第二十一話 かたちあるものの美
「無垢信仰会」は、その名を静かに脱ぎ捨てようとしていた。
鈴木は、再定義の言葉をひとつずつ慎重に選びながら、信徒たちに語り始めていた。
壇上に立つのではなく、信者と同じ高さで、椅子に座りながら。
「私たちは“うんこをしない”という思想に、自分たちの理想を託してきました。しかし、それは私たちの身体の真実ではなかった。嘘に支えられた美は、いずれ崩れる。私は、崩れた後にも残る美しさを信じたい」
はじめ、ざわつきがあった。
数名の信徒は席を立ち、静かに去っていった。
だが、残った者たちは、次第にその言葉に耳を傾けるようになっていった。
「汚れを否定することではなく、それを含んだうえでなお美しくあろうとすること。私はそれを“真なる美”と呼びたい」
この宣言をもって、鈴木は教団の改組を始めた。
名称は、「共体(ともがら)」。
“清浄”ではなく、“共感”を軸とした共同体。
清浄日誌は廃止された。
代わりに「輪郭ノート」が導入された。
そこには、毎日ひとつだけ、自分の中に感じた“矛盾”や“揺らぎ”を書き記す。
自分を完全にしようとするのではなく、不完全さを可視化し、肯定するための記録だった。
その改革の中で、ひとつの告白が起こった。
それは、美苑自身の口から語られた。
「私は……嘘をついていました。私が“生まれてから一度も排泄をしたことがない”というのは、完全な事実ではなかったのです」
その場にいた誰もが言葉を失った。
しかし、美苑の表情には後悔ではなく、穏やかな安堵が浮かんでいた。
「信仰が私を作ったのではありません。私が信仰を演じていたのです。でも、それがいけないことだとは、今は思っていません。あのとき、私にはその“役割”が必要だった」
彼女の声は震えていなかった。
涙もなかった。
ただ、真っすぐに、自分の弱さを差し出していた。
そして美苑は、教祖の座を自ら降りた。
「私は、あなたたちと同じ器です」と告げ、一般信徒として輪の中に戻っていった。
かつて絶対の象徴だった彼女が、ただ一人の人間として座る姿は、むしろ信徒たちの尊敬を集めた。
一方で、変化に反発する者たちが「純潔派」として独自の集会を持ち始め、旧教団の理念にしがみつく様子も見られた。
だが、鈴木はそれを排斥しなかった。
「否定のない世界には、選択も自由もない」
それが彼の新しい信条だった。
春の光が差す朝、共体の庭には、信徒たちが植えた花が少しずつ芽吹き始めていた。
どの花も、かたちが違っていた。
整ってはいなかった。
けれど、確かにそこには、光に照らされた“真なる美”が咲いていた。
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