【童話】

「嘘だとしか思えないわ。あたくしたちを守る鉄壁の大門が、こんな有様だなんて」


 ハクジがわなわなと震える口元を手で押さえて、目の前の惨状を嘆いた。大門は開かれたまま。その足元には門番が無造作に倒れている。

 まだ濃霧の山に誰かが潜んでいるかもしれない。

 わたしたちは見張り塔の裏側へ身を潜めた。

 しゃがみこんだ途端、手足の力が抜けた。がくがくと震えが止まらない。たくさんの人が青い血の中で死んでいた。それから、智景だってバクフウに殺された。

 目にした恐怖が、今になってじわじわとわたしを浸食してくる。


「小町、ここは大丈夫だ」


 スミが抱きしめてくれる。ハクジがわたしの手を握り直してくれる。


「うん、でも、まだ城にたくさんの人がいる。マドンナさんやライメイさんだって」

「マドンナがいるなら平気だ。あいつは強いから」


 スミは「それよりも」と続けた。わたしたちは耳を傾ける。


「智景はハクジを狙っていた。奴らの狙いの一つだと考えていいだろう」


 他にも狙いがある。それは智景が発した言葉の節々から、この場にいる誰もが簡単に推測できた。

 固い声でハクジが言った。


「アンダーランドに生きるあたくしたちを皆殺しにすることよ」


 信じたくはない。けれど信じるしかない状況だ。バクフウはそれにいち早く気づいたから智景を手にかけた。


「敵は六人以上いる。治安維持部隊が動いているんだ、厳しかろうが必ず奴らを制圧してみせる。俺もこれから加勢しに行く」


 スミは二人を見ていてくれ、と続けたバクフウはすでに歩き出していた。


「行かないで、バクフウ!」


 その背に向かって叫ぶハクジの口をスミの手が塞ぐ。

 ゆっくりと振り返ったバクフウが、にいっと屈託なく笑ってみせた。


「ハクジ姫、俺が戻ってくるまで上手に隠れていてください。約束ですよ」


 再び向けられたバクフウの背中が暗闇に紛れて行く。

 暴風をもろともせず、遠くから聞こえてくる絶叫。城や住宅街の一部からは火の手が上がっている。

 美しいアンダーランドは一夜にして崩れ去った。

 頭上を見上げれば、いつの間にかちらほらと蛍石が輝き始めていた。この惨状なんてお構いなしに。

 大門へ避難してくる人は皆無だった。それを分かっている侵入者もまた大門にはいない。

 暗闇に紛れ、誰一人逃すことなく確実に殺すという自信。もしくは、逃げても構わないという余裕か。いや、どちらもかもしれないし、そもそも見当違いかもしれない。

 長い緊張と沈黙は、変な思考回路に繋がってしまうみたいだ。


「語り継がれるかなしい記憶、という童話をご存じかしら?」


 ハクジも同じかもしれない。唐突に何を言い出したかと思えば、気の抜ける話題だった。わたしは小さく笑って頷く。美しい旋律をBGMにして、マドンナに教えてもらったことがある。


「知っていますよ」

「あれはあたくしの母を笑いものにするために出来た物語ですのよ」


 遥か昔、母がアンダーランドを統治していた時代は見るに堪えなかった。母は贅沢に惜しむことなく金を使い、使い切ればコロニーに住まう者達から奪い取った。人々は辟易とし、アンダーランドを捨てて出て行く者すらいた。いくら母の娘とは言え、まだ幼かったハクジに発言権は無く、次第に人々の表情が死んでいくのを見ているしかなかった。

 そんな中、風が吹いた。


「正に希望の風でしたわ。人を乗せて来てくれましたの」


 大きな船に乗った大勢の人間がこの地に舞い下りて来た。彼らは美しい母へ助けを求め、外面の良い母はそれを快く受け入れた。

 人間は知識の塊だった。荒れ果てていた広大なアンダーランドは、彼らのおかげで緑に溢れ返った。それだけではない。コロニーに住まう人々を助けるため、政策にも口を出してくれた。

 まるで魔法だ。コロニーが光り輝く。ハクジは一瞬も見逃したくないと目を凝らす。

 ハクジが魔法に夢中になっている間、母に変化が起こっていた。人間に恋をしたのだ。


「二人は、子供だったあたくしの目から見ても、心底愛し合っているように見えましたわ」


 アンダーランドは人間のおかげでコロニーとして息を吹き返した。人々の目が生き生きとしているのが伝わって来る。それと同時に、母への不満や憤りも同じくらい感じた。


「何年も経ってから、また風が吹きましたの。俗にいう舞い上がる日ですわ」


 風は人間を連れて行く。母は咄嗟に愛した男の手を握り締めた。「おいていかないで」と言った声は、今でもハクジの耳に残っている。ハクジを生んですぐに父は亡くなった。だから、この人間の男が新しい父になってくれるなら嬉しいと素直に思えた。

 母と男の体が宙へ浮く。

 それでも母の手は男を離さない。もしかしたら、このまま母を連れて行ってしまうかもしれないという焦燥が浮かんだが、それは杞憂だった。

 二人の姿が豆粒ほど小さくなってしまった時、男が母の手を離したのだ。

 一直線に落下する母。短い悲鳴の後、ぐちゃりと潰れる嫌な音がした。

 ハクジの目を隠したのはバクフウの小さな手。それから、耳に届いたのは母に仕えていた執事の声。


「これぞ、報いですな」


 母の死は、アンダーランドに歓迎された。

 訥々と語り終えたハクジは、こうまとめた。


「最後に捨てられてしまった可哀そうな母を笑うための物語。これが童話の真実よ」


 それから蛇足だとでもいうように、細く小さな声がわたしに向けられた。

 智景が言っていた犠牲者について。


「母に愛されてしまったあの男は、いつ帰れるかも分からない地底界で生き残るため、母へ偽りの愛を向けたのかしら。そういう意味では、確かに犠牲者と言えるわ。母は残酷な人だったもの。人から物を奪うことに迷いがないし、人の気持ちなんて推し量れない。悪人そのものですわ。そんな母を誰かが好きになるはずなかったのに、母もあたくしも、愚かにも信じてしまったんだわ」


 ハクジは一筋の涙を流して、崩れ去ったアンダーランドを見る。


「ですけれど、今の姫はあたくしよ。こんな残忍な復讐を決して許しませんわ」

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