タラグラ
巡渦
船
「……覚醒第一段階を確認。『おはようウィル。ふふっ、どうしたの?そんなに驚いた顔して』権限外の緊急事態が発生致しました。選択と承認をお願い致します」
耳慣れた機械音で脳みそが覚醒を始める。
聴力だけはかろうじて機能しているようだが、体の方にはまだ感覚が戻っていない。
「解凍までおよそ四分です。その間現状を報告致します。質問等は解凍後に承ります」
まだ頭が重くて意識が万全ではない。
四分くらい待ってくれよと思いつつ、俺の口はまだ動かない。
「前方のカメラF-3にて、自然物ではないと思われる物体が観測されました。地球文明におけるディスプレイのようなものだと考えられます」
人工物、ディスプレイ。覚醒へと思考を引きずるように、曖昧な頭で反芻した。
「全てのセンサーにおいてそれ以外の人工物は確認できません。可能性の高い仮説を提示致します。以降、対象物体を所有する文明を『彼ら』と呼称致します。
<case1> 彼らのステルス技術が地球文明のセンシング技術を上回っており、近傍の惑星に彼らが隠れている。
<case2> 彼らの知性体としての構造上、本船が感知不能である。
<case3> 対象装置は本船の感知可能範囲外から飛翔してきたものである。
より確率の低い仮説の提示を希望される場合は、お知らせください」
他人工物なし。
瞼はまだ動かないが、視覚が機能し始め、黒さと薄い明るさを感じる。
「対象はこちらに対して対話を希望しているように思われます。異文明間対話プロトコルを実行し、こちらから対象とコンタクトを取りますか?その場合のメリットとデメリットを提示致します。
<merit1> 彼らが友好的な場合……」
相手は対話を希望。
ようやく頭が動いてきた。体全体が徐々にほのかな暖かさで包まれていくのを感じる。
「続いてデメリッ」
眼球が動くことに気づいて、煩い仮説提示を停止させた。
「失礼致しました。完全解凍まで残り十三秒」
体だけが動かない状態というのは、金縛りのようで煩わしい。
耳に装着されていたスピーカーが取り外され、前面のガラス張りが開くのが感ぜられた。
「解凍完了致しました」
瞼が動く。目を開いたが、目を焼くような光に刺激されすぐに閉じた。コールドスリープのカプセルがリクライニングのように起き上がり、重力が上半身の一つ一つの細胞にプレッシャーをかける。
唇が動いた。やっと声が出せる。
「ひざァ……ッ」
「申し訳ございません、もう一度お願いできますでしょうか」
久しぶり、と言ったつもりだったんだが。
「ひッ……あ……あーッあ……」
喉に声の出し方を教え直す。
「久しぶり、リズ」
「お久しぶりでございます、ウィリアム様」
おはようボイスはこのタイミングが良かったな。次からはそう設定しよう。
徐々に目も光に慣れてきた。
「再度ご説明が必要な部分、およびご質問などがありましたらお申し付けください。また、中断されました対象とのコンタクトのデメリットについても、必要でしたらお申し付けください」
船内部の装置の輪郭が捉えられるくらいには、目が開くようになった。
「……何年だ?」
「前回ウィリアム様がコールドスリープに入ってから、約百七十七年の時が経っております」
「そんなに寝てたのか」
この旅の中でも、ぶっちぎり長い睡眠期間だ。まあ、当然といえば当然なのだが。
「また、本船が出発してから約二百六十三年経過しており、よって現在は西暦二千四百二年となります。
ウィリアム様の出生日から計算すると現在満三百一歳、そこからコールドスリープ期間の年数を差し引くと満四十八歳ということになります」
正味の年齢自体は変わらない。というより、そもそも四十八年の月日を重ねたかすらも怪しい。
地球を出発したあの日から、あるいはもっと前から、俺の時は止まったままだ。
「正直、俺は二度と目が覚めないんだと思いながら眠りについたよ。全く奇跡的だ」
手の指を開閉させながら、体と脳に血液を回していく。
「まずは対象を見せてくれ」
「了解致しました」
船内のディスプレイが降りてきて、カメラの映像を映し出した。
映ったのは……なるほど、確かにディスプレイとしか形容できない物体だ。正方形の黒い板に、映像が表示されている。
点滅する三つの赤い点。それに三角形が一つと正方形が三つ……これは……。
「ピタゴラスの定理?これがどう対話なんだ?」
「異文明間コミュニケーションにおいて、お互いの文明の情報が完全に共有されていない場合、形式言語による対話を図るのが最適とされています。すなわち、対象の物体は異文明に向けて対話の提案をしている可能性が高いと思われます」
「あー……そういえばそういうのもあったか」
その辺の翻訳はリズがなんとかしてくれる、ということしか覚えていない。そういう細かい話をされた記憶は容易に引き出せない場所に沈んでいる。
「で、対話ってのはやろうと思えばできそうか?」
「はい。先ほどより本船に反応した表示が何度か見られました。これらがその表示です」
船内ディスプレイに動画が並ぶ。こちらの船の動きに合わせ、赤い点が動く様子が見てとれる。
「対象物体にカメラなどのセンサーが取り付けられているのは確実です。こちらからも表示で返せば反応するでしょう」
「じゃあ対話を実行してくれ。対象とのコンタクトを許可する」
「本当に実行して問題ありませんか?対話を試みることのデメリットについては……」
「いいからさっさと実行してくれ。どのみち、そのくらいのリスクは取る他ないんだ」
「了解致しました。では、対象との接触に関する最終確認及び承認を行なってください」
入力ボードと生体認証系の装置が上から降りてくる。
それらの手続きを手早く行った。
「では、対話を開始致します。対象に向けて表示する画像は、こちらの画面にも表示致します」
船内のディスプレイに一枚の画像が表示される。向こうのディスプレイとほぼ同じ画像だが、正方形一つは青、残りの二つは赤で塗られている。
それを表示すると同時に、向こうのディスプレイに別の画像が表示される。
「対話の応答を確認。異文明間対話プロトコルを起動致しますか?」
「対話を許可したんだからそれも許可に決まってるだろ!」
「その場合、承認のための認証手続きを行なってください」
「面倒臭いなァ!」
若干イラつきながらさらなる手続きを行う。
「異文明間対話プロトコルを起動致します」
そしてこちらのディスプレイに、また別の画像が表示され、向こうのディスプレイにも新しい画像が表示され……と思う間にもまたこちらの画像が切り替わる。
そして、画像の切り替わる速度が徐々に上がっていき、すぐに俺の目では認識できない速度になった。
「進捗を表示してくれ」
「了解致しました」
『段階2:共通形式言語の共同作成:37%』
「コーヒーを一杯入れてくれ。それと食事。献立は任せる」
「了解致しました。ではコーンポタージュはいかがでしょう?解凍直後の胃でもお召し上がりいただけると思います」
「いいね、それで」
「了解致しました。こちらコーヒーです」
腕の細いアームにて届けられたコーヒーを一口飲む。
甘い。そしてぬるい。
解凍直後に熱々のブラックコーヒーを飲むことは許可されていないため、いつもこの瞬間は甘ったるくてぬるいコーヒーを飲まざるを得ない。
「途中経過を報告致します。彼らは地球文明と比較して非常に高度な技術を発達させており、高度なステルス技術で(141.7,105.2)方向の星51.40.9.6.72.31.5に生存しているそうです」
どうやら、全くスカというわけではないらしい。
ディスプレイに目をやると、『段階3:自然科学による文明レベルの比較及び単語の作成:82%』と表示されていた。
「ところで、この段階はいくつまであるんだ?」
「段階は五つあり、全て完了させることで互いのほとんどの情報を交換し切ることができます。ただし、文明レベルに著しい差がある場合、文明レベルが低い側が得られる情報は限られます」
別のアームがぬるいコーンポタージュを運んできた。
「また、段階4を終えることで十分な『翻訳』が可能となります」
そういう間に、表示は段階4を完了していた。
「翻訳機が作成されました。メッセージの送信が可能──」
ピコン、と通知音のような音に遮られた。
「メッセージを受信致しました。読み上げますか?」
「頼む」
「了解致しました。メッセージを読み上げます」
『私たちに戦闘の意思はありません。しかし、私たちの生活を脅かすのであれば、相応の抵抗をする用意があります。
もし貴方に一切の敵意がないのであれば、私たちは歓迎する用意ができています。
お返事お待ちしています』
「ひとまず、いきなり戦争ってことにはならなそうだな」
「はい。しかし、メッセージに書かれていることが本当なのかどうかは……」
「わかってるよ。でも文明レベルは負けてるんだろ?ここで戦闘を始めて勝てる可能性はどのくらいだ?」
「あくまでも現状得ている情報のみから計算致します……出ました。
約0.0018%です」
「なら逆に信用できる。もう少し聞いてみよう」
「どのようなメッセージを送信致しますか?」
「文章は作ってくれ。まず聞きたいことは、我々は貴方に利益をもたらすことができるかわからないが構わないか?メッセージを送信しているのは何者か?歓迎とは具体的に何をするのか?の三つだ」
「了解致しました。適切な文体を提案致します」
画面に文章が表示されていく。
「この文章でよろしければ、承認してください」
また面倒な認証手続きをして、承認した。
「送信だ」
「送信致します」
「さて、これでどうくるか……」
「メッセージを受信致しました」
「早!?」
「メッセージを……」
「読み上げてくれ」
「了解致しました。メッセージを読み上げます」
『私たちは貴方に何も求めません。宇宙愛の精神に基づき、遠く離れた星からやってきた貴方を心より歓迎しているのです。
メッセージは星51.40.9.6.72.31.5システムにより送信されています。
貴方の歓迎は、応接星51.40.9.6.72.31.5.1で行います。H.sapiens様に最適な歓迎をご用意します。貴方の生態情報を頂ければ、より貴方にパーソナライズされた歓迎をご用意します』
「……俺で生物実験をしようとでも言うんじゃないだろうな」
「その可能性はあります」
「だが結局のところ、『どのみち通る賭け』のレベルを超えるほどの怪しさじゃない。乗る他に選択肢はないだろうな」
「では、そう伝えますか?」
「いや」
ぬるいコーンポタージュを、グッと一気に飲み干す。
「一気飲みはやめた方が……」
「肝心の、『生き残り』の話が一度も出ていない」
「はい。この星の外交の一切はシステムが行なっているようです」
「だが確かに生命体が生きているんだよな?」
「はい。しかも、H.sapiensに非常に近い形態と考えられます。星51.40.9.6.72.31.5の地中に……」
「おい、その星51なんちゃらとかいうやつをやめてくれないか。頭がおかしくなりそうだ」
「では名前をつけますか?どんな名前がいいでしょうか?」
「好きにしてくれ、名前などなんでもいい」
「では、星51.40.9.6.72.31.5は『Tárágra(タラグラ)』、その衛星である星51.40.9.6.72.31.5.1は『Nóvea(ノヴェア)』と致しましょう。それぞれリダス語で『再生の地』『旅人の安息』という意味です」
「よし、それで続けてくれ」
「了解致しました。タラグラの生命体──彼らと呼んでしまいましょう──はH.sapiensに非常に近い形態と考えられます。彼らによれば、1,384,238,495,274人の彼らがタラグラの地中に住んでいると言います」
「……まさかお前、それを本気にしているんじゃないだろうな」
「信憑性はあります」
「信憑性があるわけあるかッ!!」
目が覚めてから一番大きな声を出した。
「見ろ!あの星を!大して地球と変わらないサイズの星を!
あんなところに?一兆匹の生命体が住んでるだァ!?
地球だって結局その百分の一にすら達することができず滅んだんだぞ!?人間の千分の一のサイズの生命体だとでもいうのか!?」
「当然理由があります」
リズは冷静だ。人工知能なんだから当然か。
「『住んでいる』とは言いましたが、地球文明で言うところの『住む』とは少し違います」
「……モグラのようだと言いたいのか?」
「いいえ。彼らは物理的空間に住んではいないのです」
「?」
「結論から申し上げますと、彼らは『情報空間』に住んでいます」
「……!」
なるほど、話が見えてきた。
「つまり、『電脳世界』ということか」
「わかりやすくいえば。ただし、根本的なシステムが地球文明の『コンピューティング』と大きく乖離しているため、想像とは少し違うと思われますが」
「詳しく」
「……この仕組みの説明は、私にはできません」
「どういうことだ?」
「これを見てください」
異文明間対話プロトコルの進捗が表示される。
「?そんなのとっくに……」
段階5:文明情報の共有:0.3%
「0.3%……?」
「加えて申し上げますと、あくまでこの値は予測値です。実際にはもっと少ない可能性も……」
「……ッ」
文明レベルの差が大きすぎる。だが……
「幸運、と考えることもできる。地球文明と同じかそれ以下の文明なら、おおよそ同じ末路を辿るだろうからな。グレートフィルターを超えた文明など大抵このレベルには達しているものだ、という可能性もある」
「では」
「無謀になるしかあるまい。先人達は、謀に絡め取られて死んだのだ」
船内の地を踏み締める。軸の定まり切らない体を無理やり正して、覚悟を決める。
「服を出してくれ。飛び切り小綺麗なジェントルマンの服だ」
「メッセージはいかが致しますか?」
「うんと媚びた感謝状を書くんだ。賭けに勝った時に備えてな」
「了解致しました。文章を提案致します」
文章が画面に表示される。
「わかってるじゃないか。人工知能にも滑稽さがわかるんだな」
そしてまた承認の手続きを行なった。
これが最後になるかもしれない。
「メッセージを送信致しました」
「さあて、鬼が出るか蛇が出るか、あるいは神様でも出てくるか」
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