3
翌日、夏葵は久しぶりに町の商店街をひとりで歩いていた。
今日は浜辺に足が向かなかった。別に遥陽と顔を合わせたくなかったということではなく…と誰にでもなく言い訳をする。
蝉の鳴き声が絶え間なく降ってくる。歩道沿いの花壇に咲いたマリーゴールドが、陽射しに眩しく揺れていた。
レコードショップの前まで来ると、懐かしいジャズの音が微かに外まで漏れていた。
店の中に入るといつものように涼しい空気が迎えてくれる。
カウンターの奥では店主がレコードを磨いていた。
「こんにちは。」
夏葵が声をかけると、店主は顔を上げにこりと笑った。
「お、こんにちは。いいタイミングだよ。ちょうど新しいのが入荷したところでな。」
「見てもいいですか?」
「ああ、そこの棚に並べてあるからじっくり選んでいくといい。」
指された棚の前にしゃがみ込んで、ジャケットを一枚一枚めくっていく。背中越しに店主が鼻歌を口ずさんでいるのが聞こえた。
――あれ?
気づけば、遥陽の姿がない。
さっきまで、確かに一緒に来ていたはずだった。家を出てから駅で待ち合わせたはずなのに、駅前の信号を渡るときも、ショップに訪れるまでの道のりも隣にいたはずなのに。
そこまで思いかけ、ふと我に返った。
いや、今日はひとりで来ていたじゃないか。彼女に会いたくないと、心のどこかで思っていたからひとりで来たのに。
ここ最近ずっと遥陽と居たからだろうか、常に彼女が隣にいるように感じてしまう。
「あの、これ…。」
気になるレコードを見つけ夏葵が口を開きかけたとき、1つ奥の棚の向こうから遥陽が顔を覗かせた。
「なーに固まってるの? いいのあった?」
「あれ、遥陽も来てたんだ。気付かなかった。」
「えー!夏葵がお店に入る時から近くに居たのに!気づいてくれなかったの?」
「それなら早く声を掛けてくれたら良かったのに。」
なんてことのない会話なのに、喉の奥が妙に乾いた。
夏葵はゆっくりと立ち上がり、棚から目当ての一枚を抜き取った。
「これ、視聴できますか?」
「あぁ、針を乗せてあげよう。」
カウンターに持っていったレコードを、店主が受け取る。その横に遥陽が立っていた。
だけど、店主の目は彼女に一切向かない。
思えば、遥陽を出迎える声も聞こえなかった、
初めてふたりで来た時もそうだった。
夏葵が「ふたりで来た」と告げ、隣の遥陽が会釈をした時、店主は少し戸惑ったような表情を浮かべぎこちなく挨拶を返していたのを思い出す。
「おっ……その子、どこかで見たことあるような顔してるなぁ。誰だっけ?」
夏葵の動きが一瞬止まった。
「え?」
「ほら、そっちのジャケット。昔のCMで使われてたアーティストの。思い出せそうで出てこないんだよなぁ。年を取るって嫌になるね。」
――なんだ、そっちか。
心のどこかが冷たくなる。
遥陽は今も隣に立っている。
その顔を、表情を、声を、夏葵ははっきりと感じている。
なのに、店主は彼女の存在に何ひとつ反応しない。
「このレコード、買います。」
「気に入ってくれたなら良かった。また感想聞かせに来ておくれ。」
会計を済ませ店を出ると、陽射しが眩しかった。
遥陽はさっきと同じように隣を歩いている。
でも今日はその存在が、ひどくぼんやりとしたものに思えた。
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