what do you mean?

三ツ矢凪

「いやだ」

『だって俺、梨穂子のこと好きだもん』

ただのうわ言だってわかっちゃいるけど。意味なんてないことも知ってるけど。

バカな私はどうしたって、8年も、この言葉を忘れられずにいる。


***


「あのさあ、私明日も仕事だって言ってんじゃん」

『夜なら空いてるでしょ? 俺も仕事だし』

「金曜日だよ? 取引先に誘われたらそっち行かなきゃだし」

『えー。俺、梨穂子に会いたいよ?』

その言葉に頭が痛い気がして、指で眉間をもみほぐす。大体、私はまだ家にすら帰れていない。絶賛残業中なのだ。目の前のパソコンには作成途中のエクセルが開いたままだし、今日の商談の報告書類もまだ上がっていない。

デスクの上の電波時計は21時を示しているし、会社から家まで最低でも1時間はかかるし、一刻も早く作業に戻りたいのに電話先の男は呑気に駄々をこねてるし。

『梨穂子。ねえ、お願い』

「いやだ。金曜日ぐらい休ませてよ」

『ねえ、梨穂子。愛してるからお願い』

「だからさあ! いちいち『愛してる』とか言わないでくれる。うっとおしい」

『冷たいなあ』

キツイ言葉がつらつらと出るのは年の功というやつだ。顔の赤みはいくつになっても隠せないけど。

最近のスマホは吐息の音まで丁寧に拾って、大きく聞かせてくるもので、奴の低めでどこか力の抜けた声と合わさると無駄な殺傷力を持ちやがるのだ。長年の経験で耐性は出来ても慣れることはない。非常に腹立たしい。

大体、私と奴は恋人でも婚約者でもなんでもない。ただの高校から大学、果ては職場の最寄駅まで一緒という腐れ縁の関係だ。決して毎日会うような関係でもないし、お互いに好きだと好意を口にするような関係でもない。ただ、奴は月に数度思い出したかのように私に電話を寄越して、強引に飲みに誘ってくる。

未だ異性(今時異性と括るのはよろしくないのかもしれない)相手に多大な勘違いを生み続けているだろう、砂糖菓子のように甘い言葉を引っさげて。

「わがまま」と呼べば可愛らしいが、やってることは悪魔みたいな男だ。

「とにかく私は外であんたと飲むより、家で飲んでる方がよっぽど楽だし、好きなの。いい加減にしつこい。まだ仕事あるから切るよ」

『え、待って梨穂、』

強引にスマホの画面に浮かぶ赤いバツボタンを叩くと、そのままスマホの電源を落とした。

これでもう邪魔はされないだろう。気合いを入れようと両頬を叩きブラックコーヒーを煽ると、爛々と光るパソコンのディスプレイに少し眩しさを覚えながら、見慣れた数字を目で追う作業に戻った。


***


奴と私の出会いは高校一年の時の席替えだった。クジで運良く窓側の一番後ろをゲットした私はこれで快適な3ヶ月を過ごせるとワクワクしていたのに、隣に来た奴の顔を見た瞬間にそんな気持ちが一気に萎んでいった。


入学したての高校でもちょっとした騒ぎになる程、顔が無駄に整っているその男、藤堂は私と目が合うなりどこぞのアイドルだか、俳優だかに例えられるような整った顔をパアっと文字通りキラキラさせて、

「星海 梨穂子さんだよね? ずっと可愛い名前だなあって思ってたんだけど、梨穂子ちゃんって呼んでいい?」

と、馴れ馴れしく陽キャ特有の明るく弾んだ声と距離感でいきなり詰めてきたのだ。

当時どちらかといえば陰気寄りで、盛大に人見知りを拗らせていた私は、取り繕うことすらできず顔が引きつっていたのをよく憶えている。

一度も話したことはないのに、私と住む世界が違うタイプだと考える間も無く理解させられた。そんな人当たりがよく、放課後はスタバでフラペチーノでも飲んでそうな。ザ・青春とでも言うべきキラキラした感じは、どちらかといえば家で本を読んでる方が好きな私の目には毒だった。周囲のクラスメイトからの視線も痛い。人からの注目とか得意じゃないし、とてもいやだ。

「あの、藤堂くんちょっと、」

「そうそう、俺藤堂! ずっと梨穂子ちゃん気になってたんだよね」

聞いてないことをペラペラと話し続ける、クラスの人気者。その前で身を小さく縮めて俯くしかできない人見知りの私。

勇気を出して顔を上げると、私が情けない顔をしていたのか、彼は人好きのする切れ長の目に皺を作って、くしゃりと笑った。

「ごめんね、いきなり。でも嬉しくて。梨穂子ちゃん可愛いし」

端から聞けばイタい台詞ばかりなのに、それすら似合うどころか使いこなしてしまう。そんなキラキラ人間に当てられた私は暑くもないのにクラクラしてきて、同時に色々なことを諦めた。


そこからの3年間、いや正しくは10年間。私は奴に絡まれ続けている。

気づけば藤堂のことを好みそうなキラキラとした女子はほとんどが敵だったし、逆に男子は私が奴に絡まれてるのを見ればあっという間に逃げて行ってしまう。

奇跡的に彼氏ができても、藤堂は意にも介さず私を構うのですぐ喧嘩になって別れてしまう。

25歳の現在も彼氏なし。付き合ったのは最長でも3カ月。そのうち2カ月倦怠期。

ちなみに奴はキラキラ星人なので、定期的に彼女がいると噂が立ったり、私に根をもつキラキラ女子に「藤堂と付き合い出したから、お前は引っ込んどけ」と念を押されたり、実際に陽キャグループとキャッキャ遊んでいた姿を見ていると、どうやら取っ替え引っ替えしてるらしい。腹立たしい。

だというのに、満更でもない自分が本当にいただけない。10年経っても未だ私の側に居続ける藤堂に、気を抜くと顔と頭が緩んでしまう自分をいっそ殺してしまいたい。

顔がよくて居心地もよくて、つまんない私みたいな人間を飽きずに構ってくれる人間なんて奴しかいないので、年々依存度が上がってしまっているような気がしていっそ吐き気すらしてくる。

期待なんてするもんじゃないのに。いつまでたってもそんな関係にはなれないのに。

25歳。仕事は楽しいけど、仕事だけじゃ寂しくなる年頃だ。


***


「星海さん、今夜空いてる?」


次の日の金曜日。週の最後ということで、一日中デスクに座り、来週の商談スケジュールをまとめていた。私の仕事は掃除機の大手メーカーの販売営業で、各量販店の店長さんと商談を繰り返したり、売り場展開を確認したり、販売に繋がらない店舗には改善方法を提案していく仕事だ。

歩き回るから体力がいるし女性だとなめられがちな仕事だけど、売り場のインテリアを考えたり、頭の固い現場叩きのおじさん店長相手に商談と説得を繰り返したりと、意外と楽しい面も多くある。大学を出て4年目。やっと大きめの売り場も任されるようになってきて、責任とやりがいが増えてきた年頃だ。


名前を呼ばれたので顔を上げると、柔和な顔をしたお兄さんがパソコン越しにこちらを見下ろしていた。直属の上司でエリアリーダーの涼元さんである。名前の通りいつも涼しげな一重瞼が特徴的な爽やかイケメンさんで、量販店のおじさん達からの評判もいい。

首をかしげると「空いてるならさ、飲み行こうよ」と言われ、昨日の電話を思い出し、反射的に顔をしかめる。

「あれ。都合悪かった?」

「そんなことないです! ちょっと嫌なこと思い出して」

「ふふっ。星海さんいつも冷静に見えるのに珍しいね?」

「そうですか? 結構頭の中はいつもバタバタしてますけど」

「そうなんだ。あまり顔に出ないのかな? いいことだね」

「鉄仮面とでも言いたいんですか?」

「いやいやそこまで言ってないからね?」

クスクスと堪えるように笑う涼元さんは残業続きでしんどい日々の癒しだ。「今日は定時にあがろうね」と頭を撫でられ思わず嬉しくなる。後3時間これだけで頑張れる。

昨夜電話で駄々を捏ねていた奴のことは忘れていたことにしよう。どうせ花の金曜日。会社の同僚とかに捕まってオシャレなバーとか行くんだろう。


***


涼元さんと本当に定時までに仕事を終わらせ、会社にほど近い和食屋さんでビールを頼む。先に出てきた冷たい麦茶とお通しで出てきたほうれん草のお浸しに、お腹が空いていた私は早速箸をつけた。

私も涼元さんもいわゆる騒がしい居酒屋が苦手で、2人で飲むときは昼は定食屋さんをやっているような小さなところで飲むことが多い。少し割高でも食事は美味しいし、お酒は申し分ないし。何より店が程よく騒がしくてもうるさくないので、居心地がいいのだ。

出汁を多く吸ったほうれん草の程よい甘さに思わず顔が緩むと、麦茶を一口飲んだ涼元さんが軽い調子で口を開く。

「そういえば星海さんってさ、恋人いるの?」

ギョッとして正面に座る彼を見ると、涼元さんは珍しく吹き出すようにして笑った。そんなに面白かっただろうか。

「本当に星海さんって表情変わらないけど、行動に全部出ちゃうよね」

「え。恥ずかしい……」

「いやいやチャームポイントだと思うよ? 素敵」

ニコニコしながらテーブルに肘をつき、長い指を絡めて顎を載せている涼元さんは爽やかでカッコいい。

間も無く店員さんが持ってきた中ジョッキを私が手を出す隙もなく受け取り、「銀鱈と枝豆と唐揚げください」とテキパキと次の注文も済ませ、私に手渡したジョッキとコチンと軽くぶつけてから、ニコッと微笑んでビールを煽る。

動きがいちいちスマートだ。魅力的な男性とはこういう人を言うんだろうなあ、なんて考えながらぼんやりしていると、ジョッキをテーブルに置いた涼元さんの瞳が悪戯を仕掛ける猫みたいに光ったので、私は咄嗟に背筋を伸ばした。

「で、恋人いるの?」

「……いると思います?」

「ってことはいないんだね。もったいないなあ」

図星だ。ベテラン営業相手にはこういう駆け引きは意味がないらしい。

彼が言う「もったいない」の意味がわからなくて首をかしげると、涼元さんが意味ありげに眉を上げた。

「ほら、あんまり焦ってる様子もないからさ。星海さんの同期に比べると」

「結婚に対してってことですか?」

「うん。だからてっきり彼氏でもいるのかと。あ、別に女性は結婚が全てとか思ってるわけじゃないよ。僕としても仕事続けてくれる方がありがたいわけだし。でも、プライベートも充実しててほしいなあって思うからさ」

その言葉に思わず唸る。確かに最近仕事しかしてないし、週末は家で寝るか、酒飲むか、弟に押し付けられたゲームをするかとかしかしてない。

「なんか趣味とかあるの?」

「読書とか……?」

「ふーん。じゃあ好きな芸能人がいたり?」

「いや、特に」

「じゃあ好きな人がいるんだ?」

何故か脳裏に藤堂の顔がチラついて、咄嗟に首を横に振る。涼元さんに「へえ」とニヤつかれて思わず顔が赤くなった。

我ながらなんだこの反応は。私は恋する乙女か。いい大人にもなって恥ずかしい。

でも正直涼元さんの言葉は決して外れてる訳でもなくて。結局私はもう8年も前の奴の気まぐれに期待してしまって、忘れられないまま今も燻っている。


***


「りーほーこ。一緒に帰ろうよ」

後ろから聞こえた気の抜けた声に私はスクールバッグに教科書を詰め込みながら、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。ただ返事をしたくなかっただけなのだが続く「梨穂子はかわいいなあ」という言葉に、子どもじみた反応をした自分が急に恥ずかしくなり、ますます藤堂と向き合えなくなる。

高校三年生の2月。クラスメイトのほとんどが進路も決まり、学校にいることも少なくなった頃。かくいう私も第一志望だった関東の私立大学に推薦入学が決まり、一人暮らしを始めるための準備をしていた。今日は久々の登校日で改めて手続き関連の確認に職員室を尋ねたところ、ニヤニヤ笑いの担任にとんでもない爆弾を放り込まれたのだ。

「藤堂、お前と同じ大学に行くって一般受けて通ったらしいぞ。愛されてるなあ」

その瞬間、私は他人と進路について積極的にコミュニケーションをとらなかったことを強く後悔した。

敢えて、誰にも教えていなかったのだ。その頃にはもう、私は藤堂に対して嫌気がさしていたから。拾ってきた犬か何かのように私を構い倒してくる奴のことが嫌だったし、それを見て遠巻きにしたり、攻撃に転じてくる彼の周りの人間も嫌だった。


それは決して藤堂だけのせいではないのだけれど。周りの人間の視線や言葉って痛いほど刺さるし、どうしても気になる年齢だったのだ。

キラキラ星人と私みたいな普通よりも陰気な人間が釣り合わないことなど百も承知だった。わざわざ忠告するように言われなくたってわかっている。わかっているのに、一方的に構われるのが満更でもなかったり、一緒にいると顔と身体が熱くなったりする自分に心から嫌気がさしていたのだ。だから逃げるつもりだった。周囲の人間からも、藤堂からも。

冷たくしても、避けるようにしても奴の態度が変わることはなく、最終的に私は大学受験を機に地元を出るという選択肢を選んだ。勿論勉強したい分野や、やりたいこととその大学が合致していたのは勿論だが、後押しになったのは間違いなく、もう離れたいという一心だった。

だから、藤堂が地元の大学の推薦が決まりそうだと聞いたときは内心ホッとしたのに。同時に少し胸がギュッとしたことには気づかないふりをしたのに。なのに。


「梨穂子、マフラー肩から落ちてるよ」

後ろに立つ藤堂を無視したまま、グルグルと適当にマフラーを巻いてそのまま教室を出ようとした私の肩を後ろから掴んで、大きな手がマフラーを整えてくれる。

なんだろう、この遠慮のない関係は。私はもっと、距離のある関係で良かったのに。お礼を言うことすらせず、背を向けたまま真っ直ぐ廊下の方に向かおうとすると、今度は後ろから手を掴まれた。


「なに、藤堂」

「梨穂子。俺のことも名前で呼んでって言ってるでしょ」

「そんなんどうでもいいでしょ」

「よくないよ」

「全然、よくない」と私の手を掴んだ指にぎゅっと力が入って、胸の奥がきゅん、となる。

ふざけんな。ふざけてる。藤堂と私の間には何もない。名前をつけるような関係性が何もないのだ。

キラキラ星人が、私と住む世界が違う男が飼い犬に構いたくなるような感覚で私に絡んでるだけだ、しっかりしろ私。散々周りにも忠告されたじゃないか。

掴まれた手をべりっと剥がし、真正面から目を見るように振り返る。相変わらずキラキラとした甘い顔が少し困ったような笑顔でそこにいる。

「何の用。私、もう行きたいんだけど」

「うん、だから一緒帰ろう?」

「帰らないし。私、今日自転車だから」

「えぇー、じゃあニケツしようよ。俺漕ぐよ」

「いやだ」

「冷たいなあ」

3年間「いやだ」としか返さない私にも、ニコニコと楽しそうに藤堂は笑う。その笑顔にまた少し、胸の奥が反応する。ツキンとした甘い痛みを掻き消すように私は敢えてしかめっ面をした。


「……あのさ、同じ大学行くってどういうこと」

「どういうって。そういうことだよ」

「なんで。地元で進学するんじゃなかったの」

「気が変わったの。梨穂子いないとつまらないじゃん」

「……どういう意味」

「そういう意味だよ」

ぱっちりと長いまつ毛に縁取られたその瞳が真っ直ぐに私を見つめる。その目線から逃げるように顔を背けると、私は大きくため息をついた。

「そういうこと。誰でも彼でも言ってたらバチ当たるよ」

「言ってないよ。梨穂子だけ」

そんなはずがないだろ。期待するな。

「いやだ。やめて」

「ははっ。キツイなあ」

生きる世界が違うんだから。意味なんてないんだから。からかわれてるだけだって。

「だって俺、梨穂子のこと愛してるもん」

どういう意味なの、何考えてんのって怒って問いただしたくて。でも聞いたら終わりなことも知っていて。

あの日の私はいやだと教室から逃げ出した。それから今まで結局、私たちは答え合わせもしないままでいる。

藤堂は何もなかったかのように私を構い続けて、気まぐれに「愛してる」と口にして。私も変わらず「いやだ」と奴を拒否して、甘い言葉は聞こえない振りをして。恋人を作っては失敗する8年間を過ごしてきた。

もう私は毒されているのだ。とっくにキラキラ星人に魅せられてるのに、自分のものにならないことが不満なくせに。そんな心にいつまでもいつまでも蓋をしたままでいる。

一言「その愛してるってどういう意味?」って、「じゃあ私と付き合って」って勇気を出せばいいだけなのに、周囲の目やぶつけられた言葉にいつまでも囚われたまま、それでもいいか、と投げ出してしまっている。

こんなどうしようもない私なんて、そのまま誰にも気付かれずに腐ってしまえばいい。私と彼では生きる世界が違うのだ。たまに会って笑い合うぐらいが本当に本当に丁度いい。

藤堂に、私なんかはもったいない。


***


終電にはまだ少し余裕があるぐらいの時間。涼元さんにタクシーで駅前に降ろしてもらい、そのまま彼が乗ったままのタクシーを見送った。軽く下げていた頭を上げて、駅に向かおうと後ろを振り向くと駅前の繁華街のネオンを逆光にした背の高いシルエットがこちらに向かって歩いているのが見えた。

「梨穂子」と私の名前を呼ぶその人は夏も終わりと言えどまだ暑いのに、なんだか涼しげにストライプのジャケットを着こなしている。

長い脚であっという間に私の前までたどり着いた藤堂は声のトーンは相変わらず甘いのに、表情は険しい。

次に言われる言葉がなんとなく想像ついて、嫌気が指したので私は奴の横を通り過ぎて、真っ直ぐ改札に向かう。

「ちょっと、なんで無視するの」

「こんな時間に駅いるってことはそっちだって飲んでたんでしょ。私が誰と飲もうと関係なくない?」

「む。先を越された」

「大体想像つくわ」

不満そうに唇を尖らせてるのに私の手を握ろうと掴んでくる右手を払い落として、手首を掴まれたので振り落として、今度は腕を絡めるように指を握られたので、さすがに諦めた。奴は満面の笑みで私の顔を覗き込むようにして見つめる。

「酔ってんの?」

「今日は俺の家でいい?」

「いやだ。帰る」

「もう諦めてるくせに」

腕を引かれるようにして半ば強引に違う線に乗せられる。30分ほど電車に揺られれば、見慣れてしまった奴の最寄り駅に着く。もう終電は間に合いそうにない。歩いて帰れないこともない距離だけど、藤堂がそんなこと許してくれるわけもなく。ほとんど運搬されるような形であれよ、あれよと彼の家に連れ込まれた。

「LINEしても既読すらつかなかったんだけど」

「……スマホの電源切りっぱなしだった」

「また? いい加減にしてよ、梨穂子。なんかあってからじゃ遅いって。それができないなら会社の携帯番号教えてよ」

「絶対いやだ」

「もう、仕方ないなあ」

連れ込まれすぎて勝手知ったる藤堂の部屋のクッションに適当に座ると、後ろから抱き込むような形で奴は私を抱きしめる。子供でも構うかのような体勢に未だにドキドキする耐性のない自分に嫌気がさす。本当にいやだ。こいつは私を犬か何かだと勘違いしてると言うのに。

私の肩に埋めるように置かれた頭をペシッと叩いたら、奴は不満そうに私から顔を離した。

「梨穂子ってさ、本当につれないよね。俺はこんなに愛してるのに」

「ああ、そう。はいはい。わかったから缶ビールとってきてよ、藤堂」

「もう、藤堂ってやめてよ。そんなこと言ってると梨穂子の苗字も藤堂にしちゃうよ?」

「なにその笑えない冗談。私、星海って結構気に入ってるから勘弁してもらっていい?」

「ああ、それも一理あるなあ。可愛いもんね。じゃあ、俺が星海になればいい?」

長い腕がサイドテーブル脇のミニ冷蔵庫から缶ビールを取り、手渡してくれる。ありがたく受け取ったそれを煽ってから、「やっぱ飲みづらいから離れて」と抗議すると、余計にぎゅっと抱き込まれた。私のことはいつまでも懐かない犬か何かだと思われてるに違いない。

こうして私は今日も、彼の真意を聞き出せないままに、心臓に悪い週末を過ごすのだ。


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