どうなってもいいや

ももも

どうなってもいいや

 頭が重い。吐き気がする。猛烈に水が欲しい。

 二日酔いだ。

 どれだけ飲んだかどころか、誰と飲んだかも思い出せない。

 動くのもだるいが早く水分補給しろと肝臓が訴える。

 手を伸ばした先に飲み物はないかと目を開けると——そこにあったのはユカの顔だった。

 パチパチと瞬きをしながら、状況を把握しようとする。ここはどこ?

 二人で旅行してダブルベッドしか空いていなかった?

 そんな記憶はまるでない。

 ユカの顔をこんな至距離で見たのは初めてだ。小さな体を丸めて、すやすやと眠る姿は、まるで無防備な小動物。不意に後ろから抱きつくと、ぴょんと跳ねて驚くリアクションがいつもかわいい。

 整った顔立ちに、閉じたまぶたの上のまつげが長くて濃い。ふざけて柿ピーを乗せて爆笑したあの日のことが蘇る。もちろんユカには怒られたけど。

 起こさないようにそっと距離を取りながら、体を起こす。

 そしてピンクがかったどぎつい内装が目に入り、血の気が引いた。


 ――ラブホだった。


(Be cool, be cool……)

 あわてやすい自分を落ち着けるための、おまじないを唱える。

 下腹部に手を当てる。乾いてる。

 けれど、髪の毛のさっぱり具合からして、寝る前に風呂に入っているのは間違いなさそうだ。

 だから分からない。


 ――やったのか、やってないのか。


 ベッドの周囲に、情事のはっきりとした証拠は見当たらない。

 というか、そもそも私とユカって、そういう関係じゃない。

 いつぞや東南アジアを二人で旅したとき、私が予約した安ホテルがなぜかラブホテルで、笑いながら広いバスタブに一緒に入ったことはあるけど、それはそれ。

 ただの、友だち。

 少し前ならそうはっきり言えた。でも今は、ちょっと違う。

 先日、二人で季節限定パフェを食べにいったことを思い出す。

 そのお店ではSNSでハッシュタグをつけて投稿すればドリンクが無料になるキャンペーンをやっていて私は垢バレが怖くてやらなかったけれど、ユカは「無料だー!」とはしゃいで投稿していた。

 家に帰ってそのハッシュタグを検索してユカの垢を探したのは出来心だった。

 私の知らないところで彼女はどんなことをつぶやいているのか、気にならなかったといえば嘘になる。

 後ろめたい想いを抱えながら、私が撮った写真とは逆サイドのパフェ写真はすぐに見つかった。

 オレンジとイチゴの二つのパフェ。投稿時刻も一緒。

 まちがいなくユカのアカウント。

 ただ、その垢名が――私の名前だった。


 ――自分の仮の存在とも言えるハンドルネームを友だちの名前にするなんて、どういう感情からくるものなのだろう?

 その日から、ユカへ向ける感情が複雑なものになったのは確かだ。


 ともかく、水。水を飲もう。

 あわてて水を注いだら、コップの底で跳ねた水が勢いよく床に飛び散った。

「……あー私にも、ちょうだい」

 寝ぼけたような甘い声に、心臓が跳ねる。振り返ると、ユカがベッドに寝転がったままこちらを見上げていた。

「ど、どうぞ」

 おそるおそる差し出すと、ユカは微笑み、起き上がるとこくこくと水を飲む。

 なんてことない、朝のひとコマ。なのに、やたらと唇に目がいってしまう自分に気づき、あわてて視線をそらす。あの日、アカウント名を調べなければ、平常にいられたのに。

「それで、昨日のこと……覚えてる?」

「ぶひょっ!?」

 何ごともない風を装ってユカの隣で水を飲もうとしたタイミングで、思いきり吹き出してしまった。

「え、えっと……」

「覚えてないんだ?」

 軽い調子のその声が、かえってプレッシャーになる。

「お酒を飲んだ」

「それで?」

「一緒に寝た」

「うん、そうだね」

「それ以外は、その、覚えていなくて」

 声が小さくなっていく。ユカは変わらず、ニコニコして私を見ている。気まずい沈黙が流れた。

「じゃあさ」

 沈黙を破ったのは、ユカだった。

「飲み会のあとに終電がなくなっちゃって、私が漫喫行こうって言ったらマナが『ラブホ行こうよ~一番安いよ~前も二人でいったじゃん。一緒に寝ようよ〜』って路上でデカい声で言っていたの、覚えてないんだ?」

「え、そうなの?」

「うん。めっちゃ恥ずかしかった 」

「めんぼくないです」

 安堵が胸を撫でる。つまり、やってない。私たちは、友だち関係のままだ――そう思った瞬間、ユカの頭が私の肩にトンと寄りかかった。

「ゆ、ユカ?」

 甘い匂いが鼻腔をくすぐる。

 そして、次の瞬間。

 体を倒され、ユカが私に覆い被さった。

「じゃあ、やろっか」

「えっ、ま、待って。私たち、女の子同士――」

「だから?」

 ユカの瞳が、まっすぐに自分を射抜く。真剣なまなざしだった。

「一緒に初めてラブホに泊まった日のこと、覚えている? あの時、マナがわざとそうしたんだと思った。だから電気消したあと、なにかあるんじゃないかって私、全然眠れなかった。でも、マナとならいいかもってちょっと思ったのに、マナは爆睡しちゃってさ。それからもう、マナのこと、ただの友だちと思えなくなっちゃった」

 ユカの声は穏やかだった。でもその裏に隠された熱が、ひしひしと伝わってきた。

「マナが悪いんだよ。今だって、こうやってまた私をラブホに連れ込んで、一切その気がないなんて嘘でしょう。今度こそって期待した私がバカみたい。友愛なのか恋愛なのか分からない感情ってさ、向けられると狂っちゃうし、線を一歩超えちゃうと、もう戻れなくなるの」

 あはとマナは笑う。

「本当は昨日でも良かったけれど、あんなに酔っ払っていたら忘れちゃうからね。忘れたふりもできるし? 逃げ道なんて残してあげない」

 マナの小さな手が頬に触れる。いつもぷにぷにと揉んでいた手のひらだ。

「私のアカウント名、気づいたでしょう? わざとバレるようにしてたの。見つけてほしかった。気づいて、何かが変わるって信じてた。実際、あれからマナの態度が少し変わって嬉しかった。でも、それだけじゃ全然足りないの。足りるわけない。私だけがずっと、この気持ちを抱えて蓋をして、ごまかしてなんてもう限界。なのにマナは、のうのうと曖昧な顔して、思わせぶりな態度だけ振りまいて。ねえ、いい加減にしてよ? こっちはもう、心も体もバラバラになる寸前なの。感情が暴れて、苦しくて、壊れそうでもう、我慢なんてできない。だから思い知って。逃げないで。私と同じくらい狂って。そうじゃなきゃフェアじゃない。一緒にぐちゃぐちゃになってよ、マナ――もう、そうじゃなきゃ許さない」

 ああ、まただ。

 心の中でつぶやく。

 楽しく一緒にいたいだけなのに、ずっと一緒にいることができない。

 最初は幼稚園。

 仲良し三人組だったのに、そのうち二人とも私への独占欲と嫉妬がむき出しになって、関係が壊れた。

 次は小学生のころ。

 机移動の時に、友だちの机の中身がこぼれて、修学旅行の時の私の写真が大量にでてきた。それ以来疎遠になった。

 中学生の時は、バレンタインデーに友チョコ!と言って渡したら「そんなんじゃない!」って泣かれて気まずくなってしまったレベルの事件が多々あって、高校生になって、いっそやってしまえばどうなるかと試したら、それはそれはひどいことになって、最期は包丁を向けられた。

 友情はいい。時に大げんかすることだってあるけれど、穏やかにじっくりと育める。

 でも恋愛は、常にジェットコースターのような感情に振り回され、どこに地雷があるか分からない。

 人の性愛をかきたてるフェロモンみたいなものを、発している自覚はある。でも、引き寄せるだけ。

 私にないものをどんどん求められ、最期には「私のこと愛していないんでしょう」と泣かれる。

 もっと器用な人間であれば、きちんと受け止めたり、いい感じの着地点へ導けるだろう。

 けれど、私という小さな器にあふれるように注がれ、こぼれた感情は、周囲をも巻き込み、やがて嵐となる。

 今回はどうだろう。

 わからない。

 でも、ここまできたら――もう戻れない。

 目を閉じる。

 今度こそ、うまくいくようにと願いながら。

 唇に柔らかなものが触れた。

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どうなってもいいや ももも @momom-

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