パンドラ

@romeoyoshida

第1話

年が変わり、約40年振りに年号が変わった、その出来事で当然のように明るい未来が世界を見晴らしの良いものに変えてくれる事だろうと信じてた。


それは余りにも唐突に、マナーの悪いルームメイトの様な不快さを持って現れ、気が付いた時には世界の中心でのさぼっていた。

それはまるで僕の家のリビングにある本皮製で程良くくたびれた、感じの良いお気に入りソファーに座り、スナック菓子の油でギトギトに汚れた手を擦り付けて拭くような、想像したくも無いまったく不快でちっとも価値観を共有出来そうにない招かれざる客の様に。


新型ウイルス。

まるでありきたりなキャッチフレーズ。どうせウイルスのデザインがマイナーチェンジして、抗体の効果が少なかったりとかそんな感じだろう。

正直、世間や僕の認識はその程度だったと思う。


結論から言うと、世間や僕の認識は間違いだった。

はじめは、ただやたらと感染力は強いが致死率の低い、ありきたりの肺炎のようだった。だが数日後には、決壊した川のように感染者は世界中で爆発的に増え、それに伴い重症患者も着実に増えた。さらに数週間後には、遂にWHOはパンデミックを宣言した。


それからは出来の悪いSF映画の展開に、世界の主要都市はロックダウンされ、あれ程世界中を飛び交っていた旅客機は減便となり、ほぼ民間人の自由な渡航は禁止され。物流の梱包に付着するウイルスまで問題となり国家間の物資さえも制限された。

まさに悪夢。


[新しい生活様式] そんな言葉が多用され、かって無いスピードで仕事や日常生活のルールが変革され。全ての活動がオンライン中心へとシフトされた。


街の様子は一変し、アメリカの軍事関連を得意とする、繊維会社が開発した特殊な合成繊維を使用したマスクが、ウイルスの予防に一定の効果を発揮し、大袈裟では無く、世界中のほぼ全ての市民が着用するようになっていた。 そのマスクは特殊部隊向けに開発された光学迷彩技術が応用され、一見着用して無い様に見える効果が有り、未だにマスクに抵抗が強い白人を中心とするエリート層にも支持された。

少し高額だったが、各国政府は無償もしくは助成金を使い普及に力を入れ、実際にかなりの効果を上げていた。


そして僕の話をしよう。


ほんの数カ月前まではルーティーンの様に乗り慣れたバスに乗る。

朝の出勤時間なので本来ならばまず座れる事は無いのだけれど、今や僕以外の乗客は両手で収まる程度しか乗っていない。


人生をある程度達観してしまって、もはや取り戻せない日常を送る為に自分の命を運命に委ねた老人と、僕の様に何の目的か誰も解っていない出勤日の為に物理的に会社へ向かう無邪気で退屈なサラリーマン。 それと自分が感染したり感染源になるなど、全く想像できない自己顕示欲と排他性の塊の様な若者と言うオーダーが揃っている。

まるで社会でそれ程必要とされない層の集まり。

ただ、存在の為に存在し まれに周囲に迷惑や嫌悪感を与えるだけの人々。


駅が過ぎる度に乗客は減っていき、3駅目には遂に僕一人になった。


おかしい。


確かに乗客はすくなかったが、何時もなら乗る事があっても降りる事は無い駅なのに。


そしてバスは曲がって暫く後、路肩に寄せて止まった。


完全なる違和感と押し寄せる疑問。ただ考える時間は余りにも少なかった。


ドアが開き光と共に、グレイのスーツを着た真っ黒な顔をした(よく見ると目の所だけが開けてあるマスク)007の様な体型をした男が何かをこちらに向けた瞬間 意識は初めから無かった様に消えた。


意識の欠片がようやく集まりだし、酷い二日酔いの朝の様な目覚め。


暗く上下も解らない空間で霧の中のおぼろげな光が後ろに微かに感じられる、覚醒間近の適当な意識の中で、あの日学校が遅くなり暗く無ったアパートのリビングに血液と脳味噌の大半をぶちまけソファーに深く沈む父親の姿が第三者の視点で浮かび上がる。

不愉快さと愉快さ、自分の境遇の滑稽さ、明日からの学校での立ち位置、新しい恋人への同情の誘い方や、そんな現実的な事ばかり考えとても映画やドラマみたいに大袈裟なリアクションを起こしたり泣き叫んだり、そんな気は到底起きなかった。


「キム、K2は何処で入手し何処へ渡した!?」


何かがどうにかして頭の中に直接アクセスして来る。


なぜこんな事が可能なのか全く信じられない話だが、この声は明らかに幻聴では無い。


「然るべき方法で最善のコミニケーションを取っているだけだ、知らなくていいし知る必要は無い、ただOSを使うように何も考えるな。私が知りたいのは質問の答えだ」。


混乱と不満と発散。


K2なんて山しか知らない、ましてやキムなんてわかり易い中国人みたいな名前でも無い。全くなんてこったい、酷い人違いの上に明らかな人権侵害。自分の不運が悲しく可笑しくもある。

あの日の遺族への配慮に欠いた高慢で不遜な高圧的を形にした様な警察官の取り調べを思い出す。

後に様々な大人達が同じような質問を繰り返してきた、そして僕は正しい受け答えを続けた。

果たして、知って何を知りたかったのだろう

一通り定型文を喋り終わると、「辛いだろうけど頑張ってね」と帰ってくる。

たまに裕福そうな大人は「困ったら何でも言ってきなさい」などと言う。


そして僕は、阿呆の様に憂いげな顔をして一通りのお礼と謝罪の言葉を告げる。もはや繰り返す懺悔の言葉みたいに。

辛くは無い、自分が死んだ訳では無い。困ったと言えば今まさに困っている。

ただ、大人は悪く無い 誰だってそう好奇心と偽善心そして少しの狭義。

できれば世間体に良く収まる程度の関わりでいたい。


面倒くさいのは誰だって嫌だ。


「お前は誰だ? 深層に落としてるのか? イヤ、そんな技術はまだシェアされて無いはず…」


「Out!」


激しい痛みと共に消え行く意識。


今日、何度目の覚醒。

目覚めると何時ものバスのアナウンスに大型モーターのコイル音が微かに聞こえる。

二人掛けの通路側の席ではっきりと視点が合うと嘘みたいに、朝と同じオーダーの顔触れが。

視界が揺らぐ、現実と非現実。夢想なのか確信出来無い現状。


バスは進む。


そう言えば朝は曇ってたなあ、今の窓の外は正しく小春日和。

いくらか落ち着きを取り戻し、どうでもいいのかも知れないと思い至る。


誰もが現実みたいな現実の中で居場所に居るだけで、少しの歪みなど気に留める事でも無いのだから。


どうしようもなく平穏な日々、隣の席を見ると父が若き日に希望を秘めた瞳で窓の外を眺めて居る。



第二章


「まさか、TYPE421−MODマスクにバグが発生するとはな… 82%の一致だったのにな。 あいつ誰だよ」


「実際、頭少しイジったしな悪い事したな」


「気持ばかりのお土産入れといたから、少しは慰めになるんじゃないの」


「あの尋問システムの欠陥は指摘されてんだが 冤罪が少ないから改善されないんだよな…」


「費用対比、効率化、リスクマネジメント今や真当な頭の市民も少ないし、たいしたリスクでも無いかな」


「そんな所だな、では本日も正当的非同意急進的身柄拘束に行きますか?」


「面倒くさいなあ、拉致だろ」


「ラジャー」




父の横顔はとても穏やかだ…

いつ依頼だろ一緒にバスに乗って…


違う   


2011年3月11日、地面が荒れた海の様にうねり、山のような津波が大地を覆い隠した。


3月15日

福島第一原発、全交流電源喪失、水素爆発、作業員撤退。


2号機圧力破壊。


東日本壊滅。



父はそのニュースを聞きながら言葉になら無い言葉を唱えていた。


その日父はリビングで脳味噌をぶちまけ死んだ。


詳しくは知らないが、父の仕事はGEのMark1型軽水炉などのメンテナンスを請け負う下請け会社でエンジニアをしていたみたいだった。 それが直接自殺の原因かは解らないが、<遺書は残されて無かった>何かしらの因果は有ると推測される。


あの事故以来少なくとも、避難区域5000万人の人生は大きく変えられ、元の生活に戻れない絶望や悲観に打ちのめされ、それでも社会への帰属を求められ無理矢理に変化と対応、速やかな復帰を求められた。


政府は混乱を恐れ、被災者と寄り添う事に気づかず、小さいがどこまで深くブラックホールの様に暗く絶望的な救いの無い渦を産み出してしまった。


もう一度、ブッタの様な静かな微笑みを浮かべている父の横顔を見てささやく。


「まだ、これは始まりだからね。 本当の絶望はすぐだから、全人類で共有しよう、我々が産み出したドグマ。破滅の扉を開いても尚平気で違う扉を作り続ける国家、国民、組する個人。そう言うのを一回イノセントに戻そうと思う。  あなたも同じ気持ですよね…」


そう言えば、あのデコボココンビ。キムって言ってたけ?

金じゃ無くて金田だよ!


AKIRAも見た事無いのかよ。

まったく最近の公務員は教養が足りないな。



その頃デコボココンビのデコかボコのどっちかは広がり続ける情報処理の中から、キッカケを見つけたAIをたどる。

今や身の回りに有る全ての物、行動は爪切りの頻度、深さまでビッグデータとして収集され、終わる事の無い処理に掛けられている。

緻密過ぎる故の不効率、速度が上がればそれだけ情報も増え限界の上限一杯で周り続ける。

走り続けるAIの情報から感じる違和感、有る一点の情報に引っかかる。

ここから先は一番アナログで、曖昧で、まったく信用できない人間の感に頼るしか無い。


まとまなレポートは諦めた、ただ自分の感を信じる。


ホログラムに浮かぶ情報は、とてつもなく巨大な存在を暗示している。


パンドラの箱。


私の感が確かなら、今から始まる事により様々な災いが飛び出し、現在の日本 否、現在の文明全てが吹き飛ぶかもしれない。

余りにも危険すぎる、たとえ箱の底に希望が残されていたとしても。


どうする? 次の手は? 

即時行動、相手より早く動きリスクを叩き潰す。 その考えはこの組織で仕事する前から身に着けていた、紛争の中でストリートを生き抜く知恵。止まったら駄目だ。


一瞬、子供だった日の日常がフラッシュバックされる。


小倉自治区、倉庫の様な巨大な建物の裏路地でボロボロに擦り切れたサッカーボールをインサイドで幼馴染のリナに強めのパスを蹴る、瞬間地面が揺れ衝撃と音。何も見えず何も聞こえない

。暫くして吐き気と共に意識がはっきりして行く、2回吐いた後周りを見ると、行き倒れの女から奪ったと自慢していた趣味の悪い石が乗った指輪を着けたリナの親指が転がっていた。その指を拾い指輪を外すと、紛争の始まった三日目に、隣町の兵士に犯され切り刻まれゴミのように捨てられた母が、運動会で作ってくれたお弁当のソーセージを思い出し、少し微笑んだ。

そんなやたら暑かった夏の日が蘇る。


死んだ人間は楽だな。


「何か言ったか?」


「いや、何も無い危険度LEVEL7に変更疑わしきは抹殺」


「アーメン、南無阿弥陀仏、何妙法蓮華経、アラー後は省略、約1万人安らかに眠れ!」


何も手を打てない事は無い、ここからは消耗戦が始まる。犠牲者、戦死者、ただの巻沿いがどれだけになるかは神のみぞ知る、神も神で有る事を放棄する世界かも知れない。


歴史の中でも神は何度も沈黙した。



バスに揺られ、日差しのせいか幸福感に包まれる。

「とうさん、少し眠るよ。大丈夫、

箱は開けたから…」

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