ログアウトされなかった人

@kankanT

短編小説

2059年。

人類はついに“理想の孤独”を手に入れた。


高齢者の多くは、現実の肉体をベッドに寝かせたまま、仮想空間で暮らしていた。

最新のフルダイブ技術により、五感は完全に再現され、老いた身体の痛みも、介護も、もう必要なかった。

ログイン中の彼らは、世界一清潔な街に住み、空を飛び、若き日の姿で友と語らう。


現実よりも優しい“第3の人生”──そう呼ばれた世界だった。


だが、問題があった。


仮想空間に入りっぱなしで、現実の死に誰も気づかないという事例が急増したのだ。


それは“バーチャル孤独死”と呼ばれた。


行政は対策として、AIによる“死亡監視プログラム”を導入した。

60日以上ログイン状態のまま意思疎通がないユーザーは、自動で死亡認定され、アカウントは削除。

遺族には通知が届き、データは一斉に抹消される。


この日もまた、ひとりのユーザーが監視対象に入っていた。


ユーザーID:M-03472

年齢:83歳

居住エリア:第12仮想市区・ノスタルジア街


「削除準備完了」

AIがプロトコルを起動しようとした、その瞬間。

異常が発生した。


画面に、赤いエラーが浮かんだ。


削除不能。

該当ユーザーは、仮想空間内でのみ生存中。


プログラム担当官の片桐は、モニターを二度見した。


「仮想空間“内”で生存……?」


肉体は確実に死んでいる。酸素供給も心拍もすでに停止済みだ。

だが、アバターは自律行動ではなく“思考による自由行動”を継続していた。


つまり、彼の意識は──まだ、仮想空間にいる。


片桐は、仮想空間へログインする。


システム管理者用の透明な姿で、“彼”を探した。

ノスタルジア街の夕焼けの坂道に、いた。

老人がひとり、ベンチに座っていた。


「……あなたは……M-03472さんですか?」


男はゆっくりと顔を上げた。

目が合った。


それは、ただの自動応答ではなかった。

誰かが、そこに“いた”。


「現実では、もう……あなたの肉体は……」


「知っているよ」

男は静かに言った。


「でもここに私はいる。君が目の前にいる、それが証拠だ」


「しかし、生命維持装置も、現実の端末も──」


「私はね、最後のメンテナンスのとき、意識の“全データ”を移した。

仮想と現実を切り離すプラグを、自分で壊した」


片桐は、ゾッとした。


「まさか……意図的に“仮想の中にだけ存在する人間”に?」


「そう。私はここで暮らすために、現実を“死なせた”」


男は空を見上げた。


「現実じゃ、話し相手も、歩く足も、なかった。

ここにはある。

だからね──私は、ここで死ぬ」


片桐はオフィスに戻り、報告書を前に悩んだ。

AIは依然として削除を求めている。

だが、削除するということは、“今そこにいる誰か”を消すということだった。


彼は書いた。


状態:生存(仮想内)

削除保留


その夜、モニターの中。

ノスタルジア街の夕焼けに照らされ、老人は静かにベンチで本を読んでいた。


「現実で死んだって構わないさ」

彼はつぶやいた。


「人間の心は、生きる場所を選べるんだ」


──画面の隅に、通知が浮かんでいた。


新たに2名の“仮想内生存者”を確認

ID:M-06100 / F-02998

状態:生存(仮想内)


そして、ゆっくりと数は増えていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ログアウトされなかった人 @kankanT

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ