第32話:声無き骸に寄り添う
階段を降りきった先、空気が変わった。
光がない。音もない。風も、ない。
閉ざされた空洞。
そしてそこに、異様な“秩序”があった。
広い――倉庫だった。
天井の低いコンクリートの空間。
湿った床と、壁の染み。
数百本の棚が、寸分違わず整列していた。
棚のひとつひとつに、魂武器が封じられていた。
剣、弓、斧、鎖、銃、鎌、棍――
多様な形状。けれど、どれも同じ表情をしていた。
無機質で、整然と、沈黙していた。
全ての武器には、白いタグが括りつけられている。
そこに書かれているのは、商品番号だけ。
アルファベットと数字の羅列。
「R-173-A」「N-004-B」「X-901-K」
名前の跡は、どこにもなかった。
個性も、背景も、祈りも――すべて、削ぎ落とされていた。
「……これが、“保管”か……」
僕の声は、空気に吸い込まれて、音にならなかった。
セナが隣で、小さく息を呑む。
手袋越しの指先が震えていた。
ここにあるのは、道具でも武器でもない。
“生きていた”誰かの、最期の残骸だ。
数百の魂たちが、声を失ったまま、並べられていた。
一度も名前を呼ばれず、
誰にも祈られず、
ただ“管理”の対象として並べられている。
僕は、棚のひとつに歩み寄る。
手を伸ばすと、そこにあったのは、
小さな短剣だった。
柄の部分がかすかに欠け、
刃には、目を凝らせば見えるほどの傷が刻まれていた。
けれど、そこに“鼓動”は――なかった。
もう、遅すぎた。
名を呼ばれなかった魂は、
こうして、“死んだ商品”になるのだ。
棚の影が、重くのしかかってきた。
僕の背中に、冷たい汗が滲んだ。
ここは、市場の裏側ではなかった。
ここは、墓だった。
“声を失った魂たち”の、計画的な埋葬場所だった。
僕たちは、そのど真ん中に立っていた。
*
棚の列を抜けた先――
そこにあったのは、“作業場”だった。
壁の一面が鉄板で覆われている。
その前には、いくつもの作業台。
上には、バラバラになった魂武器の残骸。
柄だけになった大剣。
折れ曲がった槍の破片。
細かく砕かれたガントレット。
誰かが握っていたであろう、冷えた銃把。
バラされていた。
明確に、“解体”されていた。
商品にするためではない。
使える状態を残すためでもない。
“壊して売る”ためだった。
断面が、鋭利ではなかった。
潰すように、粉砕するように、
魂ごと踏みにじるような力で、割られていた。
「……これ……」
セナが、かすれた声を漏らした。
彼女の足が、作業台の前で止まる。
そこにあったのは、黒焦げた片手剣の残骸。
かろうじて柄に残った金属片に、
微かに、“カイ”の気配があった。
けれど、刃はもう、ない。
セナが、口元を手で押さえた。
背中が、小さく震えていた。
吐き気をこらえるように、肩が詰まる。
けれど――彼女は目を逸らさなかった。
「……見ていなきゃいけない」
震えた声で、そう言った。
「こんなこと、あったんだって。
ちゃんと、見て、覚えて、……忘れちゃいけない」
僕は、何も言えなかった。
ぐしゃり。
棚の奥から、小さな音が聞こえた。
解体中の武器が、ひとつ、崩れ落ちた。
“死んだ魂”が、静かに床に転がっただけの音だった。
それでも、その音は、鼓膜の奥で鳴り止まなかった。
ここでは、“死んだ後の魂”すらも、売り物だった。
目の前にあるのは、戦利品ではなかった。
遺品でも、魔道具でもない。
かつて“名前”を持っていた子どもたちの、なれの果てだった。
その現実に、僕もセナも、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
*
静まり返った作業場の空気が、ふと、歪んだ。
空間全体に、ひび割れのような違和感が走る。
「……っ、あ……」
セナが、小さく呻いた。
肩が跳ねる。背中がこわばる。
彼女の背にかかる黒衣が、ゆっくりと波打ち始めた。
まるで内側から、何かが脈打ち、突き破ろうとしているように。
虚還ノ縫――彼女の魂が帯びた大鎌が、反応していた。
刃の奥が、ぴしりと鳴る。
光が滲む。
それは光というより、魂の叫びだった。
「……ここに……いるのに……返せない……!」
セナの声が割れた。
目は焦点を失いかけていた。
彼女は、引きずられていた。
この場に満ちる“壊された魂”たちの断末魔に。
引き寄せられる。
その奥へ、もっと深く。
もう二度と戻ってこれないほどに。
僕は、咄嗟に手を伸ばした。
「セナ!」
その名を呼んだ瞬間、手のひらが彼女の胸元を掴んだ。
脈動していた虚還ノ縫が、びたりと凍る。
鎌の刃が、かすかに振動を止めた。
だが、それだけじゃなかった。
僕の中にも、何かが走った。
背中に、冷たい感触。
刃ではない。炎でもない。
――温度のある何か。
僕の武器が、共鳴した。
けれどそれは、いつものように魂を“喰らう”気配じゃなかった。
誰かを、何かを、“守ろうとする”ような――淡い、けれど確かな感覚。
まるでこの手が、
誰かの魂を“抱きとめようとしている”ようだった。
「……大丈夫。セナ」
僕は、そう言っていた。
自分でも気づかないほど、静かな声だった。
セナの呼吸が、少しずつ落ち着いていく。
彼女の視線が、かすかに僕に向けられる。
震えた目に、わずかな“焦点”が戻る。
「……うん……ごめん……」
彼女は、力なく頷いた。
虚還ノ縫の刃が、ひとつだけ音を鳴らし、沈黙に戻った。
作業場の空気が、ひときわ冷たくなった気がした。
魂たちの叫びは、止んではいない。
それでも、今だけは、ひとつの暴走を防いだ。
僕の中に残る感触が、ゆっくりと形を変えていく。
これは、力じゃない。
破壊でも、消費でもない。
“誰かを守るための刃”――
僕の武器が、そう名乗り始めた気がした。
けれど、その代わりに、
何か別のものが、確かに、擦り減っていた。
僕自身の魂か。存在か。
それすら、もう確かめる余裕はなかった。
セナは、僕の袖をぎゅっと掴んでいた。
声も出せないまま、それだけで、何かを伝えてきた。
それが、今の僕には、すべてだった。
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