親として、共に空に

 ヴェイルの翼が、もう一度空を掴んだ。


 それは、俺にとっても生涯忘れられない瞬間だった。


 落下する俺を追いかけ、必死に風を切り裂いて、あいつは俺を抱え込んで着地した。


 あのときのヴェイルの瞳は、間違いなく、恐怖を超えていた。


 空を怖がるんじゃなくて、俺を守るために、あえて飛んだ。


 それは、命の約束だった。


「……ヴェイル」


 俺はそっとその首筋に手を置いた。あのとき以来、ヴェイルは空を見上げるようになった。ただのリハビリじゃない。本当に、空へ帰ろうとしているのがわかる。


 翼を羽ばたかせて、空に向かって飛びあがろうとする。


 その日の夕方、シャムシェが手を組んで、俺の横に立った。


「ユウマ。あんた、やっぱり乗るべきだと思うよ」


 その言葉に、俺は小さく首をかしげる。


「もう乗ったんじゃないか? あいつの背に、命を預けたつもりだ」

「それじゃ足りない。多分、あの子は親であるあんただから、命をかけることができた。レンのために逃げて、墜落をしたのとは違う。あの時、ヴェイルが空を滑降したのは、あんたのためだ」


 シャムシェは、真剣な目で俺を見た。


「あいつは、お前を助けることで空を飛んだ。つまり、今のヴェイルの空にはユウマが必要なんだよ。だから、ちゃんとユウマが主として、騎手として、飛ぶべきだ。私とクロムのように竜人にはそれが必要だと思うぞ」


 思わず、言葉を失った。でも、わかる気がする。ヴェイルは俺を守るために飛んだ。俺が乗っていたからこそ、あの翼が再び広がった。


「でも……ライダーはレンだ。いずれレースに出るのもあいつの役目だ」

「ああ、わかってるよ。でも、いきなり任せるには重すぎるんだ。ヴェイルの背中には、まずお前がもう一度乗って、空を共にする。そうして飛ぶことの意味を、ヴェイルの体に教えてやるんだ。その後でレンに引き継いでも問題ない」


 確かに、そうかもしれない。


 飛竜が再び飛ぶには、翼を癒やすだけじゃ足りない。心も、誇りも、そして何より信頼も、取り戻さなきゃいけない。


 俺が乗って、それを教える。


 この命はもう一度、空を信じるために。


「……わかった。俺がやる。まずは、俺がヴェイルと飛ぶ。そしていつか、あいつをレンに返してやる」

「ふっ……いい返事だね」


 シャムシェはにやりと笑って、肩を叩いた。


 夕陽の中で、ヴェイルが訓練場の奥から俺を見ていた。


 その瞳は、迷いなく、まっすぐに俺を見つめていた。


「一緒に行こうな、ヴェイル」


 銀灰の飛竜が、小さく鳴いて、翼をそっと広げた。


 明日から、本当の飛行訓練が始まる。


 俺とヴェイル、そしてその先にいる、レンのために。


 朝霧がゆっくりと晴れていく中、ヴェイルの前に立っていた。


 あいつはじっと、俺の目を見ている。


 その銀灰の瞳は、以前のような怯えはなく、静かに、でも確かに「覚悟」を湛えていた。


「……よし、いくか」


 俺は深く息を吸い込んで、革製の鞍に手をかける。


 この間は落下してしまった。


 俺自身も緊張する騎乗だった。


 前に落下したときの感覚が、まだ体の奥に残っている。


 地面が迫る恐怖、風が身体を引き剥がしていく圧力、そして、あいつが俺を助けるために翼を傷つけたあの瞬間。


 だが、もう迷わない。


 俺はその背中に乗る。こいつの信頼に応えるために。


「頼むな、ヴェイル」


 鞍に足をかけて、背へと跨った。


 揺れに備えて身体を構えたが、ヴェイルは一切ブレずに踏みとどまってくれた。


 その背中は、温かく、広い。


 不思議なことに、怖くはなかった。


「準備完了だ」


 ヴェイルの背に、俺は軽く合図を出す。


 あいつが低く一度鳴いて、地面を蹴った。


 空気が揺れる。風が巻き上がる。


 そして飛んだ。


 俺の身体が、ヴェイルと共に浮かび上がった。


 朝の空へ、真っすぐに。


 空気が肌を撫でる。羽ばたきのたびに風が巻き、地上がどんどん遠くなっていく。


「……飛んでるな、俺たち」


 思わずつぶやいた言葉に、ヴェイルが小さく鳴いて応えてくれた。


「ギャオ!」


 視界の先に広がる空は、果てしなく、青かった。


 この空を、ヴェイルと共に飛んでいる。


「ドラゴンに乗って空を飛ぶ。夢のような光景だよ」


 異世界に渡ってきて、竜の卵を育てる。


 それを聞いた時に、その背に乗って空を飛ぶことを考えなかったわけじゃない。

 

 この光景を見れたのは、俺の夢が叶って胸が熱くなった。


 そして、きっとこの空を、今度はレンに引き継ぐ日が来る。


 だが今は、この空をヴェイルと共に感じよう。


「行こう、ヴェイル。俺の牧場整備魔法内ではあるが、しっかりと飛ぶこと、そして、ドラゴンとして強くなろう。ワイバーン如きに負けるようなお前じゃない!」

「ギャオ!」


 翼が大きく広がり、俺たちは風の中を翔けていった。


 ドラゴンとしての成長。それは空を飛ぶだけじゃない。強さと速さを手に入れる。

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