【地獄の階段を進んだ】

 この日も朝から晩まで働いた。

 初日よりも当然の如く難易度があがって、頭と体はくたくただ。わたしとライメイを迎えに来たバクフウが苦笑いを浮かべる。


「お疲れさん。アンダーランド一の人気店だから、まあそうなるよな。馬車で少し眠るといい」


 馬車に乗り込むと、昨日と変わらずスミと智景がいた。ひらりと手を振る智景の機嫌が見るからに良さそうだったので思わず尋ねた。


「何かあった?」


 ドアを閉める手を止めて、バクフウが応えてくれた。


「これから入り口近くの見張り塔に向かうんだ。智景は門番に興味津々だから、嬉しいんだろうよ」

「俺、やっと門番が出来るんだ」


 バクフウがすぐさま呆れたように言い返す。


「だから門番の仕事じゃねえっつってんだろ。今日は情報を受け取りに行くだけだ。何でもようやく北の方で微風が吹いたらしくてな。まだ舞い上がる日になるか舞い下りる日になるか分からないほど小さいとのことだが、その道のプロに聞いておこうと思ってな」

「本当に助かる」


 スミが頭を下げるのを制したバクフウは、そそくさとドアを閉めて操縦席へ移動した。

 わたしの顔色を読んだかのように、スミが付け加える。


「バクフウが仕入れてくれた弟の情報もあるぞ。他所のコロニーからアンダーランドへ向かう大道を、風貌が似ている男が歩いていたらしい。確証はまだないが」

「そっか、今度こそ会えるといいなあ」


 まだアンダーランドに来て間もないのに、早くも状況が良い方へ目まぐるしく進んでいく。協力してくれる人たちがたくさんいるおかげだ。


「わたし一人じゃ、どうしたってたどり着けなかった。本当に、みんなにありがとうだね」

「礼を言うには気が早すぎる」


 顔を見合わせて笑っているところに、小さな咳払いが介入した。

 狭い馬車内でぶらぶらと足を動かす智景が、目を輝かせていた。


「弟もいんの? どんな奴」

「名前は都司って言います」

「へえ、都司って言うんだ」


 わたしがそう答えた途端、興味が失せたように車窓へ目を向けた智景の横顔は、ネオンの輝きに照らされて青白かった。


「美味しそうな飴屋さんあるじゃん。へえ、今度行ってみよ」


 わたしの弟に興味はないようだが、るんるんなのは変わらない。智景は次々と映り変わる景色を見ながら、上機嫌にリアクションを続けた。

 静かに止まった馬車から降りると、目の前には大門があった。


「見張り塔はこっち」


 バクフウに案内されるまでも無く、それはすぐに見つかった。大門に寄り添うようにして立つ、石造りの長細い建物。

 至近距離で見ると、顔を真上に向けてもてっぺんが見えないほど高い。

 見上げているとスミに手を引かれた。


「最上階に門番長がいるから、会いに行こう」

「うん」


 意気揚々と返事をしたわたしだったが、早くも挫けそうな事態に直面した。ライメイなんて腰が引けている。


「いやいやいや、無謀だよこれは。私は辞退するね」

「ここまで来たんだ、行くぞ」


 スミとライメイの押し問答が始まったのも無理はない。

 まさか最上階までの移動手段が階段だけとは思わなかった。都司のためだと腹をくくったわたしとは違う、ライメイによる必死の抵抗は続く。

 智景が「まあそうなるよな」と言った顔で続ける。


「ちなみにマドンナさんは、下半身の筋肉より上半身を鍛えたいからって、今日も別で帰ったぜ。なんでもちょうどいい懸垂場所を見つけたらしい」


 実にマドンナらしい言い分である。

 さて、どうしたものかと争う二人から距離を取って立っていると、智景に肩を叩かれた。


「どうせ上るだろ。先に行っとく?」


 わたしは少しだけ逡巡した後、こくりと首を動かした。

 長旅で体力がついた気がしていたが、それは幻想だったと秒速で思い知らされた。額から滝のように流れ落ちる汗を拭う。

 果てしなく続く螺旋階段を見上げても、真っ暗で終わりが見えなかった。十階を過ぎたあたりでカウントするのはやめた。


「これはマジでキチー。ライメイが拒否るのも分かるわ」

「あと二十階以上はあるぞ、頑張れ」


 わたしたちの数段下から、疲れの見えない飄々としたバクフウの声が聞こえてくる。さすが治安維持部隊なだけあると感心した。


「冗談きっつ。はは、マジか」


 智景の頬は引きつっていた。それからは少しでも体力を温存する為か、極端に口数が減った。

 時間の感覚はとうに麻痺している。数十分か、それとも数時間経ったのかも分からない。

 螺旋階段では人数分の足音がよく反響した。その音だけを無心で聞きながら足を動かしていると、ようやくバクフウから声がかかった。


「このドアの先が門番長の部屋だ」


 ようやく到着した。膝に手をついて息を整える。けれど一度立ち止まったら駄目だった。

 膝が震えて動けないわたしを他所に、智景が気力を振り絞ってドアを開け放った。


「はじめまして、智景です!」


 からっとした笑顔を張りつけた智景が、勢いよく挨拶するのを後ろから眺める。

 ドアを開けたのは自分なのに、智景は一向に中へ入ろうとしない。それどころか時が止まったかのように微動だにしていない。

 どうしたのだろうか。ようやく足を動かすことができたから、わたしは智景越しにそうっと中を覗き込んだ。


「ひい!」


 途端、甲高い悲鳴が耳を刺した。

 ここは門番長の部屋だから、中にいるのは門番長なのだろう。


「は、はじめまして。わたしは小町って言います」

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