救済編
第23話: 牙を隠して、灰の街を歩く
廃墟から町へ戻る道すがら、空はどこまでも灰色だった。
乾いた風が吹き、朽ちた建物の影が、夕陽にひしゃげた影を作っていた。
スイは黙ったまま歩いていた。
左手は自然に、胸元に触れていた。
そこには、さっき武器化した四つの魂武器が、今も静かに、沈黙を保っている。
重さはない。
だが、確かにそこに存在している。
カイラ、リィナ、トア、ミナト――
かつて名前を持っていた子どもたちの、最後の意志が。
セナも無言だった。
肩を落とし、小さく拳を握り締めながら、スイのすぐ隣を歩いている。
歩幅を合わせることも、声をかけることもできなかった。
町の輪郭が見えてきたとき、スイはふと足を止めた。
ミレイダ。
あの混沌と喧騒に満ちた、どこか埃っぽい町。
今も変わらず、人の声と馬車の音が行き交っている。
だが。
スイの目には、すべてが別のものに見えた。
瓦礫の上に建つ市街。
色褪せた看板、擦り切れた人々の服、無数の足跡がこすれた石畳。
どれもが、どこか“嘘”だった。
生きているふりをしている。
普通の世界を装っている。
だが、その裏側にあるものを、スイたちはもう、知ってしまった。
魂を抜かれ、名前を失い、道具にされる子どもたち。
それを平然と受け入れる世界。
歪んだ、現実。
「……行こう」
スイは低く呟いた。
セナは、顔を上げないまま、ただ小さく頷いた。
二人は、町へ踏み入った。
ギルドの扉を押し開けた瞬間、
冷たい空気が、肌を刺した。
昼間の熱気を閉じ込めたはずの建物なのに、そこだけ凍えるような冷たさがあった。
カウンターの奥で、職員たちが書類を捌いている。
冒険者たちが依頼を選び、武器を磨き、酒を煽る。
見慣れた光景。
けれど、それは、ただの幻だった。
スイにも、セナにも、そうとしか思えなかった。
この町は、
このギルドは、
ずっと前から、何かを隠していた。
それに気づいてしまっただけだ。
スイは、吸い込まれるように、カウンターへ向かう。
セナも、影のようにその後を追った。
背中には、見えない重み。
胸の奥には、燃え残った痛み。
それだけを抱いて、ふたりは歩いた。
──名前を守るために。
──名前を、取り戻すために。
*
カウンターには、見慣れた職員たちが並んでいた。
だが、スイはすぐに気づいた。
彼らの顔つきが、微かに――けれど確実に、変わっていることに。
無表情。
以前にも増して、感情を押し殺した、機械のような目。
何も考えず、ただ言葉を吐き出すだけの器官。
感情も、意志も、すべて抜き取られたかのような、空っぽの存在。
スイは一瞬だけ足を止めた。
背後のセナが、かすかに息を呑む。
だが、迷っている時間はない。
スイは無言で歩み寄り、カウンターの前に立った。
目の前の男は、無表情に首を傾げただけだった。
「……依頼の報告を」
スイは、できる限り感情を殺して、低く告げた。
職員は瞬きひとつせず、手元の帳面を開いた。
「対象は?」
「消失していた」
スイの声は短かった。
職員たちの顔色は変わらない。
頷きもせず、わずかにペンを動かすだけ。
まるで、最初から結果などどうでもいいかのように。
セナは、カウンターの端で拳を握り締めていた。
小さな震え。
それを、スイは見ないふりをした。
「……了解しました」
無機質な声が、空気を割った。
それだけだった。
詮索も、追及もない。
ただ、機械的に次の段取りを進めるだけ。
スイの胸の奥で、冷たいものがわだかまった。
数秒後。
カウンターの奥から、職員が小さな木箱を差し出した。
開かれた箱の中には、ぎっしりと詰まった銀貨と、数枚の金貨。
思わず、スイは目を細めた。
――異常だ。
普通なら、こんな依頼にはせいぜい銀貨数枚。
それが、今、目の前には小さな財産にも匹敵する報酬が積まれている。
「……これが、今回の報酬です」
職員は、事務的に告げた。
「なお、追加の報告義務はありません」
スイは、無言で箱を見下ろした。
通常の三倍、いや、四倍はあるだろう。
しかも、あれだけ異常な依頼だったのに、追加の事情聴取すらない。
わかりきっていた。
これは、「口を閉ざせ」という意味だ。
報酬で、すべてを封じるつもりなのだ。
スイは、箱に手を伸ばし、静かにそれを受け取った。
何も言わなかった。
何も問わなかった。
セナも、ただ小さく身を縮めたまま、沈黙していた。
ギルドの広間には、相変わらずざわめきが満ちていた。
冒険者たちが笑い、酒を煽り、武器を研ぎ、次の仕事を選んでいる。
誰も、異変には気づかない。
あるいは――気づいても、見ないふりをしている。
世界は、今日も、何事もなかったかのように回っている。
ただ、スイたちだけが、違う色の中に立っていた。
二人は無言のまま、ギルドを後にした。
静かに。
誰にも悟られないように。
*
ギルドを出た途端、外の空気が刺すように冷たく感じた。
街は変わらない顔をしていた。
行き交う人々。
物売りの声。
石畳を叩く馬車の車輪の音。
いつものミレイダだった。
昨日と同じ、今日の町だった。
けれど、スイたちの目に映る景色は――もう、違っていた。
セナが、隣でふっと小さく息を吐いた。
そして、かすれるような声で呟いた。
「……こんなの、間違ってるよね」
震える声だった。
けれど、はっきりとした言葉だった。
スイは、足を止めなかった。
立ち止まれば、何かが崩れてしまいそうで。
ただ、静かに歩き続けた。
何も言わなかった。
言葉にできるような感情ではなかった。
セナも、それ以上は何も言わなかった。
ただ、かすかにスイの袖を摘むようにして、歩幅を合わせた。
無言で。
冷えた風が吹き抜ける。
それが、心の奥の痛みをさらに研ぎ澄ませる。
──僕たちは、牙を隠すしかない。
──今はまだ――。
胸の奥で、静かに刻まれた。
怒りも、悲しみも、絶望も。
すべてを、今は飲み込んで。
スイは、セナと共に、灰色の町を歩き続けた。
その歩幅は、昨日より、少しだけ強く踏みしめられていた。
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