くだらない呪い
晴牧アヤ
くだらない呪い
昔々、とある大きなお屋敷に一人のメイドがおりました。
メイドは拾い子でした。両親のことはあまり覚えていませんが、捨てられたことだけは覚えています。ある夜の森の中、偶然にも屋敷の主人に出会った幼い少女は、その日からメイドとして雇われることとなりました。
屋敷の主人には娘がおり、メイドとお嬢様はちょうど同じ年齢でした。そのためメイドはお嬢様のお世話をよく任されており、二人が家族同然に親しくなるのに時間は掛かりませんでした。
ある時から、メイドの胸の内から覚えのない感情が渦巻き始めました。それは、お嬢様への恋慕の念でした。
それがいけないことなのだと、また叶うはずもないものなのだと、同時に気付いていました。ですので、メイドは必死にそれから目を背けようとしようとしたのです。
自然とそれを誤魔化すように、お嬢様へのスキンシップは増えていきました。急に抱き着いてみたり、意味もなく手を握ってみたり、物理的に距離を縮めようと無意識に試行しました。けれどもそれは家族だからこそのスキンシップなのだと、お嬢様乃至は自分に言い聞かせていたのです。
尤も、お嬢様がメイドの心情に気が付いていたのかどうかは定かではありません。ですが、お嬢様はそんな日々を確かに幸せだと感じていました。
そうして月日が過ぎ、お嬢様が18歳になった時のことです。メイドはある日、お嬢様に恋人が出来たのだという噂を耳にしました。
今までにない衝撃を受けました。私の方が昔から愛しているというのに、何故どこの誰かもわからない奴にお嬢様を奪われないといけないのか。甚だ度し難いことであり、メイドは憤りました。
焦ってお嬢様に問い詰めると、彼女は恋人関係を否定しました。彼はただの友人であり、彼に対して恋愛感情など毛頭ない。噂は全くの出鱈目なのだと。
お嬢様の言葉に安堵したメイドでしたが、念の為その男を事を詳しく調べてみることにしました。すると、男はお嬢様に特別な好意を抱いているではありませんか。
メイドは再び焦燥しました。ともすれば、奴がお嬢様を誑かさないとも限りません。奴を生かしてはおけない、そう感じたメイドはどう奴を処分するべきかを考えました。
そこでメイドは呪いに手を出しました。今となっては、よりにもよってそんなことをするなど愚かしく思えますが、一方で無理もありませんでした。自ら手を下す必要がなく、加えて大いに苦しみを与えられる点は、メイドの目には輝かしく見えたのですから。
メイドは早急に、如何に男を苦しめられるのかと呪いを調べ尽くしました。そうして最大限に苦しめられる呪術を、彼女は見つけてしまったのです。
準備にはかなり時間と労力を要しました。今すぐに殺せないのがもどかしく、必要なものを手に入れるのも容易ではありません。ですが、邪魔な奴を排除するためには仕方ないことであると言い聞かせ、その先にお嬢様との日々が帰ってくるのだと信じてやみませんでした。
その数ヶ月後、遂に呪いを実行に移すこととなりました。メイドの脳内には失敗するなんて結果は毛頭ありませんでした。それは「頑張ったから」とかいう薄っぺらい根拠で、なんとも浅はかだと言えるでしょう。ですが、彼女は本気でお嬢様との幸せな日々を取り戻せるものだと過信していたのです。
結果はといえば、成功したと言って差し支えないでしょう。実際、男は全身が焼け爛れるような激痛を何日にも渡って味わった末、発狂した後に息を引き取ったそうです。そんな末路を聞いて、メイドが喜ばないわけがありませんでした。こうして、メイドの悲願は達成されたのです。
……これで終わったなら、どれほど良かったことでしょう。
メイドは勘違いをしていました。どうして、彼女はあの男を滅しただけで幸せになれると思っていたでしょうか。いつまで、お嬢様とは決して結ばれないことに目を背けるのでしょうか。なぜ、呪いなんてものを画期的な道具だと思っていたのでしょうか。
人を呪わば穴二つ、とはよく言ったものです。だというのに、メイドはそのことを知り得ていませんでした。それでも罪は罪、無知に掛ける情けなどありません。あまりに愚かというほかないでしょう。そんな愚か者の末路さえも、見るに耐えられないものでした。
男の訃報を聞いて数日が経った頃です。メイドは心臓を掴まれたような苦しさを覚え、その場に倒れ込みました。ちょうどお嬢様と夕食をとっていた時のことでした。
その時は幸い大事には至りませんでした。いえ、むしろその時死んでいた方がずっと楽だったのでしょう。呪いというものは、人を苦しめる為に作られているのですから。
それからメイドは、心臓を締められるような痛みに毎晩うなされるようになりました。それはもはや比喩などではなく、本当に心臓を握りつぶされるほど締め付けられていたのです。痛みは日ごとに増していき、一週間が経つ頃にはひどく憔悴していました。そのような状態で普段の仕事やお嬢様の世話などできるはずもなく、メイドは部屋に籠るようになりました。
そんなメイドを心配したお嬢様は、看病するためにメイドの部屋へ赴きました。それが最期の晩でした。
メイドはやつれた様子で、体を震わせて怯えていました。布団をかぶって歯をかちかち鳴らしながら、『それ』を待っていました。
その姿を見て、お嬢様はすぐにメイドを抱き込みました。それは何年も共に過ごしてきた彼女の助けになりたいと思ったからだけではありません。お嬢様は、彼女が何処かに行ってしまう気がしたのです。
お嬢様はメイドに、心当たりはあるのかと聞きました。もちろん、メイドには男に掛けた呪いが返ってきているのだと察していましたが、呪いのことは決して話せませんでした。きっとお嬢様に嫌われてしまうと思ったからです。お嬢様は何度か問いましたが、詮索するべきことではないと勘づくと、そのことにはついては触れないようにしました。実際、お嬢様にとってそれは些事であり、メイドがまた笑ってくれれば良かったのです。
しばらく、二人はベッドの上で寄り添っていました。お嬢様はメイドを安心させるように包み込み、そうしているうちにメイドの心は少しずつ穏やかになっていきました。30分もすれば、メイドは安堵の眠りに落ちていました。
その様子にお嬢様が安心したのも束の間、寝ていたはずのメイドが血を吐き出したのです。同時に、メイドは己の最期を悟りました。
これにはお嬢様も狼狽し、嫌な予感が的中したことに絶句しました。メイドは床に倒れ落ちました。吐血は未だ止まらず、体はほとんど動かせないところまできています。
メイドはこの痛みを罰だと感じておりました。事実、メイドはほとんど私怨だけで呪いを行使し、男を殺めたのです。代償というには余りにも他人事だといえるでしょう。後悔も懺悔も止まらない。けれども、メイドは罰を受けなければいけませんでした。
お嬢様は泣き叫び、メイドの顔を覗き込んで呼びかけてきます。メイドはそれに気づくと、自分のことを想ってくれるお嬢様へ、最期の力を振り絞って上半身を起こしました。そうしてゆっくりとお嬢様に顔を近付けて、そっと彼女の額に口付けをしたのです。
唇が額に触れたと同時に、メイドは再び崩れ落ちました。視界は暗転し、今度こそ彼女が起き上がることはありませんでした。こうして、彼女は息を引き取ったのです。
贖罪というには自分本位が過ぎることでしょう。ですので、メイドにとってその行為は遺言に他なりませんでした。世界中の誰よりも強い愛を、お嬢様に伝えなければなりませんでしたから。
お嬢様が嘆く傍ら、メイドの顔は確かに微笑んでいたのでした。
くだらない呪い 晴牧アヤ @saiboku
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