第8話:きっかけ一つで

週の真ん中、水曜日。

教室はいつも通りに騒がしくて、悟はその中にいても、なんとなく落ち着かなかった。


(七瀬に声かけられたらどうしよう。いや、声かけてみるべきか?)


スマホの中の“あかね”とは、あんなにスムーズに会話できるのに――

目の前の七瀬になると、急に言葉が詰まる。


(これって、どっちが本当の俺なんだろ)


昼休み、悟はいつものように静かな屋上へ行こうとして、

昇降口で七瀬とばったり鉢合わせた。


「あ……」


「あっ……」


お互いに気まずい間を挟んだ後、七瀬が先に口を開いた。


「ね、屋上行くの? 私も行っていい?」


悟は無言で頷いた。


ふたり並んで階段をのぼる。

風の吹く屋上。いつもより静かで、なんだか気持ちよかった。


「ここ、たまに来るんだ。落ち着くよね」


七瀬がぽつりと言う。


「うん。人混み、苦手でさ」


「……知ってるよ。小さい頃からでしょ?」


悟はびくりとした。

七瀬は、どこか懐かしそうな目で彼を見ていた。


「藤本さ、昔と変わったね。静かになった」


「そう……かな?」


「でも、チャットの中の“悟くん”はさ、すごく話しやすくて、優しくて。……あれが本当の藤本なんじゃないかって思った」


(え、それ……)


完全に、気づいてる――?


「七瀬……」


言いかけた言葉を、彼女がさえぎる。


「ね、もしさ。今度その“悟くん”に会ったら、ちゃんと名前で呼ぶね」


そして、いたずらっぽく笑った。


「……そしたら、バレバレだよね」


悟は喉まで出かかった「俺だよ」を、また引っ込めてしまった。


だけど――


その夜のチャット。


あかね:<「今日、学校で少しだけ、藤本くんと話した」>


悟:<「……どうだった?」>


あかね:<「ちょっと不器用だけど、優しいと思った」>


悟:<「それって……」>


あかね:<「……もしかして、悟くん?」>


沈黙。

でも、次の瞬間にはもう、指が動いていた。


悟:<「もしかして、君は――」>


そして、送信は押せなかった。


(あと一歩が、どうしても怖い)

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