3章

第25話 元気があまってます

「いってらっしゃいませ」


 今朝もいつもの如く、千鈴さんを送り出せた。


 誰も見ていないことをいいことに、大きく伸びをしてストレッチをする。筋肉の伸びる感覚が気持ちいい。大きく腕を上げて体を伸ばしたまま、前後左右に曲げる。傍から見れば変な踊りでも踊っているように見えるかもしれない。


 それにしても清々しい朝だ。天気も良く、湿度も低いのかカラッとしていて涼しささえ感じる。こんな日は外に出て日光を浴びたくなる。


 午前中の業務担当は洗濯と屋敷内の清掃だったはず。だけど屋敷内の清掃は午後に回して、先に午後担当の庭の清掃を先にやってしまってもいいかもしれない。


 うん、そうしよう。とにかく外に出たい気分だ。


 もうここに来てから一ヶ月半は経ったので、仕事も慣れたものだ。多少の融通はきくようになってきている。司さんへの確認は必要だが、よっぽどのことがなければ簡単に許してくれるだろう。


 そうと決まれば早速動くことにしよう。作業量自体は多く無いので、テキパキと片付ければ時間も余るかもしれない。


 もし時間が余れば、やれることはたくさんあるはずだ。


 司さんから普段は手が回らない書庫や倉庫、地下等の話は聞いている。余った時間程度でやりきる事はできないだろうが、こうして暇を作って手を付けていかなければ触る事すら出来ない。


 それとそんな面倒そうな場所の仕事は、今日みたいに仕事への意欲が高いときにしたいものだ。


 元気が有り余っているからか、働くことへのモチベーションが高い。余った時間を休憩ではなく、溜まったタスクの消化に当てることを考えるほどにやる気に満ちている。自分でも不思議なほどだ。


 何故だろうか。別に普段サボっているわけではないが、担当業務が終わる前から別の仕事を考えるほどではない。妙に体が軽くて調子がよく、とにかく体を動かしたくなっている。


 やはり元気が有り余っているからなのか。理由は分からないが、この家に来てからの中では類を見ない程である。よくよく考えてみるが、見当はつかない。


 いや、もしかしたらの心当たりが一つだけあった。


 よくよく思い返せば最近吸血をされてない気がする。


 こんなに日が開いたのは初めてではないだろうか。最後にしたのが何時なのか、すぐには思い出せない。そこまで昔でもないはずだが、ほとんど記憶ない。


 かろうじて思い出される記憶を掘り返すと、最後に吸血した日、行為自体がすぐに終わったことだけが印象に残っている。あまりにあっさりとし過ぎていて、記憶に残っていなかったようだ。


 吸血の頻度も、行為の時間も少なくなっている?


 改めて気にし始めると非常に違和感があった。あんなにも吸血を楽しんでいた千鈴さんが、何故急にそうなってしまったのだろうか。そしていつから減っていたのだろうか。


 そういえばこの前のキッチンでの吸血から、千鈴さんに違和感がなくはないかもしれない。


 そんな気がする。というかそれ以外の原因が思い当たらない。


 もしかして私が怒ったことにショックを受けてしまったのだろうか。

 いや、最終的に和解出来たと思うからそれはない。


 では何故だろうか。


 彼女は気にしすぎるところがあるので、それかもしれない。あの日の事を自省している可能性は大いにある。やり過ぎたことを反省した反動で、逆に遠慮気味になっていることは十分にあり得る。あくまで想像でしかないが。


 どちらにせよ今の状態は健全ではないだろう。


 今まであれほどの頻度で吸血してきたのだ。落ち着くにつれて徐々に頻度が落ちるのならいい。だが我慢して急に頻度を落とすのは、心身共に無理をさせているだけだと思う。


 彼女が帰ってきたら、一度話をする必要がありそうだ。




□□□□□□




 時刻は夜。今日も千鈴さんは吸血を希望しない。


 なので就寝前に彼女を捉まえて話すことにした。彼女の部屋、中央のガラステーブルを囲んで座っている。


 私の考えは既に概ね話した。


 何故か吸血頻度が減っていること。その原因が以前怒ってしまった日にあるのではないかと思っている。もしそうであれば私は気にしていないし、反省もほどほどにしていいのではないかと。


 しかし彼女は渋面のまま肯定も否定もしなかい。気まずそうに私の言葉を黙って聞いていた。


 どうやら私の考えは的外れであったようだった。


 であれば理由を教えて欲しいと尋ねても、言葉を濁してくる。言い難そうにして答えてくれない。


 そこからは根気強く彼女の口を割る作業となった。もはや原因は想像できない。これだけ渋っているのだ余程深刻な問題であるに違いない。


 そう思っていたのだが。


「つまり私が変態的だと言ったのを気にしているということですか?」

「……うん」


 ようやく聞き出した原因は、私にとっては拍子抜けするものだった。正直そんなことかと思ってしまう。


 だが千鈴さんの表情は真剣そのものである。絞り出すように悩みを打ち明ける態度は、この話を軽く扱っていい物ではないと示していた。


 ならば私も真面目に応えるべきだろう。


「変態的だと言ったのは謝ります。ただその場で感じた事を口に出してしまっただけなんです。深刻に受けてしまうとは思わず、軽口のつもりでした。傷つけてしまい、申し訳ありません」

「晴ちゃんは謝らなくていいよ……それにそう感じたのは事実なんでしょ?」


 失言だった。これではフォローになっていない。しかし今更感じてないと言うのは嘘になる。


「それにね、ショックを受けたのはね、思い当たるとこがあったからなの。晴ちゃんの言葉で傷ついたわけじゃなくて、そんな変態的な自分が晴ちゃんにバレてしまったのが嫌だったの……」


 私の言葉が原因ではない。しかし起因にはなっていたということか。


「私に知られたのがそんなに問題ですか? こう見えて口は堅い方です。もし望まれるのであれば墓の下まで持っていきますが……」

「誰かに話すとは思ってないよ。……そうじゃなくて、晴ちゃんに変態だと思われること自体が嫌なの」


 千鈴さんは徐々に悲痛な声になってくる。涙目にもなって、今にも泣きだしそうだ。

 

「だから吸血も出来るだけしないようにしてたの。あの時ってどうしても昂っちゃって、自分でも制御ができないから。また晴ちゃんに変な事をしたらどうしようって」

「……変な事は悪いことですか? やりたいことは抑えなくてもいいと思います」

「でも、そんな部分ばっか見せてたら、嫌われちゃう……」


 つまるところ、根本の原因は私に嫌われたくないという思いだったのか。彼女らしいといえば、そうなのだろう。この優しい部分は初めての吸血の時から変わっていない。


「そんなことでは嫌いませんよ。現にあの日から私の態度が変化したと感じましたか?」

「ううん、なってない。……でも、これからもそうとは限らないじゃん」

「約束します。変な事を言い出しても嫌いません」

「ほんと? どんなことでも引いたりしない?」


 疑わし気な目をしている。だが声にはどこか期待がこもっていた。


 しかしそんな彼女には悪いが、その聞き方であれば返答は変わってくる。


「いえ、引いたりはすると思います」

「えぇ……?」


 一体彼女は何を言うつもりなのか、少し怖くなってくる。私は普通の感性なので、あまりに強烈なことを言い出されると流石に引くだろう。


「でも、嫌いにはなりませんよ。私はあなたの良い所をたくさん知っていますから。変わった嗜好をしているぐらいで評価が変わることはありません」

「……でも、引くんでしょ?」

「ええ、それは仕方がないかと。でもそれと、千鈴さん自身を嫌うこととは別だと思いませんか? 例えば私が変態的な趣味があると言い出したら、千鈴さんは私そのものも受け入れられなくなるでしょうか?」


 彼女は数瞬考え込んだ後に。小さく首を横に振った。


「でしょう。私も大好きな千鈴さんが仮にとんでもない事を言い出しても、できるだけ理解に努めます。それでも許容できなかったとしても、趣味はあくまで趣味、仕方ないなで済ませられます」


 「そんなものですよ」と付け加えると、上手く説得できたのか顔が上向いてきた。涙も引っ込み表情も柔らかくなっている。


「その、……大好きだから、受け入れてくれるの?」

「ええ、そうですよ。だから出来るだけ受け入れようとも思っています。勿論、無理なものは無理と断りはしますが」


 妥協は必要だが、過度の遠慮は不要である。それが良好な関係を築くのに必須であると私は思っている。


「……うん、晴ちゃんの言いたいことは、何となくわかった。」

「ありがとうございます」

「なんで晴ちゃんがお礼を言うの。……私の方こそありがとね。心が軽くなったかも」

「それならよかったです。……では更にダメ押しとして、良いことを教えてあげます」


 勿体ぶるように少し間を開ける。次は何を言うのだろうと、彼女は不思議そうに小首を傾げ、続きを待っている。


「実は皆それぞれ、人に言い難い嗜好を持っているものですよ。誰も口にしないだけなんです」

「……それって晴ちゃんも?」

「勿論です。私にもとても千鈴さんには告げられない嗜好を持っています。ここでは教えられませんが」


 これは決して嘘ではない。彼女を変態呼ばわりしているくせに、もしかしたら彼女以上かもしれない変態的な嗜好があるを自覚している。


「ふふっ、なにそれ。そこまで言われると知りたくなるよ。教えて欲しいな?」

「またいつか、ですかね」


 流石に言い出し難く、言葉を濁した。「もー、教えてよー」と楽しそうにじゃれてくる彼女を見ると、打ち明けてよかったと思う。これですっかり心のわだかまりはなくなったようだ。


「とにかく、これからは無理に吸血を抑えることはしないで下さいね」

「うん、しないよ。逆にこれからはいっぱいお願いするかも。……実はしてみたいこととか結構あってぇ」

「要望があるなら聞くだけ聞きますよ」


 再び吸血に積極的になってくれたのだ。その手始めの要望であれば、多少無理してでも叶えてあげたい。


「あのね、その、晴ちゃんに高校の頃の制服、着て欲しいな、って」

「なんだ、そんなことですか。勿論構いませんよ。一度家まで取りに帰らないといけませんが、昔の制服は残っているのでそのうち持ってきます」


 どんなことを言われるのか冷や冷やしたが、肩透かしするくらい大したことがなかった。案外思い悩むほど変わった嗜好は持っていなかったのかもしれない。


「いいのっ!? ありがとっ。それでね、それでね、初めて会った時みたいに晴乃先輩に甘やかしてもらいながら、指から血を吸いたいんだけどいいかな?」


 前言撤回。想像以上に彼女の嗜好は拗れているようだ。

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