ゼロ婚

@kankanT

愛は、排出されすぎた。

「おふたりのカーボン・スコアは、基準値オーバーです」

AIの冷たい声が、個室カウンターに響いた。


「そんな、昨日より2.3下がってたのに……!」

彼女が思わず叫ぶと、AIは事務的に補足した。


「昨日から本日までに、以下の行動が確認されました。

・公共交通機関以外の移動:1回(タクシー)

・飲料容器:リユース非対応プラカップ使用

・“炭素集約型”食材の摂取:1品(牛ステーキ)」


「……ステーキ、頼んだの、俺だよ」

彼は目を伏せた。


2055年。

恋愛は自由だったが、“結婚”にはカーボン・ゼロ認証が必要だった。


個人の移動、消費、飲食、ネット使用時間──

すべての生活ログが、CO₂スコアとして自動計算される時代。


AIはふたりの過去一年間の共同行動ログを分析し、

「ゼロ婚認定」を出すかどうかを判定する。


認定されれば、優遇措置として税控除・居住優先権・子どもを持つ権利まで与えられた。

認定されなければ、「炭素的に不適切な関係」として、法律上の婚姻は拒否される。


いわば、愛のサステナビリティ審査だった。


彼と彼女は、再認定のための1ヶ月間、できる限りの対策をした。


移動は徒歩と電動シェアバイクのみ。

外食をやめ、屋上ソーラーで自家調理。

寝具は熱遮断材を使用し、エアコンを使わず眠った。


それでもスコアは足りなかった。


あと、0.7ポイント。


最後の手段として、彼は彼女に提案した。


「別れる“ふり”をしよう」

「別行動なら、ログは分散される。スコアも下がる」


「……でもそれって、ほんとに一緒に生きてるって言えるの?」


彼女は泣きそうになりながら、それでもうなずいた。

そして翌月、スコアはギリギリ基準を下回った。

「ゼロ婚認定」が降りた。


AIからは、金色のバッジと共に自動祝福メッセージが届いた。


“あなたがたの関係は、地球に優しいと認められました。”


二人はそれを眺めながら、同じ部屋で、それぞれ別の方向を見ていた。


それからというもの、「なるべく関わらない」ことが、ふたりの習慣になった。


移動、買い物、食事──できる限り別々に。

一緒にいれば、スコアは上がってしまう。

だから、会わない日の方が多くなった。


家の中でも、会話は減っていった。


喋るより、黙っていた方が電力を使わないからだ。


スマートウォッチは、今日も通知を出す。


“本日、あなたの行動はパートナーと交差しませんでした。

CO₂排出量、記録的低下。おめでとうございます。”


ある夜、彼はふと思った。


「……これ、ほんとに一緒に生きてるって言えるのかな?」


声に出したが、返事はなかった。

彼女はすでに別室の暗闇にいた。


スマート照明が消えている。

エネルギー節約のため、夜はできるだけ寝息すらたてないようにしていた。


彼は、彼女がそこにいるかどうかも、よくわからなかった。


その週、政府から新しい制度のニュースが届いた。


『ゼロ子(ゼロチャイルド)制度』発足

新しい命は、新しいCO₂を生み出します。

出産には、事前の炭素認証が必要となります。

※1年あたりの出産許可数:全国で100組


画面を見つめながら、彼は言った。


「子どもを作るのにも、スコアか……」


彼女は黙ったまま、ただカップの底を見ていた。

水すら、お互いに注ぎ合わなくなっていた。


彼は、ため息をつこうとして、やめた。

息の回数で、酸素使用量がわずかに増えるからだ。


静かな部屋に、AIの音声がまた響いた。


“おめでとうございます。

本日も、ふたりの生活は地球に優しいものでした。”


彼は思った。


「それで、いったい何が残るっていうんだろう」


けれど、その考えも──声には出さなかった。

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