ルクナは僕の未来を知らない ~癖ありAIと旅するノマド物語
さとの
第一章 モノトーンを口ずさむ
第1話 僕らはノマド家族
ためらいながら僕は、旧型スマートウォッチの電源を入れた。
黒い画面に淡いブルーの光が灯り、ゆっくりと明滅する。
「はじめまして。私は未来支援AI・ルクナ。あなたの未来を照らす光です」
――僕が、その言葉を選べるようになるまでには、少し時間がかかった。
*
ふわりとした風と静かな振動が心地よくて、僕はウトウトしていた。
「……それではリツくん。3問目の答え、わかるかな?」
空間にぼんやり響く先生の声に、僕はハッとして顔をあげた。僕のアバターはとても忠実に、そんな動きまで再現する。周りに座る他の生徒たちが、クスクス笑っている。
ヤバい、3問目ってなんだっけ? 手元のノートを見下ろすも、答えは真っ白。
隣の席の女子が手を口元にあてて、こそっとささやいた。
「25だよ」
僕は彼女のショートヘアの横顔をちらっと見てから、
「……すみません。わかりません」
うつむいてボソボソ答えた。
先生が困ったようにため息をついた。
「リツくんのうちは、
「……はい」
「もしかして、今も移動中か?」
「……はい」
「そうか。疲れているんだろうけど、居眠りはよくないぞ」
先生の指摘に、僕は顔を赤らめてうつむいた。バーチャル空間に、笑い声が波紋のように広がった。「居眠り」って、そんなはっきりと言わなくてもいいじゃないか。みんな気づいていることだとしても。
「じゃあ、隣の席のミツキさん。どうかな」
「25です」
「そうだな。正解」
僕を置いて、授業は進んでいく。
ここは僕が通うフリースクールの「
色んな家庭事情でリアルの学校へ通えない生徒が、限りなくリアルに近い雰囲気で授業を受けることができる。仮想空間だから、当然みんなアバターで出席してるんだけど、校則で「現実の姿を反映したアバター」でないと登録できないことになっていた。だから僕のアバターの、痩せてひょろりとした体つきも、猫っ毛のやわらかい黒髪も、女の子みたいな大きい目も、現実の僕のままだ。
バカげたルールだよね。青髪だって、ケモ耳だって、勉強に支障はないんだから、いいと思うんだけど。
バーチャルクラスに、チャイムの音が響いた。
「じゃあ、今日の授業はここまで。16ページ目は宿題な。来週までにやってくるように」
授業から解放されて、空間にざわめきが広がった。
近くの子とおしゃべりする人もいれば、さっさと
僕は笑われた恥ずかしさもあって、隣の席の女の子が話しかけようとしているのに、気づかないフリをして、すぐにログアウトした。
視野から教室の仮想風景が消えて、ブラックアウトする。ゴーグルを外すと、代わりに現実世界――ワゴン車の広々した後部座席と、窓の外を流れるのどかな田園風景――が目に飛び込んできて、その明るさに僕は目を細めた。
お尻に伝わる車の静かな振動と、窓から吹き込むやわらかい風は、ずっと変わらない。
「お、授業終わったか?」
前の運転席に座る父さんが、こちらを振り返った。
「うん」
「父さんも、ちょうど会議が終わったところだ。昼飯にするか」
父さんはその会話の流れのまま、目の前に投影したエアパネルに向かって話しかけた。
「ルクナ、この辺りでおすすめの店、どこかあるか? 手っ取り早く済ませられるところがいいな」
空中に浮かぶ透明なパネルに、淡いブルーの光が明滅する。
「はい。おふたりの好み、現在の体調、昼休みの時間などを総合的に考慮して、最適な選択肢をご提案します」
女の人っぽい中性的なAIの声は、落ち着いていて体温がない。
「オプション1:約1.6km進んだ先の『トリトバーガー』は、甘辛のチキンバーガーが人気です。
オプション2:約2.2km進んだ先の『風見どり軒』は、あっさり鶏ガラスープの塩ラーメンが人気です。風向き次第で、味が変わるという噂があります。
あなたのご選択、いかがでしょうか」
ルクナの提案に合わせて、パネルにはハンバーガーとラーメンの画像が表示される。
「味が変わるってなんだよ」
すかさず父さんが、ルクナに突っ込む。
「あくまでも噂で、事実ではないと推測されます」
ルクナは一ミリも声色を変えずに答える。父さんのルクナは「真面目キャラ」の設定だから、ここでボケたりはしない。
「リツ、どっちがいい?」
「……どっちでもいいよ」
僕はそっけなく答えた。
本当は、ハンバーガーでも、ラーメンでもなくて、カレーを食べたい気分だったんだけど、ルクナの示した選択肢の中になかったから、最適ではないのだろう。総合的に考慮して。
父さんは思案するように、無精ひげの伸びたあごをこすった。
「じゃあ、ラーメンにしよう。味が変わるなんて、おもしろそうだしな」
「はい。予約を完了しました。自動運転モードを維持したまま目的地へ誘導します」
目の前の景色がゆっくりと動き、車はスムーズに進路を変えた。父さんが腕を組んで微笑む。僕は後部座席から、黙ってそのやりとりを眺めていた。
「まったく、便利な世の中になったもんだ」
それは父さんの口癖だ。
父さんが子どものころは、メタバースも、バーチャルクラスも、自動運転も、まだ一般的ではなかったし、もちろんルクナも存在しなかったらしい。
僕らみたいに、移動しながら暮らすノマド家族にとって、どれもなくてはならない技術だから、ちょっと信じられないよね。
ルクナが提案した鶏塩ラーメンは、普通においしかったし、好きな味だった。実際、ルクナの提案が外れることは滅多にない。父さんの言葉を借りれば「だいぶパーソナライズされているから」ということだ。
でもさ、好きだったとしても、気分じゃないときってあるじゃん?
ルクナは、そこまでは考慮してくれないんだよね。じゃあ、最適って何?
そんなモヤモヤは、こっそりラーメンのスープの中に沈めた。
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