【そこは隠された庭だった】

「暗くなる前に、俺の家へ行こう」


 スミは足元に落ちていた懐中電灯を拾い上げながらそう言った。使い方が分からないのか、振ったり叩いたりして遊んでいる。

 わたしは頭上に広がる蛍石を凝視して問う。


「こんなに光っているのに、暗くなることがあるんですか」

「当たり前だ。蛍石が休まずにずっと光っているわけがないだろ」


 呆れたような顔をするスミに、今日ここへ来たばかりのわたしは少しだけカチンときた。分かるわけないと反論したかったが、小さくお腹が鳴ってしまったので一先ず言葉は飲み込んだ。


「道はこっちだ。着いて来い」


 わたしたちは地面が見えないほど積み重なっているガラクタの上を歩く。

 またぬいぐるみがあった。今度はうさぎだ。テレビや掃除機の家電もよくある。わたしは倒れている冷蔵庫を飛び越えた。その先でスミが待っていてくれた。

 歩きながら、スミがいくつかのことを教えてくれた。この地こそが隠された庭だということ。舞い上がる日がいつ来るのか誰にも分からないこと。地底界に点在するどこの隠された庭で風が吹くのかすら予測できないこと。


「たまにだけど、あんたのように人間が舞い下りてくる日がある。風を探すのに時間がかかっても、地上に帰った人を何人も知っている」


 慰めてくれているのだろう。ぶっきらぼうな物言いだから分かりにくいが、ちゃんと温かい気持ちが伝わった。


「わたしの名前は狭間小町はざまこまちです。あの、慰めてくれてありがとうございます」

「別に」


 スミは持っていた懐中電灯を無意味にいじる。その拍子にスイッチが押されて光った。まだ電池が切れていなかったみたいだ。

 顔に直撃したライトに驚愕するスミを見て、わたしは堪え切れず笑ってしまった。


「おい笑い過ぎだ」

「ごめんなさい。でもおもしろくて」


 口を引き結んでも、隙間から漏れてしまう。それに釣られるようにスミも笑った。

 今度はスミと並んで歩いてみた。

 さっきよりも柔らかい空気に包まれて心地良い。良い人に出会えてよかった。いや、地底人と言ったほうがいいのだろうか。人間のわたしと同じ姿かたちをしているから、地底人だと言われてもしっくりこないでいる。日本語も通じるし、いったん保留と言うことにしよう。


「しばらく真っすぐ進む。足は痛くないか」

「平気です」


 スミが気遣ってくれる。優しいし強いなと思った。

 もしもわたしが日常の中で道に迷っている人や困っている人に遭遇したとして、スミのように戸惑いなく手を差し伸べられるとは思えないから。

 けっこう冷たいよな、わたしって。でも尋ねられた道がどこか答えられないかもしれないし、放っておいても他の誰かが助けてくれるだろうと思ってしまうような気がする。

 つらつらと考え事をしていると、スミに手を引かれた。


「落ちるぞ。この先は崖だ」


 はっとする。目の前に道は続いていなかった。

 底が少しも見えない奈落があった。向こう側まで十メートルの幅はある切り立った崖の前に立っている事実に息を飲む。


「足が竦みそう」

「俺の家は崖の側面にある。歩けないようなら抱えようか」

「いえ、大丈夫です」


 そう返事をしたことを後悔するのは早かった。

 崖の側面には、朽ちかけている頼りない木製の階段があった。切り立った崖は固い土でできていて、そこに足場となる太めの木の板を刺して作ったみたいな、果てしなく簡素な造りにめまいがする。

 一歩間違えれば、即刻奈落の底に落ちる仕組みだ。


「ごめんなさい、やっぱり無理です。死にたくないです」


 片足だけ木の板に乗せて分かった。ベニヤ板並みの強度の低さだと。

 スミは無言でわたしを俵の様に抱え上げると、迷いなく階段を下りて行く。二人分の体重を支える板はいつ折れてもおかしくない。

 これほど死を身近に感じたことは無い。生きた心地がしないという言葉の意味を、はじめて身をもって知れた。


「ほら、死んでないだろ。大丈夫だから顔を上げろ。俺の家はこの先なんだ」


 スミの体にしがみ付きながら、進行方向に顔を向ける。

 奈落の底に向かって続く階段の途中で、別の方向に伸びる足場がいくつも出現した。その中の一つ、地面と平行に続く足場を歩き始めたスミが、途中でわたしを抱えなおした。そのせいで心臓が飛び出そうになる。

 崖の側面には、不規則にいくつもの穴が開いていて、その一つ一つが地底人の住処になっているようだった。


「着いたぞ」

「生きてた、本当によかった」


 足が地面に着いた。

 その事実に涙が溢れる。袖で拭ってもなかなか収まらなかった。スミがあたふたしながら用意してくれたスープを口に含む。美味しくてすぐになくなった。


「いくらでもあるから安心して食え」

「ありがとうございます」


 再びスープが入った器を渡されたので、今度はゆっくりと味わうと決めた。コンソメスープに似ている味でとても美味しい。

 小腹が満たされると、わたしの興味はスミの住まいに向いた。

 壁も床も土でできた簡素な造りだ。六畳ほどのコンパクトなワンルームで、わたしが座っている部屋の中央にあるソファから全てを見渡せる。


「泣き止んだか。ほら、固形物も食え」

「どう見てもフランスパンだ」


 スミが手渡してくれたのは、地上で見慣れているものだった。バターまで用意してくれている。


「過去に地底界に来た人間が作った料理が広まったりしているから、割と多いと思うぞ。まあ俺らの主食は昆虫だが」

「へえ、昆虫」


 さきほど口に含んだスープって、何が入っていたのだろうか。スミがせっかく用意してくれたのに改めて聞くのは憚れる。

 沈黙を貫いていると、悪戯っ子の顔をしたスミが教えてくれた。


「さっきのスープはただのコンソメスープだ。小町は顔に出やすいな」


 わたしはふくれっ面でフランスパンに齧り付いた。食べ慣れた美味しさだ。

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