独白する雁渡し

粟野蒼天

雁渡しと少年

 私の名は雁渡しかりわたし。主に初秋から中秋にかけて吹き荒れる北風である。

 この素晴らしい名前の由来は人が私が吹き荒れる頃にかりが渡ってくる様を見て名付けた名前だ。実に素晴らしいネーミングセンスだ。そう思わないかい?

 

 君もそう思うだろう。少年。


 下を覗くとそこには、私に抗いながら必死になって自転車を漕いでいる少年の姿があった。


「がぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙……畜生、北風なんて大嫌いだぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙……吹き荒れんじゃねぇぇぇぇ!!!!」


 なんとも不愉快な小僧だ。この私のことを大声で嫌いと叫ぶか。

 昔の人間は私に吹かれる度に「良きかな」などと口ずさんでいたものを、最近の人間というのは私に吹かれて心を和ませることもできないとは、穏やかではないな。どれ。


 私は少年に向かって強く強く吹き荒れてやった。


「くぉ゙ぉ゙ぉ゙ぉ゙吹き荒れるなって言ってるだろうがぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙!!!!」


 吹くなと言われたらもっと吹きたくなってしまうではないか!


「うぉ゙ぉ゙ぉ゙ぉ゙ぉ゙ぉ゙」


 遂に言葉も発せなくなったか。私の悪口を口ずさむからそうなるのだ。

 私のことを褒めぬ口など使えなくなってしまえば良いのだ。


「うわっ!!」


 余りの風力に少年は自転車と共に田んぼに落下していった。


 泥まみれになった少年は田んぼの中でみっともない姿を晒し、項垂れていた。

 泥の匂いが当たりに広がっていく。

 泥の味はさぞ不味かろう。私に暴言を吐いた報いだ。

 

 少年は動かない。

 どうした。私に手も足も出ないことがそんなにも悔しかったのか?


 少年は一向に動かない。しばらく眺めていたがピクリとも動かない。退屈になった私はその場から離れようとしたその時。


「くそったれ──!!」


 少年が雄叫びを上げた。

 どうしたというのだ?


「待ちあげれ、このクソミソ北風、勝ち逃げする気か? 俺はまだ立っているぞ、うはははは!!」


 なんとなんと、さっきと同じ人間とは思えない気迫。威勢のよい少年だ。まるで私のことが見えているようだ。

 良かろう、その勝負受けて立とう。


 少年は田んぼから自転車を取り起こし、泥を払い捨て、そのサドルに跨がり、鬼気迫る表情で私に向かって突っ込んでくる。


「待ちやがれ──!!」


 面白い。やはり人間というものは何に対しても必死になってこそ、輝くというものだ。もっと、もっと私の闘争心に火を付けてくれ。


 こうして私と少年との長い長い勝負が幕を開けた。


 風。風。風。私は力の限りに少年に吹き荒れた。

 草木は宙を舞い、風車が踊り狂う。鳥は制御を失い地面に落ち、猫は木陰に蹲っている。

 少年は笑いながら、私に打たれていく。

 雨粒が弾幕のようにして少年に襲いかかるがそれでも尚、少年は笑顔を絶やさなかった。ペダルを強く強く踏み込み、私の中を漠然と走り抜いていく。


「どうした、北風……俺はまだ進んでるぞ!」


 少年の足は止まらなかった。物凄い勢いだ。


 その姿はとても美しいものだった。


 やがて、私は力を失っていき、少年の速度が徐々に上がっていく。

 そうして、私と少年との勝負は少年の勝ちで終わったのだった。


 負けてしまったな。

 私の心に悔しさが芽生えた。


 少年は雲から射す日の光に照らされながら、私に勝ったという達成感が溢れ出して雄叫びを上げていた。


「しゃっらーーっやってやったぞーー!!」


 私はその姿を眺めたまま遠くへ遠くへと吹き去ったのだった。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

独白する雁渡し 粟野蒼天 @tendarnma

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ