あと一歩②
姫美子がヨシキを伴って現れた。
「悪いね。姫美子ちゃん」
「マスターの頼みなら、何処までだって行きますよ」
「すみません。僕までついて来ちゃって」とヨシキ。
「私が方向音痴だから、迷子にならないようにヨっちゃんに付き添ってもらいました」
「いや。僕が勝手について来ただけです」
神代には分かっている。ヨシキは姫美子のことが心配でついて来たのだ。姫美子のボディガードのつもりなのだろう。
「さあ、こちらへ」と神代が誘う。
「病院で思い出交換を行うのは初めて」と姫美子が広いロビーを見渡した。
「田辺はもうじき到着すると思います。先ず、カズ君に会ってあげてください。本当、良い子ですよ」
カズ君は神代が監督をやっているクラブチームに所属する選手の子供らしい。まだ小学生だが、生まれた時から心臓に持病を抱えており、入退院を繰り返していると言う。今も入院中だ。
カズ君が父親に言った。「僕もお父さんみたいにボールを追いかけて、思いっきり走ってみたいな」と。
その話を聞いた神代が田辺とカズ君の思い出交換を思い付いた。
田辺に話をすると、「そんなこと、出来るのですか⁉ 僕は勿論、構いません。高校野球の思い出は、あの試合だけではありませんから」という返事だった。
カズ君は話を聞いて大喜びしたが、「でも、僕には交換したい思い出がないよ」と言ったと言う。自宅と病院の往復ばかりで、ろくに学校にも行ったことがない。交換できるような思い出が無いと言うのだ。
その話を聞いて、神代は「なんか、可哀そうで涙が出ました」と言った。
「思い出交換は楽しい思い出を交換するのではなく、辛い思い出を消してあげることが目的なのですが、カズ君には辛い思い出が多すぎるのですね」姫美子も眉をひそめた。
田辺に尋ねると、「思い出なんて、何だって構いません。俺、入院したことないから、入院の思い出だって結構です」と言ってくれた。
こうして、今日の思い出交換が実現したのだ。
場所は病院、カズ君の個室。午後の面会時間に行われる。幸い、個室だ。思い出交換が行われている間、神代とヨシキが入り口に立って、邪魔をしないように見張ることになっていた。
病室に入って来た姫美子を見るなり、カズ君が「うわっ! 綺麗な人。女神様みたい。僕に思い出をくれる人なんだね?」と叫んだ。
「あら、正直な子ね~」と姫美子が大喜びする。隣でヨシキが苦笑いしていた。姫美子はヨシキを軽く肘でつついてから、「そうよ。私は姫美子。カズ君に思い出をつくってあげる為に来たのよ」と言った。
姫美子とカズ君が挨拶を交わしていると、「すみません。遅くなっちゃいました」と田辺がやって来た。元スポーツ選手とあって、骨太のゴツい体型だ。男くさい風貌も想像通りだった。
ヨシキと神代が病室から締め出されて、思い出交換が始まった。
「どれくらいかかるんだろう?」と聞く神代に「一時間くらいかかる時があります」とヨシキが答えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます