第31話:見捨てられた器たち



崩れた門をくぐった瞬間、空気が変わった。


灰色の空の下、そこに広がっていたのは、瓦礫と鉄屑の街だった。


道と呼べるものはなく、踏み固められた泥と血の色が乾いた路面が続いている。

建物はどれも崩れかけていて、立っているだけで不安定に揺れているものすらある。

けれど、その間には、異様な数の人間たちが蠢いていた。


 


「……ここが、フルメイラ」


 


セナが、かすれた声で呟いた。


マントの裾を握る手が、わずかに震えていた。


 


共和国、という言葉とは程遠い。


国家の名を冠してはいるが、ここにあるのは法も秩序もない。

残っているのは、暴力と流通、そして名前のない“商品”たちだけだ。


 


通りの隅で、小さな子どもが取引されていた。

薄汚れた毛布の下、顔のないような子が、背の高い男に引き渡される。

数枚の金貨が、無言でやり取りされた。


それだけの光景だった。


けれど、その一瞬で、この街の全てが理解できた。


 


通りには、魂武器を売る商人たちが露店を広げていた。


箱に詰められた短剣、剥き出しのまま吊るされた大剣。

どれも、装飾の一つすらない、無機質な“魂の器”。


 


「こっちは“未使用”だ」「そっちは“名なし”の投げ捨て」


そんな言葉が飛び交う。


買い手は、品定めをするようにそれらを撫で、値段を吹っかける。


商品に刻まれた魂の名を問う者は、誰もいなかった。


 


歩いているだけで、靴の裏に割れた石と骨が混ざる感触が伝わる。


目を合わせてはいけない人間が、そこかしこにいた。


 


「……もう少し、奥へ行こう」


僕はそう言って、セナを促した。


彼女は何も言わずに頷き、ついてくる。


 


牙を剥けば殺される。

けれど、牙を見せなければ、生き残れない。


それが、この街の“掟”だった。


 


ここはフレイラ共和国。

かつて国家と呼ばれた場所の、末路だった。


 

 


市場の奥へ進むにつれて、空気が変わった。


屋台の列が途切れ、テントの影が濃くなる。


その一角に、ひときわ異様な“静けさ”を纏った露店があった。


 


棚もない、囲いもない。


ただ布を広げただけの地面に、いくつもの武器が雑然と並べられていた。


折れた刃。

削れた杖。

砕けた弓の残骸。


どれも、まともには使えない“破損品”。


けれど――


 


僕の足が、勝手に止まった。


 


その中に、見覚えのある“感触”があった。


 


カイ。

リィナ。

トア。

ミナト。


あの夜、姿を消した子たち。


ミレイダで、名前ごと失われた、あの子たちの“器”が、ここにあった。


誰も名前を呼ばないまま、

誰にも気づかれないまま、

ただの“売れ残り”として、ここに転がっていた。


 


無言で膝をつき、指先で刃の断面に触れる。


冷たい。


だが、その奥で――かすかに、鼓動があった。


 


ひとつ、またひとつ。

剣から、槌から、杖から。

それぞれに微かな波紋のような気配が、僕の指を通して伝わってくる。


声はない。名もない。


それでも、確かに“ここにいる”と、そう叫んでいた。


 


「……っ」


セナの息が、微かに震えた。


肩が揺れ、彼女の背負った大鎌――虚還ノ縫が、きぃ、と細く鳴いた。


刃の奥が脈打つように光る。


セナの目が、僕の手元を見ていた。


 


「……ここにいる……みんな……ここに……」


その声は、かすれていた。


けれど、誰よりも強く、誰よりも正確に、届いていた。


 


名前を呼ばれなかった子たちが、

今、やっと“見つけてもらえた”ことに、応えるように。


魂たちは、音のない叫びを返してきた。


 


ここは、名前を剥がされた子どもたちの、終着点だった。


 


けれど――


まだ、終わらせてはいけなかった。


 


 


通りの奥、張り出した布の影。

かすれた看板の裏に、鉄柵で覆われた階段があった。


雑多な露店の喧騒からは、まるで切り離されたような空間。

近づいても、誰も気に留めなかった。

むしろ、誰も近づこうとしなかった。


 


階段の手すりには、赤黒い錆と乾いた血がこびりついていた。

下から吹き上げてくる空気は、湿っていた。

腐った金属と、焦げた骨のような臭い。


 


セナが、息を止めるように顔を背けた。

それでも、逃げなかった。


 


階段の奥、闇の底で――“別の音”が鳴っていた。

カチャリ。

それは、鎖が擦れるような音。

誰かが、誰かの魂を縛る音。


 


「……ここが、本当の市場だ」


僕はそう呟いた。

誰に聞かせるでもなく。

ただ、確認するように。


 


商品としても価値を失った魂武器たち。

名も、姿も、意味も奪われ、

ただ“機能”だけを抜き取られた道具の屍。


それが、この地下に集められている。


 


踏み込めば、もう戻れない。


でも――もう、十分だ。


 


「行こう」


セナは、無言で頷いた。

瞳だけが、静かに燃えていた。


 


一段、また一段。


僕たちは、沈んでいった。

“誰にも名前を呼ばれなかった場所”へ。

声を失った魂たちの、最期の吹き溜まりへ。


 


ここから先が、本当の地獄だと知りながら。


 

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