【アンダーランドへ向かった】

 蛍石がぽつぽつと輝き始めた。

 地底界の夜明けを見上げるわたしは今、岩壁を登りきったところにいた。

 スミは地図を確認している。わたしも見せてもらったが、知っている地図とは全く違った。星やハートのマークが散らばっている、何ともファンシーな地図だったことに驚いた。

 何度目かの地図の確認を終えたスミが顔を上げる。


「護衛が来たらアンダーランドへ出発だ」

「うん。忘れ物は無いと思う。あれだけ確認したから」


 背負ったリュックはずっしりと重い。その重さ分の安心感を抱えて、わたしは今日、コロニーを発つ。

 レストランでアンダーランドの話しを聞いてから今日まで四日かかった。旅の準備に追われていたのだ。特に大変だったのは行きの食料の確保だ。日持ちする食料は希少だったので、日数分を用意するのに時間がかかった。


「小町は見るからにそわそわしているな」

「旅するの初めてだから、落ち着かないや」


 まだ見ぬ地を思い、足がうずうずする。

 アンダーランドの悪い噂はたくさんあったが、それだけでは無いことは学んだ。マドンナの部屋に入り浸り、本を漁ったおかげである。子供向けの本は絵や記号だけだったから、地底界の字が分からないわたしでも何となく理解できた。

 お菓子文化が非常に発達しているらしい。それから服飾も。甘党やお洒落好きな人にぴったりなコロニーだそうだ。


「おーい、二人ともお待たせ」


 岩壁の頼りない階段の方から声が聞こえる。 

 目を凝らすと、ここ数日で見慣れたワインレッドの頭が見えた。

 快くわたしたちの護衛を引き受けてくれた、頼れるお姉さんの登場だ。


「マドンナさん」


 しかし近づいて来るに連れて無視できない違和感を覚えた。マドンナってこんなに大きかったっけ。

 目の前に立つマドンナは巨体だった。スレンダーな腰回りや豊満な胸元を有す魅惑的な体型は露ほど見えず、その代わりに主張してくるのは肩や両手両足に乗った分厚い筋肉である。


「そんなに物珍しいかしら、この力こぶ。護衛の仕事だからしっかり筋肉をつけないとでしょ、だから筋トレを頑張ったの」

「この四日で一体どんなトレーニングをしたんですか。昨日は会わなかったけど、二日前はいつもと変わらなかったのに」


 ボディビルダーの如く次々とポーズを見せるマドンナ。開いた口が塞がらないわたしの肩にそっと手が添えられた。

 お下げ頭の小さな少女、ライメイがそこにいた。


「あれ、ライメイさんは何でここに?」

「やあ。私は気まぐれな水晶を持っているからね。同行するようにリーダーから言われたんだよ」


 ライメイがわたしの人差し指を見て破顔した。


「その指輪してくれてるんだ。私もしているんだよ、ほら」


 ライメイからもらったダイヤモンドの指輪を、わたしは気に入って良くつけていた。旅に持って行くか悩んだが、何となく指に馴染んできた指輪を抜く気になれなくて、結局今も嵌めたままだ。

 ライメイも同じなのかもしれない。その小さな指に嵌っている可愛いピンク色の石は、ライメイにとても良く似合っている。


「やっぱりいつ見ても綺麗ですよね」

「そうそう。蛍石の真下で見るのが一番おすすめだよね」

「分かります」


 指を動かすたびに光が反射して、きらきらと輝くのだ。そこにマドンナも加わった。巻き髪をまとめているバレッタを見せてもらうと、飴玉くらいあるエメラルドやルビーが散りばめられていて華やかだった。このバレッタは職人に作って貰ったそうだ。すごく綺麗。

 三人で盛り上がっていると、スミから声がかかった。 


「おい、そろそろ出発するぞ」

「はあい」


 わたしたちは隠された庭がある方面に向かった。

 予定ではそこを横断したところでテントを張ることになっている。

 懸念しているのは、地面がガラクタで溢れ返っていて歩きにくく、思うような速度では進めないことだ。


「でも今日中に隠された庭は出たいわね」

「いつ舞い下りる風に巻き込まれるか分からないからね。直撃したら大量に降ってくるガラクタたちの下敷きだよ」


 わたしが地底界に来た時もそうだった。ガラクタの下に閉じ込められていたことを思い出してぞっとした。みんなまで巻き込まれてしまったら大惨事だ。

 気持ちだけでも速く進もう。途中まではオボロ率いる管理人によって、獣道のように歩きやすい場所がいくつかあったから助かった。それが途切れたのは、蛍石がぽつぽつと休みはじめてからだ。


「隠された庭ってこんなに果てしないんだね」

「ああ、横断するまでまだ距離がある。一先ず少し長めの休憩を取ろう。食事くらいでしか休んでないから疲れた」


 スミの提案により、近くのガラクタを椅子代わりにして腰掛けた。みんなふくらはぎがパンパンだ。序盤は弾んでいた会話も途絶え、疲労の顔を隠せない。

 マドンナが千切ったパンを口に放り込み、水筒に並々と入っているコーヒーを飲んでから口を開いた。


「ちょっと安心したわ。風が起こりそうな気配はないから」

「風が起こる気配ってどんなのですか?」


 そう尋ねると、マドンナは人差し指をぴんと立てて目を瞑った。


「舞い下りる日と舞い上がる日が起こる場所では、直前に微かな風が吹くの。下に向かう風だったり、逆に地上に向かって吹く風だったりがあるのよ」


 わたしはマドンナを真似してみたが、確かに今は無風だった。

 いつの間にかスミがミルクティーを用意してくれた。温かい湯呑を受け取る。ミルクが多めで甘くておいしい。

 わたしの隣に腰掛けたスミが話しに加わる。ライメイは水晶磨きに夢中だった。


「直前の風は確かに感じやすい。それをもっと前に分かることが出来れば良いんだが」

「コマチを地上に帰すためね。そもそも運よく風が起こる場所にいられる確率は低いものね。ふうん、それでなおさらアンダーランドへ行きたかったってこと」


 アンダーランドと風が何か関係あるのだろうか。

 スミが教えてくれた。


「アンダーランドは地底界で最大のコロニーだ。管理地がどこよりも広い分、風がそこで起こる確率が高い。もしもアンダーランドで微かな風を感じることができたら、小町は無事に帰ることができるだろう。弟がいたなら一石二鳥だしな」


 そうか、都司がアンダーランドにいれば。そして風が吹けば。

 わたしは地上に帰ることができるのか。

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