4−3 メンタルケアと厳しい授業の理由

 翌日、私は母さんと一緒にヒル夫人のマナー講座を受講していた。

 ふむふむ、内容は伯母さんから教わったのとそれ程変わらないね。少し会話の内容について指摘されたくらいで、私は特に問題はなかった。

 さて、母さんはどうなのだろうか?

 母さんは、最初の挨拶の段階から何度もやり直しをさせられていた。

 私は、母さんとヒル夫人を見比べながら観察したが、多少ヒル夫人の口調が厳しいかなと思う程度だったのだが、母さんはヒル夫人の厳しい口調の理由がよくわかっていないみないだ。

 うーん、これは母さんとじっくりと話し合う必要があるみたいだね。




「……アリアはすぐ合格出来たのに、私は全然ダメね……」

「そんなに落ち込まないで、母さん」

「でも……」

「母さん、ヒル夫人が何故母さんをなかなか合格させなかったか、その理由はわかってる?」

「……?」


 やはり、母さんはわかっていなかったみたいだ。


「……母さんは自分に自信がないからだよ」

「……自分に自信?」

「そう。自分が元々は平民で孤児だったことに囚われすぎてるの」

「でも……」

「だから、貴族のヒル夫人に怯えてしまって体が縮こまってるの」


 今日一日、母さんと一緒に授業を受けてきたが、やはり母さんは基本的な事はちゃんと出来ていた。だけど、ビクビクしている為か姿勢が悪く俯き加減だったのだ。


「ヒル夫人は、何度も目線を前にって言っていたでしょ。貴族は常に優雅で、堂々とした姿勢でいなければならないって伯母さんから習った事があるわ。背筋を伸ばして目線を上げていたら、母さんはすぐ合格できるはずよ」

「……そうかしら?でも、この性格はそう簡単には変わらないし、それに孤児だった事実を無かった事にはできないもの」

「神様だって過去は変えられないもの、変わる必要なんて無いと思うよ。でも、発想の転換はできるんじゃないかな」

「……発想の転換?」

「うん。人は初めから貴族としては生まれないって事」

「でも、親が貴族なら、子供も貴族でしょ?」

「じゃあ、この国の初代の王様は生まれた時から王様だったの?違うよね。初代の王様は貧しい農民の子供で、剣一本でのし上がった英雄だったはずよ」


 この歴史は『英雄王の冒険』という童話で、ケルト王国の人なら誰もが一度は聞いた事がある物語だ。その初代王が持っていた剣は今も王宮の宝物庫にあるという話だ。……きっと錆びてボロボロだろうけど。


「けど、初代王の子供は次の王様になったじゃない」

「ふふっ、三人いた初代国王の息子は後継者争いを起こして、弟の二人が処刑されちゃったけどね」


 うーん、母さんはあまり納得していないみたい。


「もっと身近な例をあげると伯母さんがいいかな。伯母さんは騎士爵の娘で結婚相手によっては平民になるかもしれなかった。それに、オウルニィにいる騎士達は殆どが男爵以下の次男とか三男で、殆どが平民になっちゃうでしょ」

「……そうね」

「それ位貴族の地位ってあやふやだし、逆に準男爵ならお金で地位を買えるって言われているでしょ。それに、貴族になってからも悪い事をすれば簡単に爵位を剥奪されちゃうしね」

「……それは、そうかもしれないけど」

「母さんは、父さんと大恋愛の末に今の男爵夫人に出世したんだから、もっと自分に誇りを持ってもいいと思うよ」

「そんな事は……」

「貴族なんて、ただの国の歯車の一つに過ぎないわ。この世界にいる全ての人間は神様から見たら、貴族なんて有象無象の一つにしか見えないもの」


 母さんは呆れてしまっている。

 けれど実際、私にはそうとしか思えない。地位とか名誉とかは親から世襲されても実績と実力が共わななければ簡単に剥奪されるものだ。と言うよりか、そうでなければならないと思っている。……まあ、これは理想論なんだけど。


「だから、母さんはどーんと胸を張ったらいいと思うよ。私は新男爵のハートを撃ち抜いた女です、羨ましいだろーってね」

「……ふふふ、そうね。アリアとお話しして心が軽くなったわ」

「どういたしまして。それと母さんは、ヒル夫人が何故厳しい事を言うか知っておいた方がいいよ」


 そう、何故ヒル夫人が母さんに対して厳しく接するか。


「ただの意地悪ではないの?」

「まさか!母さん、そんな風に思ってたらヒル夫人が可哀想だよ……」

「ごめんなさい……」

「ヒル夫人はいい先生だと思うよ。少なくとも、意地悪で厳しくしている訳ではないから」

「……でも、アリアは簡単にヒル夫人の合格が貰えるのに、私は何度もダメだったじゃない」

「母さん、厳しいのと意地悪は全然違うよ。ヒル夫人は厳しい方だけど、理不尽な要求はしていないわ。それと私と母さんとじゃ同じ合格点な訳がないのは当然だよ」

「……どうして?」


 母さんは手を頬に当てて、首を傾げて見せた。

 ……くそっ!私の生みの親なのに可愛いな、こんちきしょー!


「……貴族学校入学前の七歳の子供と、新進気鋭の新男爵の夫人の合格点が同じな訳ないじゃない!」


 そう、私の合格点は相当低いのだ。

 貴族の社交デビューは貴族学校の卒業後になる。それまでは、貴族学校で親友、もしくは上級生とのお茶会や遊戯会と、親に連れられたお茶会くらいなものなのだ。当然、マナーについてはそれ程うるさくは言われないし、身分差で友人関係が決まっているから、礼儀作法も全てを熟知していなくてもよい。そういった事は、貴族学校で学ぶ事だからだ。

 しかし、母さんは違う。

 父さんはケルト王国で数年ぶりに行われた陞爵によって誕生した新男爵の夫人で、人類史上初の精霊の弟子の母親なのだ。私は精霊の弟子本人だが、まだ七歳の子供なので大人達の盾があるが、母さんには同じような盾がない事はないが、とても少ない。

 更に、父さんは国王陛下の後見を受けたことによって、国王と同じ派閥であるダナーン派に入る事になった。当然、国王主催の晩餐会や舞踏会などにも出席しなければならない。そうなると、当然国王陛下に挨拶をしなければ無礼になってしまう。国王陛下には今まで習った下級貴族の挨拶では通用しない。だから、母さんはマナーや礼儀作法を改めて学び直さないといけないのだ。


「それに、単純に時間が残り少ないんだよ……」

「どういうこと?」

「私のお披露目が間近に迫っているからね。多分、国王陛下も参加されると思うから」


 今の母さんのおどおどした態度では、国王陛下の前には普通は立てない。

 紹介自体は父さんや辺境伯がしてくれるはずだが、国王陛下に挨拶はしなければならない。


「だからヒル夫人は挨拶を中心に授業を進めているんだよ。お披露目ではとりあえず挨拶さえしておけば、父さんや辺境伯夫妻がフォローできるからね」

「……そうだったのね」

「それに、母さんはずっとここには居られないから、滞在中に少しでも教えておきたいと思っているのだと思う」

「……ずっと意地悪をされていると思っていたのに、私の方がご迷惑をおかけしていたのね……」

「ふふふ、そんな事思っていないと思うよ。これは、辺境伯一家にもメリットがあるから喜んで引き受けただろうし」


 私が魔術師になるのも、父さん達が陞爵したのも、そして自分の所領が将来的に大きくなり自身も侯爵になるのも、辺境伯にとって宝くじの一等が当たった様な幸運だったに違いない。

 ウェズリー家は今後ケルト王国内で大きな影響力を持ち、北部地方の最大勢力になる事になるだろう。

 その事を考えたら、母さんにマナーや礼儀作法を教えたり、資金援助をする事なんてなんとも思ってはいないだろう。それどころか、喜んで協力しているはずだ。


「だから母さんは、卑屈になる必要はどこにもないんだよ」


 母さんは少し考えすぎなんだよ。

 人生なんて、なる様にしかならない。本当に意外性の連続なんだから。

 私も、知らず知らずのうちに神様になっちゃったし、また人間に生まれ変わっちゃったしね。

 本当、なんでこうなっちゃったのだろう?不思議な話だ。

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