第5話 命令のない快楽

 口の中の温度が、徐々に高くなっていく。


 湿度と匂いと、舌に触れる微かな脈動。

 それらすべてが、沙耶の五感を侵食していた。


 耳元には、もう命令の声は届かない。


 なぜなら、もう何も言われなくても――

 彼女は、自分の意志で唇をすぼめ、舌を動かし、手を滑らせていたから。


 (もう……わかってる。どうすれば喜ばれるか……)


 羞恥心は、どこか遠くに置き去りになっていた。

 あるのは、熱。反応。

 自分の動きに合わせて変わっていく彼らの呼吸と微かな呻き声が、沙耶の中で確かな“答え”になっていた。


 「……すごいですね。何も教えてないのに」


 誰かの声が頭の上から降ってきた。

 それに応えるように、沙耶はわずかに口を緩め、また舌先を這わせる。


 両手にも、まだ別の熱がある。

 握る、撫でる、圧を調整する。

 まるで、“使い慣れた道具”のように自然に動いていた。


 (違う……そんなはずじゃなかったのに……)


 電車の揺れが、ゆっくりと身体を揺らす。

 その振動に乗せて、沙耶の手も、腰も、わずかにリズムを刻んでいた。


 唇に当たる熱の輪郭を舌先でなぞる。

 それが誰のものなのか、もうどうでもよくなっていた。


 目を閉じれば、ただ熱があるだけ。

 舌の奥、手のひら、脚の間――どこも、彼らの熱に触れているような気がした。


 「命令がなくても動く……そういう身体になってきましたね」


 沙耶はその言葉に、否定すらしなかった。


 だって、それはもう“真実”だったから。


 息が浅くなる。

 喉がかすかに鳴る。

 指先が、少し強く、滑る。


 それだけで、誰かがかすかに震える気配があった。


 (わたし……気づかないうちに……)


 羞恥の上に、快感が降り積もる。

 もう、自分のものではないような身体が、ただ反応を繰り返していた。

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