第32話 夢中になって

 今朝早くから私は玄関に座り込んでいた。


 平日だから学校があるけど、まだあと30分は大丈夫。本音を言えば学校なんて休んで、何時までも晴ちゃんを待ちたい。でもそれは彼女に怒られるから我慢する。ギリギリまでは待つつもりだけど。


 司さんは「朝食だけでも先に食べては」と勧めてくれたけど、無理を言って後にしてもらっている。帰ってきた晴ちゃんを、いの一番に出迎えてあげたい。


 座り込んだまま、ドアノブをじっと穴が開くほど見つめ続けている。


 朝の静寂のためか、外の鳥の鳴き声まで聞こえた。きっとタクシーが来たら音でも分かると思うのだけど、それでもドアノブを「早く帰ってこい」と念を送りながら凝視し続ける。


 それと同時に頭の中はあることをずっと考えていた。


 晴ちゃんが帰ってきたら何を言おう。


 言いたいことは山ほどあると思っていたんだけど、いざ帰ってくる直前になると分からなくなる。


 「お疲れ様」と労うべきなのだろうか、それとも「ごめんね」とお姉様の事を謝るべきなのだろうか。どれも違う気がする。


 やはり「なんでお姉様に吸血させたの」なのだろうか。晴ちゃんは私の献属なのに、簡単に他者に吸血を許し過ぎてる。私の献属なのに……。


 これが子供じみた独占欲と嫉妬だとは分かってる。醜い感情だ。


 だからこそ、できれば晴ちゃんにはそんな感情をぶつけたくないんだけど。このままだと第一声が文句になってしまいそうだ。それは流石によくない。


 何度も頭の中で晴ちゃんが帰ってきたときの想像をするけど、しっくりくる言葉が見つからない。


 どうしようと考え込んでいると、外から車の音が聞こえた気がした。帰ってきたかな。


 少し間を置いて、玄関のチャイムが鳴らされる。晴ちゃんだ間違いない。


 急いでサンダルを履き、玄関を開けた。


「お、おかえりなさい」

「あれっ、千鈴さん。ただいま帰りました。もしかして出迎えようとしてくれてたんですか?」

「うん」

「それはすいません。鍵も持って出なかったので助かります」


 朝なのに疲れた様な声をしている。玄関へ入る足取りもどこか重い。


 やっぱりこんな晴ちゃんに、余計に責めるようなことを言うべきじゃないだろう。むしろ労ってあげたい。


「あ、あの、晴ちゃん……」

「千鈴さん。少し失礼していいですか?」

「え、あ、なに?」


 晴ちゃんに抱きしめられてしまった。


 私の髪に顔を埋めて寄りかかってきながら、ちょっと苦しいくらいに抱きしめてくる。


 何で?


 彼女から抱きしめてくれるなんて、ほとんど記憶にない。添い寝した時以来だろうか。喜びよりも驚きが勝る。


「はぁー、癒されます。昨日は本当に疲れました。千鈴さんには申し訳ないのですが、私に結花さんのお相手は荷が重いです。幼いころ母に『知らない人についていってはいけません』って言われてましたが、まさにその通りでした。忠告は聞いておくものですね」


 ワシワシと髪を撫でられる。それと同時に顔を私の髪に擦り付けて、感触を楽しんでいた。


 それにいつになく晴ちゃんが饒舌だ。こんなに捲し立てるように話すのは珍しい。


「うん、すごくいい……千鈴さんって実はマイナスイオンでも出てたりしませんか?」

「出てはないと思うよ?」


 おかしな事まで言いだした。相当心が疲弊してることが窺える。


 急に抱きしめられたから驚いてしまったけど、私が晴ちゃんを癒してあげられるなら満更でもない。普段は私が助けられてるのだ、彼女のためになれるなら不服などない。


 暫くの間、晴ちゃんの気が済むようにさせる。


「千鈴さんはそのままでいいですからね。変わらなくていいですよ」

「そう、かな」


 自分のことを嫌いではないけど、欠点も沢山自覚しているから変わりたくはある。それに晴ちゃんやお姉様みたいになりたいとも思ってる。


「ええ、私の癒しのままでいてください」

「癒しになってるかな?」

「セラピー効果は間違いなくありますよ」


 更にワシワシと撫で繰り回される。もしかしてそれはアニマルセラピーじゃないよね。まさかね。


 まあいいや。気になるところはあるけれど、晴ちゃんのためになってるのなら喜ばしい。


 それになによりも、晴ちゃんが私を求めてくれることが嬉しかった。


 逆はよくあることだ。私はいつだって晴ちゃんを求めている。だけど晴ちゃんに心から求めてもらえることはなかった。


 添い寝の時だって求めてくれていたわけではない。あれは私じゃなくてもよかったし、仮にいなくても問題なかっただろう。


 与えて貰ってばかりの私が、与える側になれた。


 もっと私を求めて欲しい。彼女に何でもしてあげたい。


「晴ちゃん、よかったらソファとか行こ? そこでゆっくり――」

「いえ、それは結構です。千鈴さんは学校がありますし。朝の忙しいタイミングで時間を取らせてしまってすいません」


 もっとこのままでいたかったのに、逆に晴ちゃんはパッと離れてしまった。腕から温もりが無くなり、寂しさが残る。


「さて、司さんにも謝らないといけません。怒ってそうですか?」

「……ううん、お姉様には怒ってたけど晴ちゃんには同情してたよ」

「よかった、少し心が軽くなりました。それでは朝食の準備もありますのでこれで」


 キッチンへ向かって行く晴ちゃんの背中を見つめる。


 晴ちゃんに夢中になってもらうには、どうしたらいいかな。求められることの味を知ってしまった。それに夢中になってくれれば、他の人について行くこともなくなるだろう。


 今度プレゼントでもしてみようかな。





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