ニドセン

@auhsr

第1話 カエン

土の匂いが、胸を満たしていた。

温かい。けれど、硬い。

背中に突き刺さる小石が、夢ではないと静かに告げてくる。


ゆっくりと、目を開けた。

木々の葉にまぎれた、淡い空。

天井が……ない。

風に揺れる木漏れ日と、遠くで啼く名も知らない鳥の声。


――なんだ、これは


頭の奥で、ざらざらとした不安が広がる。

昨夜は確かに、ベッドにいた。

薄暗い寝室、ぬくもりの残る布団。寄り添っていた猫。

それが、今。


俺は森の中にいる。


身の回りは……

パジャマ代わりのジャージ。

傍らには、

地震に備えて常備していたランニングシューズ。


心臓が、ひとつ、重く脈打つ。

――ああ、そうか。

自然と、理解が胸に落ちた。

――終ったんだ。


七十の爺だ。夜中にぽっくり逝ったところで、誰も驚きはしない。

脱力感……心の中に大きな穴が開いた気分、

悲しみも、未練も、思ったほどない。


長患いせずに済んだ。

苦しまず、眠るように逝けた。

それだけでも、運が良かったと思うべきだろう。

俺の人生は、まあ、平凡だった。

良くもなかったが、悪くもなかった。


……いや。

女房は、ずっと寄り添ってくれた。

子どもたちは、それぞれの道を歩んだ。

孫たちは、無邪気になついてくれた。

猫たちは、癒してくれた。

思い出すだけで、胸が温かくなった。


「……」

――あれ、充分に幸だったぞ。

そう思うと、不思議と心は穏やかになった。

これ以上、何を望む。

ならば、このまま受け入れるとしよう。


しかし――

……森の中?

……おかしい。

お花畑もない。

河原の喧騒も聞こえない。

死者を導く光も、影も、どこにもない。


――聞いていた話と違うな。

まぁ、初めて死んだんだし、勝手がわからないのも仕方ないか。

もしかすると、この先に"それ"があるのかもしれない。

なら、歩くしかない。

ランニングシューズを履き、重い腰を上げた。


森は静かではあるが、

絶えず、何かの鳴き声が聞こえる。

高く伸びた木々。絡み合う枝。

地面は乾き、雑草もまばらだ。

踏みしめるたびに、かすかな砂の匂いが立ち上る。

歩きながら、ふと思う。

これがあの世なら、ずいぶん不親切だな、と。


一時間ほど歩いただろうか。

小高い丘が見えた。

頂上を目指して、息を切らしながら登る。

膝が笑い、肺は悲鳴を上げた。

「……七十のジジイに、こんな仕打ちかよ」

苦笑混じりに呟き、どうにか頂上まで登った。

そこから見えたのは――絶望だった。

三百六十度、森。森。森。

果てしなく続く、深緑の海。

お花畑も、河原も、どこにもない。

ただ、ざわめく葉音だけが、空に吸い込まれていく。


ふと、空を仰いだ。

月が出ていた。

昼間だというのに、白く滲む月が――ひとつ。

……いや、ふたつ。

ひとつは、淡く蒼白く。

もうひとつは、にじんだ血のような、鈍い赤。

どちらも、地球では見たことのない空だった。

混乱した。

「……ここは、どこだ」

声が、風にさらわれた。

だが、それを聞くものもいない。

自分の声さえ――この世界では、浮いているように思えた。


あの世は、地球にあるはずだ。

「……」

だが、これは――違う。

理屈も、理性も、追いつかない。

見上げた空が、まるでこちらを見返しているような気がした。

胸の奥に、鈍い恐怖が広がった。。


そんなことを考えていたら、腹の違和感に気付いた。

「……腹が減った」

声が漏れた。

死んだはずの、この俺が。

魂のはずの、この俺が。

「なんで、空腹を感じるんだ?」


だが

思い返す。

目覚めたときの体の感覚。

丘を登ったときの、息切れ。

今、足の裏に感じる地面の硬さ、肌にまとわりつく汗。

……俺、魂なのか?


――いや。

「俺、生きてんのか?」

声に出してみても、答えは返ってこない。

ただ、さらさらと森がざわめくだけ。


納得できないが、ほかに行くあてもない。

とりあえず、目覚めた場所へ戻ることにした。

木々の間を抜け、しばらく歩く。

そのとき、ふと左手の森の奥――

四十メートルほど先。

木の根元に、黒い塊が見えた。


「……なんだろう?」

思わず、声が漏れた

目を凝らす。

丸っこい、黒い背中。

動物だ。でかい。

瞬間、全身の毛が逆立つ。

熊。

そう直感した。

「えっ、うそ……」

死んだ後でも、熊に出くわすのか。


――まぁ、熊だって死ぬわけだし。

妙に冷静な思考がよぎる。


だが、熊はこちらに気づいたらしい。

ぐるりと振り向き、濁った目で俺を睨んだ。

次の瞬間、

喉の奥から、低い唸り声が漏れた。

明らかに怒りに目

これは、まずい。


のそり、のそりと、熊が歩み寄ってくる。

巨体を揺らしながら、確実に、ゆっくりと。

背中を見せたら終わりだ――本能がそう告げた。

俺は、じりじりと後ずさった。


だが。

足元が、崩れた。

「うわっ!」

体が宙に浮き、重力に引きずり込まれる。


次の瞬間、俺は穴へ落ちた。

壁にぶつかり、頭を打ち、膝を擦り、体を縦横無尽に回転させながら、

俺はひたすら、転げ落ちた。

叫ぶ暇もなかった。

ただ、地面に、空気に、翻弄される。

どれほど落ちたのか。

意識が白く霞みかけた、そのとき――

最後に「ドスン」と音を立て、広い空間へと叩きつけられた。


痛い。

だが、まだ生きている。

かろうじて。

ぐったりと転がりながら、俺は息を整えた。

「……地獄……かな?」

ぽつりと呟く。

だが、違う。

周囲は、妙に静かだ。

鬼も、血の池も、鉄棒もない。

どこか、落ち着いた空気が漂っている。

それが逆に、胸の奥に奇妙な寒気を走らせた。


「……どこなんじゃ、ここは」

独り言が、ぽつりと虚空に吸い込まれた。

空間は、静かに広がっていた。

小学校の体育館ほどの広さ。

床は粗い岩肌だが、苔がびっしりと絨毯のように覆っている。

落ちた場所には枯葉が厚く積もり、落下の衝撃はその枯葉が和らげてくれたようだ。

洞窟の中は、ぼんやりと明るい。

天井も、壁も、どこか淡く光を放っている。

まるで生き物の内側にいるような、そんな錯覚を覚えた。


洞窟の奥――暗がりの向こうに、何かが、うずくまっているのが見えた。

巨大な彫刻。

……そう思った。最初は。

丸まって眠る、異様な生き物。

尻尾を抱き込み、岩のように動かない。

一見するとティラノサウルス。

だが顔は小さく、前足はたくましく太い。

頭には鋭い二本の角。

体を覆う鱗は、緑がかった光を帯び、腹だけが白く滑らかだ。

そして――背には、大きな翼。

ドラゴン?


あまりにも堂々たる姿に、ため息すら忘れた。

体長は二十メートルはあるだろう。

なんという存在感。

俺は、ただ見つめた。

恐怖も、驚きも、なかった。

もはや、驚き疲れていたのだ。


そのとき――

ドラゴンの目が、静かに開いた。

金色の瞳。

底知れぬ光を宿したまま、首がゆっくりと持ち上がる。

ゴクリと喉が鳴った。

作り物だと思っていた。


しばらく視線を交わしていると、言葉が、頭に直接響いた。

『お前は、何者だ』

声ではない。

脳に直接叩き込まれる、意志そのもの。

それすらも、不思議と受け入れてしまった。

「……ただの爺じゃ」

答えると、ドラゴンは一瞬だけまばたきをした。

『ただの人間、か』

「ああ、普通の人間じゃ」

『どこから来た』

「あの穴から落ちてな。勝手に来ちまった」

俺は背後を振り返り、ぽっかりと空いた穴を指差した。

『何しに来た』

「来たくて来たわけじゃない。ただ、落ちただけじゃ」

少しの間、沈黙が落ちた。

値踏みするような、重たい沈黙。


やがて――

『嘘は、ないな』

その声に、妙な重みがあった。

「ところで、あんた……」

俺は、おそるおそる尋ねた。

「本当に、生きてるのか?」

ドラゴンは、ゆるやかに首を傾げた。

『間違いなく、生きておる』

静かに、だが揺るぎない確信を持って。

「そんで……やっぱり、ドラゴンなんだよな?」

『我は神竜なり』


俺は少しだけ息を吐き、肩の力を抜いた。

「ひとつ、聞いていいか?」

『問え』

「……俺を食うつもりは、あるのか?」

問い終わる前に、ドラゴンはわずかに口角を上げた。

それが、笑ったのだと、直感でわかった。

『人など喰わぬ。小さすぎて、食いでがない』

妙にリアルな理由だった。

逆に、信じられた。

「……それりゃありがたい」

心からの本音だった。


「じゃあ、教えてくれ。ここはいったい、どこなんじゃ?」

『ここは我が巣。人の踏み入る場所ではない』

「……そりゃ悪かったな」

苦笑しながら、頭を掻く。

「来たくて来たわけじゃないじゃ。許してくれ」

神竜は、もう一度だけ小さく笑った。

その笑みには、敵意も拒絶もなかった。

ただ、静かな興味だけが、そこにあった。

神竜は、しばし黙した。

その沈黙は、重く、深かった。


やがて、洞窟に低く響く声が、静かに尋ねた。

『……それで、お前は、これからどうするつもりだ』

「どうするも何も、何もわからん」

正直に答える。

『……お前、迷い人か』

「そうだな。俺自身、どうしてここにいるのか、見当もつかん」

「目が覚めたら、知らない森の中だった。空には月が二つ浮かんどる。

どう考えても、ここは地球じゃないだろう」


神竜の瞳が、わずかに細まった。

一呼吸置いて、神竜が尋ねた。

『地球……とは、何だ?』

「俺が住んでいた星の名前だ」

『星とは?』

「俺たちが今踏んでいる、この大地のことじゃ。

丸い球体で、宇宙の中に浮かんでおる」

しばらく、神竜は黙っていた。


そして、深く頷いた。

『……ほう。大地が球体であると知るか。

人にしては、なかなか興味深い』

「それくらいは子供でも知っておる」

俺が肩をすくめると、神竜は再び言葉を放った。

『……なるほど。お前、どうやら“転移者”だな』

「転移者?」

『時折、お前のように、異なる世界から迷い込む者がいると聞く。

ならば、何も知らぬも道理か』


やっぱり――ここは地球じゃないのか。

この時、ようやく実感が胸に重く落ちた。

俺は、知らない世界に来てしまったのだ。


「なあ、ドラゴンさん。もしよかったら、いろいろ教えてほしいんじゃが?」

『ふん……よかろう。暇つぶしに応えてやる』

「ありがとう。ところで“ドラゴンさん”って呼ぶのも何だし、あんたの名前は?」

『我に名前などない』

「そりゃあ、寂しいな。俺は“今河 誠”って名前だ」

『ただの人ではないのか?』

「いや、ただの人だが、“今河 誠”という名前がついている。」

『なぜ、そんなものがついている?』

「ただの人の中でも、一人を特定するためじゃ」


『ふむ……我にも同族は多くいるが、誰も名前など持っておらん』

「じゃあ、もし死んだら――誰があんたのことを思い出す?」

『名前があれば、思い出してもらえるのか?』

「ああ、時が経っても名前は残る。だから思い出すことができる」

『……名前はどうやって付けるのだ?』

「誰が付けても構わない。けど、これも“縁”だ。俺が付けてやろうか」

『ほう……では、名前を授けてくれ』

俺は少し考え、ドラゴンにふさわしい名前を探した。


「あんた、火を吐くんだろ?」

『もちろん。 我は強き火球を吐く』

「ふむ……じゃあ、“カエン(火炎)”でどうだ?」

『カエン…………』

ドラゴンはゆっくりとその名前を口にした。

『……心地よい響きだ。この名前に思いはあるのか?』

「ああ、カエン(火炎)は穢れを清める炎のことで、俺の世界での呼び方だ」

『……気に入った。よし、わが名は“カエン”としよう!』

そしてドラゴン――いや、カエンは、頭を反らし、上を向いて吠えるように叫んだ。

『我が名はカエン! 後々の世まで語り継げ!』

その声は、まるで世界そのものに名乗りを上げているかのようだった。


俺は、ただ黙って、その光景を見上げていた。

カエンは、黄金の瞳を細め、静かに言った。

『”今河 誠”――礼をやろう。望みを言え』

俺は一瞬だけ考え、肩をすくめた。


「俺のことは“マコト”と呼んでくれ。

それと……礼か。

なら、この世界のことを、教えてくれないか?」

カエンは、わずかに首を傾げた。

『そんなことでよいのか?

力や、富が欲しくはないのか?』

俺は苦笑した。

「もう、爺だぞ?

七十だ。あと十年、生きられるかどうかも怪しい。

今さら力や金をもらったって、使い道がない」

『七十……』

カエンは、少しだけ考えるように間を置き、

『ただの人間の寿命とは、それほど短いものか』と、呟いた。


「そんなもんだ。

だから――地球とは違うこの世界を観光したいが……

どうやって生きていけばいいのかも分からない。

せめて話だけでも聞かせてくれ」

『……観光、とはなんだ?』

「観光とは、

いろんな場所を訪れて、美しい景色を見たり、美味しいものを食べたりすることだ」


カエンはしばし黙り、やがて静かに言った。

『ならば、マコト。我の願いを聞くか?』

「願い?」

『我がふたつの願いを、叶えてくれるか?

そうすれば、“観光”とやらに行かせてやろう』

「観光に行くのは、爺だから難しいと思うが……

せっかく知り合えたんだ。俺にできることなら、願いを聞こう」

『では、改めて問う。ふたつの願いを果たすと約束できるか?』

「ああ、約束は守るぞ」

『よかろう。では――その証として、“血の誓い”を結ぶ。よいな?』

「……ずいぶん大げさだな。

でも、ドラゴンとの"契り"なんて、滅多にできることじゃない。

いいさ、“血の誓い”を結ぼう」

『ならば――血を流せ。

剣は持っているか?』

「いや、何も持ってない」

カエンは掌をかざした。

空間が揺らぎ、そこから短剣が現れた。

ーー何処から出た?


刃は澄み渡るように白く、柄には見たこともない文様が刻まれている。

俺はそれを受け取り、ためらわずに人差し指を浅く切った。

チクリとしたのち、じわりと、血がにじむ。

カエンもまた、巨躯をかがめ、

太い指先から赤黒い血を滲ませた。

『さあ、マコト。我が血と、お前の血を交わせ』

一瞬、不安が胸をかすめた。

だが、ここで止める方が、よほど怖い結果になる気がした。

俺は、自分の指先をカエンの指へと、そっと重ねた。


――触れた瞬間。

何かが、爆発した。

目に見えない奔流が、俺の体内へと流れ込んできた。

重たく、熱く、激しい。

だが、痛みではない。

むしろ、魂の深い場所を満たすような、静かな歓びだった。

……これは、カエンの"オーラ"

やがて、流れ込む力が、ふっと静まった。


――その刹那。

全身が、きしみを上げた。

ギギギ、と骨が軋む音が、耳の奥に響く。

皮膚の下で、何かが蠢く。

痒みと痛みの入り混じった奇妙な感覚が、身体中を這い回った。

口の中がむず痒くなり、腹の奥がぐるぐると音を立てる。

背中、腕、足。

体中の関節がバキバキと悲鳴を上げた。

熱い。

特に、頭が。

何が起きている――!?

恐怖もある。だが、それ以上に。

何かが、根源から作り変えられている。

そんな直感が、胸の奥に突き刺さっていた。

時間にして、どれほど経ったのか。

数分か、数十分か――

やがて異変は、唐突に終わった。


重たかった体が、嘘のように軽い。

筋肉が、ぎゅっと引き締まっているのが分かる。

腕も、脚も、若いころのように太く力強くなっていた。

伸びきっていた背筋は、しゃんと伸び、

手を顔にやれば、髪の毛がふさふさと指に絡んだ。

口を開けば、

欠けたはずの歯が――すべて、生え揃っていた。

「……これって……」

呆然と、手のひらを見つめる。


カエンが、静かに声を発した。

『マコト――

今、お前に五つの力を授けた。

それは、我がすべてだ』

俺は、カエンの方へ振り返った。

「……力、を……?」

まだ、信じられなかった。


カエンは、ゆるやかに首を振った。

『五つ。

”命の力”、”身体の力”、”五感の力”、”超常の力”、そして、”魔法の力”。

――これらすべてを、お前に分け与えた』

カエンの声は、深く、重かった。

「五つの力? なんだ、それ?」

カエンは静かに続けた。

『分からぬか。ならば、この五つの力について教えてやろう』


『まずは、ひとつ目。“命の力”について話そう』

カエンは、まっすぐに俺を見つめた。

『マコトよ。

お前は老いていると言ったな。

実を言えば、我もまた、老いている。

あと十年も生きられぬ身だ』

「……十年……」

『その、残された寿命を支える"命の力"を――お前に譲った』

思わず、息を呑んだ。

「いや、それって……

カエンの寿命が、なくなるってことじゃないか!」

『気にするな』

カエンは、あっさりと言った。

『我は三千年を生きた。

あと十年など、惜しくはない。

それに――今さら取り消すこともできぬ』

その言葉に、深い覚悟と優しさを感じた。

「……わかった。ありがたく、もらうよ」

『それで、良い』

カエンは満足げに頷いた。


「そうすると、俺の寿命はカエンの寿命を足して二十年ほどになるのか?」

『マコト、それは違うぞ。我の体は、お前の体の二百倍はある。その体を十年支える“命の力”をお前の体に注げば――』

「十年の二百倍で……二千年ほど生きられることになる」

「……に、にせんねん……!」

思わず絶句してしまう。

そんな数字、想像もつかない。

「本当に、そんなに生きられるのか……?」

『本当だ』


――まてよ、まて、まて。二千年って、地球の二千年と同じとは限らないじゃないか。


「カエン、教えてくれ」

『なにを、聞きたい』

「この世界の一年は、どうやって決まっている?」

『季節が廻り、一巡したら一年だ、その間に陽は三百六十回昇る』

――季節もあるのか

「どんな季節があるのだ」

『春、夏、秋、冬の四つだ』

「では、一日の長さは、どれくらいだ?」


『我は、血を交わしとき、マコトのことを知った。

マコトの感じる一日の長さは、この世界と変わらぬ、

だから、一年の長さも、変わらぬ』


――変わらないのか。

「爺のまま、二千年……嫌だな」


『マコト、それも違うぞ。

神竜族の成長は人間とは違う。お前の体も、今や神竜族の成長に沿っている。

七十歳のお前はやっと“成体”になったばかりだ』


『さらに言っておくが、老いるのは寿命の尽きる十年ほど前からだ。

それが終わりの始まりで――今の我がそうだ。』


『それまではずっと元気なままだ。マコトの望む観光も十分にできるだろう』

「……しかし、二千年って……長すぎる……」

『マコトよ、二千年というのは絶対ではない。

我らの“命の力”を人に与えることは滅多にない。

なので、マコトの寿命も実際に生きてみなければ分からぬ。

だが、千年は確実だろう』

「……千年でも長ぇよ……。」


「生きることに飽きてしまいそうだな……」

『心配するな。生きる喜びの力も与えておいた』

「……生きる喜びの力?……」

『“まぐわい”の力だ。マコトは――絶倫になっておる』

「……はっ!……ぜ、ぜつりん……」

『さぞかし、女どもがまとわりつくことだろうよ』


「……女が……いるのか? この世界に」


『当たり前だ。

この世界にはさまざまな種族が生きている。ただの人間もいるし、人に似た姿をした者も多い』

『もし、長い年月の果てに“ひとり”が寂しくなったなら――誰かと“番う”のもよいだろう。

この世界には長命の種族も多い。

我ら神竜族は三千年を生きる。

エルフのように、寿命に限りがない種族も存在する』


――返事のしようがない……


千年を越える屋久杉のようには、人は生きられない。

二千年を生きる未来に、どう生きればいいのか――想像もできなかった。

喜びよりも、不安ばかりが胸を締めつける。


「カエン教えてくれ」

「三千年も生きてきて……どうだった?」

カエンは、少し間を置いて答えた。

『今、振り返ってみれば――それも、”ひととき”の夢だ』

「三千年が“ひととき”って……さすがに大げさだろ」

『では問おう。マコトよ、お前の七十年は?』

「……いろいろあったよ。だけど――全部思い返すのに、一時間もかからない。

……やはり、”ひととき”の夢みたいなものか」


『命の長さは、それぞれだ。

無限に生きると思われているエルフでさえ、時がくれば終わりを迎える。

土の中で十年を過ごし、地上に出てからわずか十日しか生きられない命もある。

どんな命であっても、過ぎてしまえば皆、”ひととき”のことだ』


『だからこそ――その“ひととき”を懸命に生きる。それだけだ』


俺はしばらく考え、そして――開き直るしかないと、思った。


「そうか、では二千年も過ぎてしまえば”ひととき”か……」

『ああ。だが忘れるな――その”ひととき”は、我が願いを託す時でもある』


一呼吸おいてカエンが口を開いた。

『だが、覚えておけ』

その声は、冷たく静かだった。

『いかに命長くとも――大きな傷を負えば、戦いに敗れれば――死ぬ』

その言葉には、重みがあった。

『そのことは、肝に銘じておけ』

……無敵ではないということか。


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