ふたりの音

1

 蝉の声が遠くで溶けていく昼下がり、夏葵は街の図書館へ足を運んだ。

 観光客の多い海辺の町にしては、驚くほど静かでひんやりとした空気が漂っていた。


 入り口近くの掲示板に貼られた「図書館まつり」の手書きポスターを横目に階段を上がる。2階の閲覧室は、平日のせいか人もまばらだった。


 彼女はすでにいた。

 窓際の席に座り、開いた雑誌の上に両肘をついて、頬杖をついている。


 「おそいよ、夏葵」


 小声でそう言う遥陽に、夏葵は小さく笑って隣に腰を下ろした。


 「君、図書館なのに普通に喋るよね」


 「シーッて怒られたら静かにするよ」


 その言葉通り、近くの司書が咳払いをした瞬間、遥陽は大げさに口に指を当てていたずらっぽくウィンクをした。夏葵は思わず吹き出しそうになり、慌てて顔を背けた。


 遥陽といると、音が日常のあちこちに溢れていることに気づかされる。

 本のページをめくる音、古い椅子が軋む音、天井の空調の微かな揺らぎ。

 彼女はそういった音を見つけるのが得意で、それを聞いて楽しんでいる。


「ねえ、これ見て。貸し出しカードが全部手書きなんだよ。懐かしくない?」

「懐かしいって言うほど昔の人間じゃないけど……何なら俺が通ってる高校は未だに手書きだし。」

「へぇー、夏葵のところは手書きなんだ。でも、こういうのっていいよね。“誰かが触った証拠”って感じで。」


 遥陽の指先が、貸し出しカードの誰かの名前の上をなぞる。

 夏葵はふと、彼女が「誰かの残した記録」をそんなふうに嬉しそうに見る姿に、言いようのない違和感を覚えた。


 けれど、言葉にするには小さすぎた。

 むしろ、今はこの静けさの中に一緒にいられることの方が大事だった。


 


 図書館を出たふたりは、日差しのなか並んで歩いた。

 蝉の音が図書館の静けさとは対照的に耳の奥まで満ちている。


「次、どこ行く?」

「古いレコード屋さんに行ってみたい。夏葵の音のルーツがあるかもしれないし。」


 そう言って遥陽はまるで風に乗るみたいに軽やかに歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る