消えた饅頭の謎

kou

第1話 お祭りの前の怪事件 - 消えた鎮守饅頭

 うららかな春の日差しが、古びた鳥居の朱を優しく照らし出す。

 まだ少し肌寒い風が、満開を迎えた境内のしだれ桜の花びらをはらはらと舞い上げ、まるで淡い雪のようだ。

 ここ町の小高い丘に鎮座する蔦木神社は、間近に迫った春季例祭れいさいの準備で、普段の静けさとは違う、どこか浮き立つような空気に包まれていた。

「彩。そっちの提灯、もう少し右に寄せてくれる?」

 拝殿の軒先に飾り付けられる赤と白の御神灯ごしんとうの位置を指示するのは、蔦木つたぎ宮子みやこだ。

 きりりとした白い小袖に松葉色の袴は、彼女が結婚を期に巫女を引退し、神社職員であることを意味するが、この古い神社の伝統を守る彼女の姿は、凛として美しい。宮子はいつも背筋を伸ばし、揺るぎない態度で神事に臨んでいる。

「はーい!」

 返事をしたのは、小学生の娘・蔦木つたぎあやだ。

 背中まで届こうかという豊かな黒髪は、一本の太い三つ編みに丁寧に編み込まれ、白い組紐できりりと結ばれていた。陽の光を浴びると、まるで鴉の濡れ羽色のようにしっとりとした艶を放つ。その髪に縁どられた白い首筋は、まだ華奢で幼さを残しているものの、顔立ちは驚くほど整っていた。

 すっと通った鼻筋、薄く引き結ばれた唇。

 そして何より印象的なのは、大きな黒い瞳。その奥には、子供らしい無邪気さとは違う、静かな湖面のような落ち着きと、物事の本質を見定めようとするような利発な光が宿っている。

 この古社の静謐な空気を吸って育った、特別な雰囲気を纏う少女だ。

 彩はクラスメイトの女子数人と共に、はしゃぎながらも、慣れた手つきで笹の葉を飾り付けたり、しでの準備をしたりしている。春休みとはいえ、神社の娘である彩にとっては、祭りの準備は大切な務めの一つだった。

「おーい、彩! 手伝いに来たぜ!」

 石段を駆け上がってくる足音だけで、誰だか分かった。

 見るからにエネルギーの塊のような少年――戸山とやましょうだ。

 日に焼けた肌に、つんと尖った鼻。額に滲んだ汗も厭わず、その瞳はいつも好奇心と冒険心でキラキラと輝いている。

 まだ小さな体つきながら背筋は竹のようにすっと伸び、立ち姿には隙がない。短く刈り揃えられた髪は清潔感があり、彼の竹を割ったような性格をそのまま表しているかのようだ。

 子供らしい快活さの中に、どこか一本筋の通った、堂々とした雰囲気を漂わせている。その存在感は、まるで太陽のように周囲を明るく照らす力を持っていた。

 竹刀ケースを肩にかけているところを見ると、剣道での稽古帰りだろう。日に焼けた顔には、春の陽光にも負けない溌溂はつらつとしたエネルギーが満ちている。

「翔。早かったね」

 彩が声をかけると、翔の後ろからもう一人、ひょこりと顔を出した。

翔の隣に立つ少年は、まるで対照的な存在だった。

一見して寡黙、というより、必要最低限の言葉以外は自ら発しようとしない。その静かな佇まいは、感情の起伏を一切表面に出さない、精巧な彫像を思わせた。

健康的な色白の肌と、切り揃えられた黒髪が、ともすれば冷たいと感じられるほどの理知的な雰囲気を醸し出している。

 玻璃はりのように透き通った瞳は、常に冷静に周囲を観察し、分析しているかのようだ。同年代の子供たちが持つ喧騒とは無縁の、どこか大人びた、達観したような空気を纏った少年。

 彼の名前は、水無月みなづき春斗はるとといった。

 対照的に落ち着いた雰囲気の彼は、分厚い本を小脇に抱えている。図書館にでも行っていたのかもしれない。

「やあ、彩。それに、みんなも。何か手伝えることはあるかい?」

 春斗は、手伝いをしていた女子たちにも丁寧に挨拶をする。

皆同じクラスメイトであり、この神社は彼らにとっても馴染み深い遊び場のような場所だった。

「それより、お饅頭! 今年も作るんだろ? 鎮守饅頭!」

 翔が、期待に満ちた目で彩に詰め寄る。彼の頭の中は、すでに祭りの楽しみでいっぱいらしい。

「もちろんよ。今、母さんが社務所で準備してる」

 彩が指さす社務所の奥からは、甘く、そしてどこか香ばしい匂いがふわりと漂ってきていた。今年の春祭りでも、蔦木神社特製の「鎮守饅頭」は目玉の一つだ。

 神社の裏手、清らかな水が流れる山の麓にある特別な畑で、代々受け継がれてきた小豆だけを使って作られるその餡は、雑味がなく、口に入れると絹のようになめらかに溶けていく。

 艶やかな薄皮に包まれた紫色の餡は、見た目も美しく、毎年、祭りの日には遠方から買い求めに来る人もいるほどの逸品だった。

 宮子はこの饅頭作りには並々ならぬ愛情を注いでおり、その工程は一種の神事のように厳かに行われる。

 そして、完成した饅頭は、祭りの日まで、社務所の奥にある納戸の冷蔵庫に、大切に保管されるのだ。饅頭を保管する桐箱は、年代を感じさせる黒光りする金具がついており、どこか秘密めいた雰囲気を漂わせるのだ。

 そして、宮子は、出来立ての鎮守饅頭を、手伝いに来てくれた子供たちに振る舞ってくれるのだった。


 ◆


 その日の午後。

 祭りの準備も一段落し、彩は母に頼まれて、完成した鎮守饅頭を桐箱に仕舞う手伝いをしていた。一つ一つ丁寧に和紙で包まれた饅頭を数えながら箱に納めていく。

「50個……。51、52……ん? あれ……?」

 彩は思わず首を傾げた。

 母と一緒に数えた時は、確かに54個あったはずだ。今日はまだ誰もこの箱には触れていない。

「おかしいな……。数え間違えたのかな?」

 もう一度、箱の中の饅頭を数え直してみるが、やはり52個しかない。2つ、足りない。

「きっと私の勘違いね」

 彩は気を取り直し、桐箱の蓋を閉めた。

 しかし、胸の奥に小さな棘が刺さったような、妙な引っ掛かりを感じていた。

 友達と祭りの準備をしていても、何か釈然としなかった。

 そこで、彩が再び饅頭の数を確かめようと冷蔵庫の鍵を開け、饅頭の入った桐箱を開けた時、その胸騒ぎは確信に変わった。

「ウソ。減ってる……」

 今度は1つ。

 確かに52個あったはずの饅頭が、51になっていた。

 まるで、饅頭だけが、ふっと煙のように消えてしまったかのようだ。背筋に冷たいものが走る。

 これは、ただ事ではない。

 まるで、目に見えない何かの仕業――心霊現象とでもいうような、不可解な出来事だった。

 彩が青い顔で社務所から出てくると、ちょうど翔や春斗、手伝いに来ていた女子数人が境内で休憩を取っているところだった。

「どうしたの、彩? 顔色悪いよ?」

 心配そうに声をかけてきたのは、クラスメイトの早苗だ。

「実は……」

 彩が、饅頭が奇妙な形で減っていることを話すと、皆一様に驚きの表情を浮かべた。

「誰かが食べてるんじゃないの?」

「ネズミとか?」

「でも、ここの冷蔵庫って鍵がかかてたんでしょ」

 口々に言い合う中、早苗が翔の方をちらりと見て言った。

「ねえ、もしかして翔じゃない? 『饅頭、饅頭』ってうるさかったし。男の子って、すぐつまみ食いするイメージあるし」

 その言葉に、翔の顔が一瞬で怒りに染まった。

「なっ……! なんだよそれ! 俺じゃねえよ!」

「だって、翔って食いしん坊よね」

 早苗は悪びれ疑う。

「それは関係ないだろ! なんで男だからって疑うんだよ!」

 翔は声を荒らげる。根拠のない決めつけへの怒りで、拳を固く握りしめていた。

「早苗、それは良くないわ」

 静かだが、芯の通った声で彩が割って入って続ける。

「男の子だからとか、女の子だからとか、そういう理由で人を疑うのはおかしいと思う。ちゃんと証拠があるなら別だけど、イメージだけで決めつけるのは、間違ってる」

 彩の毅然とした態度に、早苗は少し気圧されたように口をつぐんだ。

 彩自身、母の姿を見て育つ中で、性別による偏見やステレオタイプには敏感になっていたのだ。フェミニストという言葉を具体的に知っている訳ではないが、理不尽な決めつけは許せないという気持ちが強かった。

「そうだそうだ! 俺は絶対にやってないからな!」

 翔が彩に加勢し、自身を守るように腕組みをした。

「まあ、落ち着けよ翔」

 春斗が冷静に間に入り、彩から状況を詳しく訊くと、彼は秀才らしく分析し始める。

「状況を整理しよう。饅頭は鍵のかかった冷蔵庫の箱の中から消えている。無理に開けられた形跡はない。つまり、これは通常の盗難とは考えにくい。まるで密室からの消失だ。論理的に説明がつかない」

 春斗は顎に手を当て、探偵のように呟いた。そのクールな瞳の奥には、不可解な謎への好奇心が灯っている。

「これは、僕たちで調べるしかないんじゃないか?」

 春斗が提案した。

「この奇妙な事件の真相を突き止めて、翔の疑いも晴らすんだ」

 春斗の言葉に、翔の顔がぱっと輝いた。

「おおっ! いいな、それ! よし、やってやろうぜ! 『鎮守饅頭消失事件・特別捜査隊』、結成だ!」

 翔のネーミングセンスに、春斗と彩はげんなりしつつも、捜査には同意した。

 不安はある。

 でも、それ以上に、この謎を解き明かしたいという気持ちと、友達のために力になりたいという思いが強かった。

「うん、やろう!」

 と彩。

「まずは、あの桐箱の周りをしっかり調べるところからだ」

 春斗は提言した。

 春の柔らかな日差しが、決意を新たにした三人の少年少女を照らしている。

 これから始まるであろう不思議な出来事への予感、未知なるものへの微かな恐怖、そして友情で結ばれた強い絆。

 彼らの特別な春休みが、消えた鎮守饅頭の謎と共に、始まろうとしていた。

(続く)

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