あの、泣いたことはあまり言わないでもらえると
涙と景色を流して、俺はスッキリしていた。心の奥に会ったわだかまりが洗われて、嘘のように軽くなっていた。
けど、ふと振り返ると穂乃果前で情けなく泣いてしまった。それになるべくならあまりないていた事は人にバレたくない。
男の意地というか、なんというか。例えるための話が思いつかないが、やっぱり泣いたという話は客観的にも恥ずかしいし、主観的にはとても恥ずかしい。
だから、このことはどうか内密にしてもらいたい気持ちがあった
「あの、穂乃果さん。今回泣いたことは内密にして貰えると助かるのですが」
「ん〜? どうしようかあ」
悪魔的な笑みを浮かべて穂乃果は考えていますみたいな顔をする。この顔は見返りを寄越すなら黙っておいてやるという顔だ。
長年付き合っている腐れ縁だから言葉なんかなくても理解できる。
「ジュース一本?」
「バーゲンダッヅ一個」
「……はい、分かりました」
俺の立場が弱いことをいいことに、高いアイスを要求された。泣いたことをバラされる事を考えたらまだ優しい。けど、財布には優しくないし、次に泣くのは俺の財布の中身に決まってしまった。
足元を見やがって!とか文句の一つでも言いたかったが、それをした後のことを考えたらここは大人しく買うのが吉である。
俺と穂乃果は山を降りて、近くのコンビニでアイスを買って帰路に着いた。
「お帰り、遅かったね」
家に帰ると夕食の支度をしていた母が玄関に顔を覗かせる。
遅かった、と言われて時計を見ると時刻は十九時を回っていた。そんなにもあそこの山にいたのか。
「色々あって」
色々なんかない。あったのは俺の泣き顔と綺麗な景色だけだ。しかし、母は何かを察したかのように「あっ、そう」とだけ言ってまた夕食の支度に戻った。
「ふぅ……疲れた」
自室で学ランから灰色のスウェットに着替える。今日は怒涛の日で疲れた。
朝から性別が変わってしまって。言ってしまったら、世界の形が突然に変わってしまったみたいなもんだ。それを俺一人だけが味わって、全く持って大変で迷惑な話で。
でも、愚痴を吐いたところで世界は変わらないし、一歩すらも進まない。先の見えない暗闇にランプ一つすら持つことを許されないまま、放り込まれて千鳥足で歩いてるのが今の俺だ。
「疲れた……」
天井の白さが嫌に目を貫いて、時計の針の音が耳を撫でる。母が夕食だと伝えに来て、風呂に入ってこの日はそっと眠りについた。
そして、目が覚めても体はそのままだった。別に期待はしていなかったけど、やっぱり現実なんだなと目の前に突きつけられた。外で鳴いている雀が呑気で羨ましく思える。
「おーい!たけし〜! 学校行こうよー!」
朝ごはんを食べようと階段を降りていたら、外からデケェ声で穂乃果が俺を呼ぶ。時間はまだ七時をちょっと過ぎたぐらいだ。
学校へ向かうにはあまりにも早すぎるし、それに飯も食っていない。何をしに来たんだ、あいつは。
リビングに向かっていた足を玄関に向けて、扉を開ける。
「穂乃果、何時だと思ってるんだよ」
「七時ちょっと過ぎたぐらい?」
「うわお、完璧な体内時計。じゃっ、朝ごはん食べてくるから」
「たけし、穂乃果ちゃんがわざわざあんたを迎えに来てくれたのにそれは無いでしょ。ねえ?」
「本当ですよ、私をなんだと思ってるんですかね?」
後ろから母が穂乃果サイドにまさかの加勢を始める。あの声のボリュームだから聞こえているのは不思議では無いが、加勢しに来るのは想定外すぎる。
「おいおい、二人で協力するなよ」
「今日のご飯はパンだから食べながら行きなさい」
「え、でも」
「でも、クソもねえ。はよ、行けバカ息子」
「ええ……分かったよ」
こうして母の加勢のせいで俺は負けてしまった。いや、まあ穂乃果一人でも負けていたと思うけど。
急いで学ランと歯磨きをすませて、俺はパンを口にくわえて穂乃果と学校へ向かう。
「なんでこんなに早く来たんだよ」
「黙って着いてこい」
「あ、これ教えてくれないやつですね」
「正解」
昨日の学びからこう言われたら教えてくれないことは学習済みだ。今日も大人しく俺は穂乃果の背中を子アヒルのように着いていく。
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