第3話 家族への謝罪を込めたスープ

 太郎は厨房に立って、目の前の材料を茫然と見つめた。

 記憶の霧は瓶の中でモヤモヤと蠢き、黒い根っこは何本も枝分かれさせた根をさわさわと動かし、ろうそくの炎の周りを漂う光の粒はチカチカと瞬いていた。

(これで料理なんて作れるのかなぁ……。爆発する武器とか、補助攻撃する魔法の道具とかなら、こういう材料で作るんだろうけど)

 彼の頭の中では、相変わらず料理らしいことは何一つ思い浮かばない。ただ、背後から放たれるイザナミの冷たい視線を感じて、逃げ出す勇気もなかった。


「早くしろ」

 イザナミの低い声に、太郎はびくりと肩を揺らした。

「最初の注文は老幽霊の『家族への謝罪を込めたスープ』だ」

「スープって……こんな材料で作れるんですか?」

 眉間にくっきりした皺を寄せて、太郎はイザナミの顔を見た。

「まずは、魂の声を聞くことだ」

「魂って……あの、幽霊にですか?」

 幽霊、と自分の口が話すたびに、ビクビクしてしまう。それに、幽霊に幽霊と言うのは果たして失礼に当たらないのだろうか。

「儂の注文だな?」

 時代劇の切られ役に似た、老幽霊が太郎を見た。

「あ……はい」

「うむ。家族に謝罪をしたいのだよ、簡単に言うと」

 老幽霊は、皺だらけの口元を指先でさする。

「儂は、仇討ちの協力をしてくれと頼まれたのだ。古い知り合いにな」


 老幽霊の話はこうだ。古い知り合いは、親を殺された。

 なぜ殺されたのかというと、知り合いの親が賭場で大きな借金をしていたという。

 武士の風上にも置けない、と呆れるものの、その知り合いは親を殺したやつを見つけた時、咄嗟に『仇討ちをしなければいけない』と思った。武士たるもの、殺された親兄弟の敵討ちはすべきものと刷り込まれていたからだ。

 敵討ちが、義務や使命だった頃の話である。

「お前が助けてくれればありがたい、と言われたら断るのも武士の恥。そう思って、家族には内緒で手助けしてやることにしたのだ」

 約束した時間にその場所へ行くと、居るのは賭場と関わり合いのある人相の険しい男だけ。古い知り合いは、見当たらなかった。

「怖くなって逃げたのか、それとも最初から、儂を騙すつもりだったのかはわからん」

 相手が刀を抜いたので、自分も仕方なく抜いた。襲いかかってくるので、なんとか避けた。けれど、ずっと避け続けることはできなかった。


「あの時、家族に相談しておけば、もしかしたら助かったのかもしれないと、その後悔が胸の奥にずっとへばりついているのだ」

 老幽霊は、深い息を吐き出して語り終えた。

「それは……大変でしたね」

 聞いているだけだった太郎も、思わずため息を吐き出す。

「よし、これで作れるな?」

「え?」

 イザナミが太郎の肩をぽんと叩いた。

「まずは材料を選べ」

「選べったって……」

 目の前に並んでいる材料は、記憶の霧、未練の根、魂の灯火。

 記憶の霧はなんとなく液体っぽいからスープのベースにはなりそうだ、と太郎は思う。魂の灯火はスープの具材にはなりそうにない。そうなると、消去法で未練の根が残る。

 ワサワサ動く根に震えながら、黒い根っこを太郎が掴もうとした瞬間、根っこが突然跳ね上がり、彼の顔にべたりと張り付いた。

「うわぁ! 生きてる! これ、生きてるっ!!」

 叫びながら顔を大きく振り動かしたが、根っこはしがみついてくる。頭を振った反動で、身体が大きく傾き厨房の棚にドンとぶつかった。ぶつかった後は、カンという金属の音がした。

「何をしている!」

 イザナミは厨房の奥で、仁王立ちになって怒鳴っている。目が鋭く光っているのが太郎からもかろうじて見えた。なにせ、顔には黒い根っこが張り付いているので視界もやや狭められている。


「ご、ごめんなさい! 初めてだから、わからなくて、それで」

 イザナミはため息をつきながら、棚にひっかけてあった鉄鍋を手に取った。

「恐怖に支配されているから、材料も暴れるんだ」

「んなこと言ったって!」

 太郎は、顔にへばりついた黒い根っこを持ちながら、ちらりと老幽霊の方を見た。カウンターで腕を組んで、じっと見つめ返してくる。

(え、何、その目。まさか、殺気じゃないよね)

 逃げたい。でも、どこにも逃げられない。だって死んでるから。

(うわぁぁぁぁん、もうやけくそだ)

 太郎はぐっと指先に力を込める。そして。

「落ち着いてよ、俺も怖いんだよ」

 根っこに話しかける。幽霊に話しかけるのはまだ怖いが、根っこなら怖くない。――変な人だと思われるかもしれないが――思われたところで、死んでいるのだから何も不都合はない。

 太郎が話しかけた途端、黒い根っこは動きを弱めた。

「え? 話しかけたら効くの?」

 太郎は驚きながら、黒い根っこを引き剥がした。わずかな引っかかりがあって肌が痛んだが、そんなことよりも料理を作ることが優先だ。


 おとなしくなった黒い根っこを握ると、ほんの少し温かみを感じられるようになっていた。

 イザナミが用意してくれた鉄鍋に未練の根を転がす。上から記憶の霧を少しだけ注いだ。

「未練の根と記憶の霧、いい組み合わせじゃないか……」

 相変わらず仁王立ちになっているイザナミのつぶやきに、少しだけ安心して太郎は鉄鍋をコンロに置いた。ガスコンロなら少しだけ使ったことがあるが、それと同じように使えるのだろうかと不安に思っていると、勝手にぽわっと炎が点いた。

 イザナミが何かやったのだろうかとチラっと見たが、そしらぬフリで視線を逸らされた。

(点いたのはいいけど、どうやって火加減を調整すればいいんだろう)

 考えているうちに、コンロの火が青白く燃えさかり、鍋からはみ出す大きさに成長していた。

「うわぁ、家事だ! 家事っ!」

 太郎が消化するための水を探そうと足を踏み出した瞬間、イザナミがその頭を素早く押さえつけた。

「火は心を映す。落ち着け!」

 コンロの火は、しゅわわと弱くなる。太郎の心が落ち着くよりも前に、イザナミの迫力に負けたようにも見えた。

「す……すいません」

 炎が落ち着いたところで、太郎は鍋の中のスープをお玉で混ぜた。霧と根っこを混ぜたらどうなるんだろうと思っていたが、どろりとした重さのある液体に仕上がった。ただし、色は黒くて美味しそうではない。香りはしなかった。


(失敗した……)

 太郎は絶望しながらも、スープを皿に盛り、老幽霊の前に出した。手が震えて、皿とスプーンががちゃがちゃと音を立てる。

 手を合わせた老幽霊は、皿を押し戴くように持ち上げ、ゆっくりスープを一口飲んだ。

「……苦いな。だが、儂の心の重さが確かに入っている。まあ、初めてにしては及第点だろう」

 目尻を下げて笑った老幽霊が、少しだけ浮いたように太郎は見えた。

「及第点? ほ、褒められた?」

 太郎はほっとしながら、顔の筋肉を緩めた。

 女子高生の幽霊は、老幽霊の隣でその様子を見守っていたが、やり取りが終わったと判断したのか、身を乗り出して言った。

「次! 次はアタシのデザート作って! 映えるやつじゃなきゃヤダ」

 カウンターの下で隠れていた子供幽霊も後に続く。

「僕のも! でも、僕のはいたずらが入ってるやつにして」


(これが黄泉の日常なのか……? 死んだってのに、こんなに忙しいなんて)

 太郎は頭を抱えた。得体の知れない食材をどう使えば料理になるのか全然理解できないが、魔法を使っているみたいにも思えてちょっと楽しくなってきている。

「客を待たせるな!」

 太郎は声の主であるイザナミを振り返った。相変わらず厳しい目で太郎を睨んでいるが、口元が僅かに緩んでいる。

(イザナミさん、笑ってる? いや、気のせいか……)

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