【濃霧の山に登頂するはめになった】
七日もあれば辿り着くだろう。
オボロがそう言っていた通り、旅は順調に終盤を迎えた。
「だからって最後の最後でこれは無くない?」
わたしの頬がぴくぴくと痙攣する。現状を笑い飛ばしてやろうとしたが、口から零れたのは失笑もいいところであった。
目前には、通せんぼをするかのように立ちはだかる、遥か先まで続いている雄大な山脈。
エベレスト以上の標高ではないかと疑いたくなるほどに高い、ような気がする。はっきりと言えないのは、山の中腹あたりから上はぼんやりとしていて見えないのだ。
「この濃霧の山を越えた先がアンダーランドだ」
地図を見るスミの後ろから、ライメイがひょっこりと覗き込む。その顔は忌々し気に歪んでいる。
「今日で旅に出て四日目。ここから先はずっと山の中ってことね、オーケー。そう言えば、昔もこの山に苦しめられたことがあったような気がするよ」
「思い出したなら話しは早い。陣形を組んで突破するぞ」
昔、この山に来た時にスミが編み出した陣形があるらしい。真剣な顔でわたしたちに教えてくれたのは、仲良く手を繋いで歩くことを指していた。
わたしの右手はスミ、左手はマドンナと繋いでいる。
皆のひりついた雰囲気から、決して笑うところではないと察するが、何となく気が緩んでしまう。そんなわたしに気付いたのか、マドンナが釘をさすように言った。
「絶対にこの手を離しては駄目よ。あたしたちを惑わせる恐ろしい山なの。濃霧の中で離ればなれになってしまったら、簡単には探せないわ」
わたしはマドンナの言葉をゆっくり飲み込む。ただ霧に覆われた山ではない、惑わせる山。わたしは二人と繋いだ手にぎゅっと力を込めた。
山の麓はまだ霧が薄い。ゆったりとした足取りで、四人並んで進む。
スミがマドンナへ視線をやる。
「なあ、最後に来たのはいつだ?」
「この山に? そうねえ、五百年前くらいかしら」
「そうか。俺は百年前が最後だ。記憶が正しければ、以前よりは霧が少ない気がする」
マドンナが驚いたのと、わたしが驚いたのでは理由が違うと思う。けれど、二人の会話をスルー出来なかったわたしは意を決して口を挟んだ。
「五百年前って、何の話し? そんなの二人とも生まれているはずないでしょ」
確かに彼らは地底界に生きる地底人ではあるが、姿かたちは人間そのものだ。寿命が大きく変わるようには見えない。わたしと同い年くらいのスミ、マドンナは少し年上のお姉さん、年下の小柄なライメイ。
薄っすらと彼らの顔に霧がかかっているが、識別は全く困難ではない。
マドンナの顔が笑みを作った。
「いいえ、とっくに生まれていたわよ。だってあたしは二万五千歳だもの」
今は筋肉質で雄々しささえ感じてしまうが、美しいマドンナの笑うとできる小さなえくぼは幼げで可愛らしい。しげしげと見つめたマドンナの目元や首筋に、年老いた者が得る皺なんて微塵もない。「信じられない」と零せば、嬉しそうに片目をつむった。
「ちなみにスミは一万八千歳だし、ライメイは十万歳だわね」
「ねえマドンナさん、本当の本当に冗談ではないですよね?」
「もちろん。人間から見るとね、地底人って気が遠くなるほど寿命が長いの」
わたしは、若々しく張りのある彼らとつないだ手の輪郭を確かめるように、小さく力を込めた。
まさかこの中で年長者がライメイだったとは驚きだ。そう伝えると、ライメイは不貞腐れたように頬を膨らませた。それがまた一段と子供のような仕草で笑ってしまう。
マドンナはひとしきり笑った後、静かにわたしに尋ねた。
「人間と地底人は似ているけど似ていないわ。これからだって、あたしたちのことを怖いって思うかもしれない。それでも平気?」
一緒にいても、関わっても、触れても。マドンナが落とした言葉の先に何が当てはまるかまでは分からなかった。けれどわたしは、自分が彼らに対して恐怖を抱いていないことだけは確実に分かっている。
「みんなに対して怖いだなんて思いませんよ。そりゃあ驚きはしますけど、地底人って時点で人間ではないんだし、育った環境だって食べ物だって、いろいろ違って当然じゃないですか。だからそんな違いだけで、みんなを見る目が変わる理由にはなり得ないです」
ずっとだんまりを決め込んでいたスミが肩を揺らして笑った。
「やっぱり小町はすごいな」
「何もすごくは無いよ。たぶん、わたし以外の人が地底界に来たとしても、スミたちに出会ったら同じように思うだろうね」
例えばスミと夜明けを見上げて語らう時、地底人と人間の二つに分けて接するには、あまりにも規模が大きすぎてしっくりこない。わたしはただ、地底界に住む地底人のスミと同じ目線でいるだけなのだ。初めにスミがわたしにそうしてくれたから、同じように返しているだけ。スミはやっぱりすごいなとよっぽど言い返したかったけれど、そうっと胸にしまった。
霧が一段と濃くなってきた。
マドンナは歌が上手で、地底界の民謡をたくさん教えてくれた。カントリーミュージックのような、どこか牧歌的な情緒が感じられるものが多い。
新たに口ずさみ始めた曲に心当たりがあり、はっとする。
「この曲」
「そう、童話の<語り継がれるかなしい記憶>を題材とした歌よ」
「歌まであるんですね」
ついに霧のせいで一歩先すら見えなくなってしまった中、マドンナの透き通った歌声と、両手に繋がれた温もりだけを頼りに歩みを進めた。
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