物書きの呼吸への応援コメント
食事を摂ろうと思える程度に元気になれば
→それ、です。ある程度元気がないと、食事もできない、睡眠も取れない。この状態が心底理解できる人は、心の底に「飴色玉ねぎソース」が沈殿していると思っています。
自分勝手な理屈でもいいから、何か自分の中にきちんと必然性を醸成してからでないといけない
→ありますあります。むしろ作者が納得していないことをどうやって読者に伝えるのでしょうか。
嘘をついたことが誰にもバレていなくても、自分だけは知っている……ので、書きたい気持ちはありつつも流行りものを書くのは難しいです。
別にみんなに知ってもらう必要もないのでこちらにこっそり書きますが、子どもの頃は作文が苦手でした。賞とったりもしましたが、本人は苦手と思って書いてました。
転機は、高学年になって、友だちの付き合いで図書室で本を借りてハマったことです。
ピーターラビット→シートン動物記→完訳版西遊記→完訳版封神演義へと突き進んだ結果、国語と漢字への苦手意識が薄れ、中学生になると一定の人数が脱落するので偏差値が爆上がりし(数学の偏差値は下がりましたよ、もちろん)、苦手意識が消滅しました。友だちが小説を書いていたというのも大きかったと思います。
カクヨムに登録してから約10年、私の呼吸は止まっていたので、これからは深呼吸しながら生きていきたいです。
……長い、ごめんなさいm(_ _)m
作者からの返信
こんばんは。
こちらこそ、あたたかいコメントをありがとうございます。
こういう自己開示を伴う文章って、捨て身タックルみたいなもので、自動的に読む相手にも踏み込むことにもなるんですよね。なので、こうして丁寧なコメントにご自身のエピソードまで交えていただけるのがまずとても、ほっとした気持ちになります。
苦手と思いながら書いて評価されるというのも、ある種苦しいことなのかもしれませんね。
それでも、素敵なご友人を持たれたのですね。
いまもお元気なのでしょうか。
数学は、私もひどいものでした。
算数は得意だったんですけどね。植木算とか。
食事――当たり前のようで、実はすごく繊細なバランスの上にあるものですよね。
食べ始めると今度は止まらなかったりもして、でもひどく空虚な気持ちになったり。
なんていうんでしょう、ぼそぼそしたカロリーメイトになったような気分になります。苦笑
「飴色玉ねぎソース」の表現も沁みます。
深く、優しく、時間をかけて滲み出てくるものが、きっとあると思います。
自分勝手な理屈でもいいから、必然性を持って書く" というお話も、共感していただいて嬉しいです。
誰にもばれなくても、自分だけは知っている。
だからこそ、自分に嘘をつかない物語を書きたい。
その葛藤を共有できることに、救われる思いです。
そして路地猫さんの呼吸が、少しずつ取り戻されていくこと、何より嬉しいです。
これから、深く、優しく、そして自由な深呼吸ができますように。
またどこかで、作品や言葉を通して出会えることを楽しみにしています。
どうかご無理なく、素敵な物語の旅を。🌿
物書きの呼吸への応援コメント
はじめまして。青山翠雲と申します。
作品を手に取っていただきありがとうございます😊♪
国語が得意だったんですねー。私は、高校2年生までは大の苦手だったんですが、突然、開眼したというか、得点だけは取れるようになった突然変異系なんですよね。
本作、よく掘り下げていられて、感心しながら読みました。ひょっとして、心理学とか勉強されてましたか?
今後とも、ご交誼のほど、よろしくお願いいたします。
作者からの返信
こんばんは。足を運んでいただき、ありがとうございます☺
橘夏影と申します。
交流のある方が御作にレビューを寄せられているのを拝見し、
また、拙作の中で将棋を題材に付け焼刃ながら挑戦したこともあり、
真正面から将棋と向き合っておられるお姿に惹かれて、フォローさせていただきました。
国語については、点を取るテクニックもまたひとつの技術かなと思う反面、点など取れない方がむしろ人間的かもしれない、とも感じたりします。笑
心理学は大学時代にいくつか講義を履修した記憶はありますが、本格的に学んだというより、どちらかというと社会学畑です。
それでも社会と個人の心理は鏡のように映り合っていると感じておりますので、少しでもバランスよく眼差したいなと思っております。
お褒めの言葉、励みになります。
こちらこそ、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
物書きの呼吸への応援コメント
おー、いいですね。橘さん、読ませます。そして、すごく参考になります。
わたくし、橘さんとは作風はまるで違いますが、あちこち、激しく同意致しました。
「私はプロットよりも文体自体に魅力を感じないと自発的に読もうという気にならないということ。」というのは、本当にわたくしもそうです。だから、村上さんみたいに、心理描写がクドクドネチネチと続くのも、とても好きなんです。彼のは、決して絢爛豪華な美文というわけではないのですけれど。
橘さんの文体は村上さんに明らかに影響を受けていますね。
わたくしも橘さんの文章、好きですよ。
だけど読むのに時間かかるんだよなあw
作者からの返信
いつもコメントありがとうございます!
ご共感いただけるところもあったとのことで、嬉しいです。
>だけど読むのに時間かかるんだよなあw
はい、橘、ないし橘に近い主人公での語りとなると、ジトジトとしてしまうのですw
私自身それに疲れることがあるので、違ったキャラクターという鏡を通して物語を書くとデトックスになります。(『おかしな噺』でいうと、鏡のⅠ~Ⅱ、白露、星Ⅰ~Ⅲなどが該当します)
そしてまた自分とは違った文体に出会うと楽しいですよね。
小田島さんの作品にもまた足を運ばせていただきますm(__)m
編集済
物書きの呼吸への応援コメント
コメント失礼します。
書くとウソになることがあります。
自分のことを書くのは、その類ではないでしょうか。
当人だけに、その心情を書くと元の事柄よりも感覚やニュアンスが足りなかったり多すぎたり。
なかなかに、定まらないような気がします。
本作は〝何割橘〟で、できているのか。
ちょっと興味があったりします。
面白いエッセイでした。
ありがとうございました。
作者からの返信
鋭いコメントありがとうございます。
いやもう、これは完全に木山節ですね。
じっ、とモニターと睨み合ってしまいました。
>書くとウソになることがあります。
自分のことを書くのは、その類ではないでしょうか。
まさに、おっしゃる通りです。
言葉という枠組みに閉じ込めた時点で、何かしらのズレが生じてしまう。そして、その元となる「記憶」自体が、そもそも曖昧で、もこもことしているものですから。
まして私は、村上氏のようにペンネーム=本名ではありません。
なので、書いている時の私は“作家としての私”であって、その意味では「中の人」との同一性の問題も生まれてきます。
そこで思い出すのが、敬愛するアゴタ・クリストフ先生の『第三の嘘』の一節です。
「私は彼女に、自分が書こうとしているのはほんとうにあった話だ、しかしそんな話はあるところまで進むと、事実であるだけに耐えがたくなってしまう、そこで自分は話に変更を加えざるを得ないのだ、と答える。……(略)……私はすべてを美化し、物事を実際にあったとおりにではなく、こうあってほしかったという自分の思いにしたがって描くのだ、云々。」
この言葉がまた、読み手に対して自己言及的に揺さぶってくるんですよね。
それすら「本音なのか、演出なのか」分からない。それでも、“真実が紛れている”感覚はある。
では、私の場合は?
十割橘のつもりで書いていても、やはり正直分かりません。
作品内でも、書いているうちに、キャラクターの会話の中から、自分でも忘れていたような何かが浮かび上がってくることがあるのです。
「ちょっと気持ち悪かったな」程度に思っていた記憶が、キャラを通してなぞると、「あれ?……実はすごくおぞましい出来事だったのでは?」と、むしろ書くことで気づいてしまう。
記憶の輪郭が変わっていく。
そのときすでに、「わたし」が「わたしの素材」に変わっている。
でも、だからこそ創作は堪らないのだと思います。
自分の“真実”すら供物として捧げて、それを自分自身で受け取る。
そんな奇妙な循環がそこにある気がします。
なので、私にできるのは、そういう「分からなさ」ごと、ぼとぼとと書き連ねることかなと。
そして、それが誰かに届けば、なおのこと嬉しいことです。
物書きの呼吸への応援コメント
「気づいたら書いてる」
書くなと言われても書かずにはいられないし、きっと読まれなくても書いてしまうのは、物書きの性なんでしょうね。
そして書くならば自分の中で湧き上がる「熱い」ものを書きたいって思います。
他の作品を読む大切さ。私も改めて引き出しを増やしていきたいと思いました!!
エッセイの企画参加ありがとうございました♪
作者からの返信
コメントありがとうございます!
また、素敵な企画に参加させていただき、重ねて御礼申し上げます。
>そして書くならば自分の中で湧き上がる「熱い」ものを書きたいって思います。
これはおっしゃる通りで、「熱」というのは何においても最も重要なことなのだろうなと、思うのです。
今後とも、よろしくお願い致します。
物書きの呼吸への応援コメント
おはようございます
『おかしな噺』
の完結編から、けっきょく、こちらにお邪魔しております
文体が合うかどうか
というのは、とてもよくわかります
わたくしにとっては、栗本薫さんでしょう
『グイン・サーガ』は日本のヒロイックファンタジーにおける金字塔だと思っています
十回以上の引っ越しを経験していますが、ずっと手元にあります(引っ越し屋さん、段ボール重くてごめんなさい案件)
橘さまの作品には、たしかに村上春樹さんの影を感じます
全身で吸収なさったんでしょうね
ひとのことばが、またべつのひとのことばを作っていくというのは、実に愉快で、美しい(その伝えられたことばが美しいものである限りは)ですね
昨日、小学生の短冊が飾られた七夕飾りを見る機会がありました
「ウクライナとロシアが平和になりますように」
去年も、見たな……と、思いました。きっと、別の子の願いなのでしょうけれど
おそらくは、日本中で、子どもたちの同じ願いの短冊が、いくつも揺れている
ことばの中の、なにかよきもの、は、こんなふうにわたくしに不意打ちを食らわします
橘さまの次に紡がれることばも、楽しみにしています
すっかり起きてしまったので、残り30分、我が異世界で遊んできます
どうぞ、良い一日をお過ごしくださいませ
作者からの返信
・みすみ・様 おはようございます
大変に丁寧なお言葉をいただき、ありがとうございます
栗本薫さんは不勉強で読んだことがないのですが、『グイン・サーガ』、彼に薦めてみますね
・みすみ・様のご文体が影響を受けているのであれば、それはきっと素敵なのでしょうね
ついつい段ボールが多くなってしまうの、わかります(笑)
特に本、引っ越した後に捨てたりして
最初から捨てとけや!となりますよね(苦笑)
遠い土地の、誰かの平和を願う気持ち
想像力の翼ですね
先々で苦しいこともあるのでしょうけれど、どうかそのままでいてほしいと、願ってしまいますね
彼が今朝、仕事の謝罪に向かったビルにあった短冊には「強くなる!」と書いていたそうです(笑)
かわいいですよね
楽しみとのお言葉、嬉しいです
きちんと伝えておきます
・みすみ・様も、どうぞ良い一日を お過ごしくださいね