〈緋の月天の下朱に染め我ただ一人立つ
朱の光屍人を黒に染め我ただ一人立つ〉
詠唱。完全に静止したラプラシアの背後で、文字が、言葉が、ゆっくりと、しかし着実に刻まれていく。
「ル、ルフィアさん? これ、は……?」
「……どこまで……ッッ!」
ギリっ、と歯噛みしたルフィアは、己の甘さを呪った。転生者でもない、異世界の現地人であるラプラシアは、ヨシダほどの傍若無人さはそもそも持ち合わせていないだろう、と思っていたのがそもそもの間違いだったのだ。
〈屍人の寝所に安らぎはなく
寝所の安らぎは月のみ知る〉
春原ルフィアが、魔王ゼルフィアだった時代。
魔族を絶滅に追いやったあの呪文。
極限まで感染力を強めた致死性のウィルスをばらまき、感染し発症すれば、全身の細胞が溶解していく痛みと恐怖を、死の寸前まで十全に味わうことになる呪文。数百万の魔族が、それで死んでいった。怨嗟の言葉を顔も分からない術者と、救ってくれなかった魔王ゼルフィアに投げながら。
〈倒れ臥す奏者の白瞳
涸れ果ての泉の汚泥〉
「ルフィアさん、あの、【
綴られていく詠唱の不穏さを感じ取ったバグぴが尋ねたが、ルフィアは、首を横に振った。決着は、自分でつけねばならない。責任者は、責任をとるためにいる。
「私がやる」
呟くと、大きく息を吸った。
魔法使いが死の直前に、周囲を巻き込む魔法を使うのは異世界では珍しいことではない。もっとも意識のない状態でそれに近いことができているラプラシアの技量には、目を見張るより他ないが。もはや彼女が魔力をコントロールしているのではなく、魔力が彼女をコントロールしているとさえ言えるのかもしれない。あるいは、魔力、魔法こそがラプラシアなのだとも。魔法使いの頂点にある、とさえ言っていいだろう。だから、ルフィアは思ってしまう。
お前たちは、どうして、
意識のないラプラシアの目に、心の中で、問いかけた。
どうしてその力を、そんな風に使ってしまうんだ?
なあ、オマエたちは、本当は、もっと、幸せな生き物に、なれていたんじゃないのか? 幸せな生き方ができていたんじゃないのか? なあ、本当に、本当に、
〈死すべき定めの死すべき者の運命は
「……死でもって報われる。微塵に終われ、【
綴られる詠唱はルフィアの魔法で、ラプラシアの体ごと切り裂かれた。不可視の力が彼女の体をただただ、バラバラに切り裂く。赤黒いオーラは消え、綴られていた詠唱は溶け、元が人の形をしていたとは分からないほどになった。バグぴは単純にスーパーのひき肉を連想し、へえ人間もこうなるんだ、などと思い、アマネは思わず目を閉じ、顔をそらした。もはやあらゆる意味で生者ではなく、【
「ありがとう」
テレパシーめいた魔法で、得意げな声が響くと次の瞬間、高速詠唱じみた、キュンっ、キュンっ、キュンっ、という音が何重にも響き、ラプラシアの体、体だったものが、瞬時に光となった。
「【
そして、すさまじい轟音と共に、消えた。
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