第2話 夜につまずき

 木曜日の朝、目覚めるといつものように12チャンのドラマの再放送を見て、10時になると自転車に乗り本屋に向かう。積んである荷物の中から、週プロを出してもらいお金を払う。木曜日は楽しい、深夜にはオールナイトもある。そうだ、カセットテープを切らしていた…ダイクマに向かうことにした。


 ダイクマで「BON」の60分カセットテープ10本セットを買う。60分テープは30分おきに取出し、録音ボタンを押さなければならない。そのまま眠ってしまうこともあり、最初だけしか録音できなかったことがしばしばあった。しかもあまり品質は良くない。音質は言うまでもなく、それどころか何度か聞いていると、テープがラジカセに巻きついてしまうことが何度もあった。それでも、毎週録音して保存するので、できるだけ安い方がいいのだ。


 木曜深夜のオールナイトを聴き始めたのは、中二から中三にかけての春からだ。いつものように深夜のオトナ番組を見たあと、布団にもぐりこみラジオをつけると、その声は聴こえてきた。「三国一」「ホラッチョ」…それまで聞いたことのない言葉の数々に爆笑し一発で夢中になってしまった。 ラジオを聴く前からツービートの小さい方は好きだったが、決定的になったのは中三の大晦日だ。木曜日のその日もオールナイトがあり、朝5時までの放送だった。途中、"浅草ロックフェスティバル"の中継になり、あの唄を聴いた。初めて聴いたその唄からは、ツービートの小さい方の芸人としてではない、ひとりの人間としての素顔が垣間見えた気がしたのだ。


「夜につまずき 裏道でころがり」


 しゃがれた声で叫ぶように歌うその歌声は、イタイケな少年の心に深く突き刺さった。録音したそのテープは、決して比喩ではなく、「BON」のカセットテープが、本当に擦り切れるぐらい何べんも聞いていた。


 夜。いつものようにいつもの歌を聴き、いつものように週プロを読んでいたらドアがノックされた。ドアを開けると、“おじさん”が立っていた。


 小六の時、このアパートに来てから、夕食は母がおじさんの部屋で作りおじさんの子供たち…専門学校生と社会人のお姉さんふたりのみんなで食べていた。おじさんはもちろんのこと、ふたりのお姉さんたちも、オレをとても可愛がってくれた。年頃のお姉さんたちにエロい感情は湧かず、やはり家族の感覚だったように思う。 い、いや…一度だけ、本当にたった一度だけ…干してある、おパンティのニオイを嗅いだことはあるが…。


 プロレスファンになったのは、タイガーマスクの登場やブームだったこともあるが、国際プロレスの中継すら見ていたほどのプロレスファンのこのおじさんの影響が大きい。


「お母さん、どうした?」


 中二の夏休みには、おじさんと母の三人でおじさんの故郷である九州に行ったこともあるし、中三のある日、アパートに帰って来たら裸で抱き合っていたおじさんと母に、いったい何があったのか…オレが知りたい。


「夜も仕事始めたらしいよ」


 もちろん、信じてはいないが…。


「ゴハン食べてるんだな」


 おじさんの言葉にコクリと頷く。


「なら、いい…何かあったらいつでも来いよ」


 おじさんが微笑む。秋に上のお姉さんが結婚し下のお姉さんも家を出て、おじさんは一人になっていた。ちょうどその頃から母が帰らなくなり、オレもおじさんの部屋には行かなくなった。もしかしたら、おじさんも淋しいのかも知れない。だが、そんな様子を見せることもなく、おじさんはただやさしく微笑んでいた。


 いかにも九州男児らしいこのおじさんを、オレは好きだった…。


ーーーーー


 金曜日。プロレスが始まるまでカックラキンを見ていたら、電話が鳴る。イハラ先生だ。コバからの電話のあと、サトウや女子のフジムラからも電話があったが、いよいよそれを操っていた、ご本人登場か。


「お前、生徒会の役員だったな…途中で投げ出すつもりか」


 痛い所を突いてきた。


 今思い出すと、あまりに調子に乗り過ぎていて、さすがに小っ恥かしいのだが、二年生になったばかりの春はお調子者の目立ちたがり屋が全開で、周りに乗せられ生徒会の役員に立候補してしまったのだ。おまけにその後、生徒会会長の不祥事により、会長代行のようになっていた。 それでも文化祭の準備、野球部の創設など、いちおう生徒会の仕事もしていたが、放課後になると生徒会室に入りびたっていたのは、それが楽しかったからではなく、部活をサボれることと、女子を含む生徒会の友達とバカ話して大笑いしていた時間が、何よりも楽しかっただけだ。特に責任感などないが、先生はそこを突いてきた。 どこからか『パワー・ホール』が鳴り響き、オレのココロの中の“長州力”に火が付く…なにコラ、イノキ!


「…来週からは、学校に行きますよ」 


 思わずそう答えてしまった。


 電話を切ってから気付いた。先生は反発することを読んで、生徒会など持ち出した。やはり性格を見抜かれ、まんまと手の内に乗せられていたのだ。まあいい…家にいるのも飽きた頃だ、学校に行くのも悪くない。この休みをどんなギャグにして、クラスのみんなを笑わせるか…そう考えていたら、ドアがノックされる。おじさん…?


「あっ…」


 ドアを開けるとそこには、父が立っていた。


 父とは月に一度、小遣い目当てで会っていたので感慨はない。正月に会ったばかりだ。アパートまで来ることは最近はなかったが、離婚したばかりの頃はたまに訪れ、「帰って来い、戻って来い」と繰り返し、母を悩ませていた。


「ユキは?」


「夜も仕事してる」


 何度も言うが、これっぽっちも信じちゃいない…。


「オレの所に帰って来いって言っておけ…近所の目なんか気にしなくていいんだから」


 まだ会うたびに同じことを繰り返し言っている…いったい、あれから何年経つのだ。おじさんの事を黙っているのは、母に口止めされていたワケではない、子供心に言ってはいけない気がしていたからだ…そのイタイケな気持ちがわからないのか。


「う、うん…言っておく」


 父とは一緒に暮らしてないことで、直接ぶつかりあうことなく反抗期を通り過ぎてしまった。親父と呼ぶほど近しくはなく、お父さんと呼ぶほど子供でもない。目の前に立つこのヒトを、ただ哀しく思った。あまりにも哀しくて、木曜オールナイトの“中年エレジーコーナー”にこのネタを書いてハガキを送りたいくらいだ。


 父が帰ると、なぜか小一の頃の出来事を思い出した。


 風呂に入る前、服を脱ぎながら兄とふざけていたら「早く入りな」と母が怒る。今度は父が「何で子供を怒るんだ」と母に怒る。何やら言い合いになり、母はオレに「お前が悪いんだよ」と怒鳴ったあと、トイレの前で立ちすくみ、震えながら泣くばかりになった。 何度か様子を見に行き、抱きしめながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝ったが、ただ泣きながら「お父さんが怖いよ、怖いよ」と繰り返すだけだった…母が、壊れた。


 もしかしたら、母は少し病んでいたのかも知れない。それから一週間ほどパートを休み、家で寝ていた。その後あれほど壊れることはなかったが、突然オレと兄を連れて家を出て行ったことは何度かあった。父のせいでイヤな事ばかり思い出してしまった。


 気分が晴れない…こんな時にはオールナイトのテープを聴こう。

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