【最初の呪い】――それでも、名前を呼んでくれた:4

6本の魂の武器たちが、ゆっくりと円を描いてスイの周囲を巡る。


それはまるで、“もう戻れない”という事実を、容赦なく突きつけてくる儀式のようだった。


刃が、糸が、槌が、杖が、輪が、弓が――


音もなく、光の残響だけを引き連れて、スイの胸元に吸い込まれていく。


ぞくり、と背骨の奥で何かが軋んだ。


魂が、ひとつ、またひとつ――沈んでいくたびに。


“何か”が、自分の中からこぼれていくようだった。


 


(……おかしい)


脳裏の奥で、警鐘のように、鈍い疑念が鳴りはじめる。


6人分の魂の道具が、確かに“自分の中に”入ってきている。


それは、あまりにも自然で、あまりにも滑らかだった。


拒絶も抵抗もない。


まるで最初から、そうなる運命だったかのように。


 


その瞬間、再び――あの“声”が、頭の奥から響いた。


 


『個体群:ティナ、ユマ、ノア、カイ、リク、メイ。

 各魂、完全消費を確認。共鳴対象:神埜翠。

 複数個体融合、完了。現在、“生存魂”は0名です』


 


その言葉に、肺の奥の空気が一気に抜けた。


世界が、凍った。


スイは、息をすることすら忘れていた。


 


(……完全、消費?)


目の奥が熱い。


耳鳴りが、収まらない。


頭の芯が、焼けるように痛む。


それでも、その意味は、確かに理解してしまった。


これは、記憶を代償にして武器を顕現させるような、そんな“温い力”じゃない。


 


魂そのもの。


その人の“存在そのもの”を代償に――


“命”を喰らって得る、力だったのだ。


 


――思い出す。あの夜。


セナが、僕を庇って倒れたあの瞬間。


あの時、右手の紋様は確かに発光した。


けれど、セナはまだ“ここにいる”。


彼女は……まだ、命を繋いでいた。


 


それは――偶然だった。


運が良かっただけ。


ほんのわずかな、奇跡の隙間にすぎなかった。


 


本来ならば、あのとき。


彼女も、こうして――


結晶になって、道具になって、“僕の中に”取り込まれていた。


その事実が、スイの胸を貫いた。


痛みというより――


もはや、“震え”だった。


 


「……ねぇ」


 


優しく、けれど不意を突くように、セナの声が降ってきた。


 


振り返る。


その少女は、確かにそこにいた。


けれど、その瞳は――


もう、僕を知らなかった。


 


「あの……ごめんね、急に。ちょっと、気になって……」


セナは、おずおずと一歩近づく。


その表情には、不安と――どこか、遠い寂しさが浮かんでいた。


 


「みんな……君の中に、いるんだね……?」


 


その言葉に、スイの喉が詰まる。


 


絞り出すように、声を返す。


 


「……うん……そう、だね……」


嗚咽が、言葉の端から漏れる。


何かを返さなければいけないと思うのに、言葉にならない。


ただ、胸が軋む。


 


セナは、ふっと寂しそうに微笑んだ。


その微笑みは、まるで――“すべてを許してしまう者”の顔だった。


 


「もう……名前すら思い出せないけれど」


「きっと、君も……私たちと一緒に、過ごしてきたんだよね?」


 


その言葉は、優しすぎて――


残酷だった。


 


そう。


彼女は、もう“スイ”を知らない。


一緒に過ごした日々も。


病室での出会いも。


名前を呼んでくれた、あの瞬間さえも――


すべて、彼女の中からは抜け落ちていた。


 


それでも、彼女はその“空白”を、優しさで埋めようとしている。


知らない誰かに対して、“たぶん大切だった”という、信じる理由を探そうとしている。


それが、あまりにも――残酷で、愛しかった。


 


「君の名前は……なんて言うの?」


セナは、真正面からそう訊ねた。


まるで、“初めて会った人”に対してそうするように。


 


(……どうしようもない)


喉が、焼ける。


瞳の奥が、痛い。


この世界で、最も欲しかった声が――


僕の名前を“初めてのもの”として呼ぼうとしている。


 


「僕は……」


声が、詰まる。


でも、それでも、言うしかなかった。


 


「……スイ。神埜翠(かんの・すい)」


 


セナの瞳が、ゆっくりと細められた。


 


「スイくん……」


 


一拍の沈黙のあと、彼女はやさしく、確かに言った。


 


「綺麗な響きだね」


 


その言葉が――


たった一言が。


胸の奥の何かを、完全に砕いた。



 


(――ああ、また名前を呼んでもらえた)


でも、そこにあるのは“出会い”であって、“再会”じゃなかった。


もう、すべては、失われたあとだった。


(……もう、二度と。)


(もう君だけは――絶対に、使わない。) 


嗚咽が、胸から溢れた。


崩れ落ちそうな膝に力を込めて、踏みとどまる。


でもその足元には、消えてしまった子どもたちの影。


今、スイの中にいる、名を呼んでくれた子たちの“残響”。


 


それでも。


それでも――


 


名前を呼んでもらえるということは、こんなにも温かい。


だからきっと、まだ生きていられる。


たとえ、それが、もう二度と戻らない誰かの代償であったとしても。


 


“綺麗な響きだね”


 


その言葉だけが、胸に刻まれていた。


 


 



 


そして夜は、静かに深く、沈んでいく。


風が止まり、空に雲が流れる。


いま、この世界にはもう――


彼女の記憶も、子どもたちの命も、何ひとつ戻ってはこない。


 


けれど、それでも。


この痛みを背負って。


この力を、手放さずに。


 


“名前を護るために”。


彼は刃を握る。


 


次に訪れる者が、もう誰かを喰らわないように。


次に奪われる命が、“奪われたまま”にならないように。


 


 


それが、スイがこの世界で背負った、


最初の罪であり、最初の誓いだった。

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