降り坂の途中のジメジメしている斜めの味のしないガム。
木田りも
言の葉
小説。 降り坂の途中のジメジメしている斜めの味のしないガム。
神を前にした時、僕は自分の無力さに気づいた。この世界には、1人のちっぽけな人間の力如きで、何も動かせないことを突きつけられたような気がした。そして、というか、だからこそ、神に縋ってなんかいられないことにも気づいた。僕を僕というのは僕だけ。そんな僕は、無力な僕は、どんなふうに生きれば良いのだろう。視線を上げるのも声を上げるのも、誰かに声をかけるのも怖くなった。これを「鬱」とでも言ってしまえば、誰かにあなたは病気なんだって認めてもらえたりすれば少しばかりは楽になるだろうか。本当にそうなのだろうか。休息なのだろうか。無理やり、周りについていくことなのだろうか。いや違う。時代に追いつこうという考えがまずおかしい。生きているだけで普通。なはずなのに、自分は遅れていると感じてしまう。自分を傷つけることが、自分が苦労したり大変な目に遭うことが誰かにとっての救いだと思い込んでいるのだ。誰々は忙しいから声をかけるのをやめておこう。誰々は僕なんかと会いたくないだろう。全て僕が蒔いた種だ。それの業を背負うのも僕の責務だ。一度、全てを投げ捨てたいってここ何年も考えながら、それでも忘れてもいけない、終わらせてもいけない。僕は今のこの現実に、真正面からぶつからなければならないと思う。というのを、全てフリとして、抱えているフリとして、大変な自分として、生きているのがわかる。本当の僕は責任から逃げ回る弱くて惨めで誰からも相手にされない社会的弱者だと思う。だから自分を変えたくて、、、なんてものではなく、こんなに頑張っているのだから少しくらい神に救われても良いのではないかと本気で思い込んでる気の弱い悪党なだけだ。いや。悪にもなりきらない微妙なグレー。まるで晴天でもなければ雨も降らない。けど降り坂。好転することはすぐにはなさそう。自転車漕いだらきっと雨に当たる。だから歩いて向かう。微妙に雨が降らないまま、目的地に辿り着く。
もどかしい、やるせない気持ちのまま、遠慮して、そこにいる。何か出来るわけでもない言われれば動く。少し前ならそれで良かった。でももうそんなんじゃ誰にも相手にされない。ただの不満を言うだけの、誰のためにもならない話ばかり。頑張ってるフリ、頑張ってるフリ。頑張ってる人をただ妬み、嫉み、妬み、ネタにして、ネタ切れて、味がしなくなってもまだ噛んでるガム。僕はそんな感じ。
鳥居をくぐる時はお辞儀をする。どこかで聞きかじった作法をお試しでやってみる。まるで知り尽くしたかのようなドヤ顔をして。ここに来るのは初めてに近い。一度、高校生の時に初詣に来たことがある。その時は恐らく礼なんてしておらず、ただ周りと一緒に夜更かしをして、初詣っていうイベントをこなすような。まるで学校祭とかと同列にあるような行事じみた感覚で行っていた。その時、どんな話をしたのかも、おみくじで何が出たのかも、何円をお賽銭したのかも全く覚えていない。その程度。そう、その程度のものだったのだ。本当に救いを求めるならば、見返りを求めず、この身を捧げる勢いで通い、行動するのだと思う。まだ自分はマシだと心のどこかで思っているから僕は、神なんて信じない、なんて言えるのだ。
そんなところで、8年ぶりくらいに訪れたその神社。お辞儀をして通ると、確かに空気が変わるのを感じた。もしかするとそう思い込みたいだけかもしれないが、鳥居をくぐりぬけ、境内を歩いていると、大きな力のようなものを感じた。目には見えないし、体調に影響が出るわけではないが、まるで自分というものを試されているかのように感じた。今の自分はどんなふうに評価されるのだろうか。自己評価と他己評価は違うなんて言うが、今の自分が周りに対して何を与えられるかなんて考えられないくらいに自分に余裕がない。そんな自分を少しでも正当化しないと毎日が生きられないから、「かもしれない。かもしれない。」なんて、かもしれない思想で生きている。過去の自分はもっと人に優しく、明るく接していたと思う。当時の人々が今の僕にあったらやっぱり変わったって思うのだろうか。今周りにいいね!なんて言われても、素直には受け取れない。自分自身が全く良いなんて思えないからだ。誰かに抱きしめられても、愛されても信用なんてできないかもしれない。今起きてる良いことは過去の自分の行動による貯金のようなものだと思い込んでいる。貯金は使えばいずれ使い果たす。今の自分はとても貯金を、貯める余裕なんてあるように思えない。二つの意味で自分が貧相になっていくのがわかる。カラッカラな自分を感じる。潤っていた頃の過去の栄光が嫌と言うほど輝きながら今の僕の前を素通りする。あぁ、あの時に哀れと思っていた人間に今、自分自身がなりかけているのだと、自分を通して感じた。プライドを投げ捨てれないまま、少しずつ日々をカッコつけた結果、自分の後退を強く感じた。自分の上位互換がたくさんいることに気づいた。若くもない、かといって特別なことが出来るわけでもない。ただ、腰の重い奴がそこにいるだけ、あぁー辞めてください。辞めてください。もう限界です。ライフがもう0に近いです。
こんな、悩みなぞ、神は考えることすらできないと思った。ちっぽけ過ぎるのだ。罵られたわけでもない。罵られるほど、相手にされていない。そして今の自分の不甲斐なさ、拙さで今後さらに相手にされない人が増えたのだと感じた。不意に自分の理想の動きを模倣する。自分だけの世界では自分は100点だ。申し分ない。いや素晴らしい。他人のことを優先的に考えることができて、悩み相談に乗ったり、率先して動いてみんなを引っ張る。それでも今の自分に甘えず高みを目指して日々を健やかに過ごす。そんな理想が私を囲み縛り続ける。現実は、自己中心的、そもそも悩み相談なんて受けないし、指示がないと何をして良いかわからない。それでもまあ、今の自分はまあまあ頑張ってるだろう、だからもっと報われるべきだ!なんて、思ってる。健やかに、生きてるなんて冗談でも言えないかもしれない。人前でも頑張れてる人に申し訳ない。格差?でもないけど、自分を呪いたくなるくらいには、自分を嫌いになる。
(それはさておき、虫歯が痛む。いや虫歯と確定したわけではないが、歯が痛い。それを人は虫歯と呼び、忌み嫌うものであろう。歯の矯正が取れて隙間風が吹き荒ぶ。矯正が取れたものは、解放か?僕の歯は解放されたのか。それともただ守られていたもの、鎧を、脱いだだけなのか。今の僕には、どれもネガティブな問題に感じるが、果たしてそうだろうか。長い目で見れば喜劇なのだろうか。これも喜劇の1シーンで、まるで閑話休題のようなもので、それはさておき、で済まされるようなものなのだろうか。わからない。が最適解だ。しかし、いずれわかる時が来るのだろう。それは、歯医者でお金を払う時かもしれないし、歯が治った時のことなのかもしれないし、次に歯が悪くなったときかもしれないし、死ぬときなのかもしれない。だとしたらきっとまだどれも遠いのだろう。いや、電話しなさい。すぐに。
はいもしもし、
すみません。歯が悪くなったんですけど、
そうですかいつからですか?、
わかりません、
え?、
分かりません。僕はいつから悪くなったのでしょう?、
ええと、
すみません。僕はいつから悪くなったのでしょう?、
ええと、
すいません。僕はいつから悪くなったのでしょう?、
……たぶんですけど、
はい、
すみませんをすいませんって言うようになった辺りからだと思います。)
歯の痛みで夢から覚めた気がした。
うたた寝をしてしまっていた。眠りから目を覚ました直後なのに気だるいのは、もう記憶にない夢のせいな気がする。寝ても寝てもスッキリしない。歯が痛い。確か江戸幕府14代目将軍徳川家茂は虫歯が原因でやがて命を落としたと聞いたことがある。将軍様でも簡単に病気になってしまうのか。枕元にあるグミをつまみ、まだ微睡む。なんだかよく寝れる。春眠暁を覚えず、そろそろ覚えてくれと、思いながら、深夜また微睡に入る。
(
ですから、
いや知らないです。すみませんとすいませんになんの違いがあるんですか?、
落ち着いてください。言葉なんです、
言葉?、
言の葉。つまり人間が持っている基本で最も偉大なコミュニケーションツールです、
だからなんですか?、
あなたはそれを蔑ろにしている、
?????、
だからあなたには隙間が出来た、
????、
あなたの1音目。先ほどは電話口というタイムラグ的な理由で私に隙間があった。しかし今は違う、
???、
あなたの歯と同じように言葉は使わないと悪くなる、
??、
あなたは矯正しなければならない。今の自分もこれからの自分も、
?、
あなたは今の自分に満足できてないでしょう?、
…………、
何か言ったらどうなんですか首を傾げても黙っていても話は進まないし何を考えているかもわからない、
ぁぁ、
言葉にして初めてどこかに漂う可能性を持つんですあなたは今それを感じているはず、
覚えてる。この感じ。昔々の話だった気がするが僕はいつからか空虚になった。空虚な世界にある色の付いたものを求めるようになった。たぶんこれは輝いた街にあるキラキラしたものを求めることをやめたからだ。〜よりは良い。〜よりはマシ。に価値を見出すようになった。纏っているものがなんだか周りよりも重いのだろう。他の人より幸せが遠いのだろう。幸せか不幸せの0-100思考。そうしなければ生きていけない不自由な人間。思わずくしゃみをして、
お電話ありがとうございました。いつかどこかでお会いすることもあるでしょう。おや、また私に隙間が出来てしまいましたねぇ。歯科医の私でも出来てしまうんですね。私にも虫歯があるんですかねぇ。
)
プツッと電話が切れる音。ブラウン管テレビが付いた時のえも言えぬ不快感のような感触。夢の不思議さに今日も迷走しながら目を覚ます。言の葉ねぇ、大事にしなきゃいけないのは分かってるんだ、けどねぇ、と。頭の中の整理をしている。それが出来る夢を見れた。
っていう風に美談にしないとダメです。人間はそうして生きているんだと思います。なので、今日も朝日が昇ります。当たり前です。1日がまた始まります。朝日が昇ることを希望と言うなら毎日が希望なはずです。でもまあ軽く擁護するなら雨が降っていても陽は昇っている、、くらいでしょうか。あと30分くらいは寝ようと思います。遅刻するかもしれないけど朝の眠気には耐えられません。
(さっきの夢の続きを見たかったけどそう上手くはいかないみたい。僕は職場に向かっている。その道中にひらがなでかみさまと身体に書いている全裸の男がいて、踊っている。言葉が通じない人間っているんだなぁと思いながらそこを素通りする。途端に街がアラビア語で溢れ、方向がわからなくなる。中学時代の友達と高校時代の同級生が何故か一緒にいて目の前に現れて、僕に忠告した。
「お前、このままだとどこの大学にもいけないよ?」
高校生の時に英語の先生に言われた言葉。
そうか、これも言葉かって思い出して、
言葉という偉大なコミュニケーションツールを使って僕に忠告をしてくれていたのだ。
その時は臆して何も言えなかったけど、今なら言えるのかな。
「現実を教えてくれてありがとう」って、
期せずして俳句になった。……川柳か。
微睡みから目を覚まし、窓から光が差し込む。
1日は始まっている。脳だけが起きていて身体が動かないそんな感覚。とっくのとうに全てわかっている。僕が好きな明晰夢を見ている。明晰夢という概念が好きな僕はそれを純粋に楽しんでいる。遅刻することは分かりきってるけど、どうすれば起きられるかわからないから、
とりあえずもう少し、この明晰夢の状態を味わっていようと思う。)
おわり。
降り坂の途中のジメジメしている斜めの味のしないガム。 木田りも @kidarimo777
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