僕たちに意志はあるのか
財前創平
僕たちに意志はあるのか
西野は研究室のデスクに座り、パソコン画面を眺めていた。ブラウザには就活サイトが開かれ、大手企業のリストが並んでいる。あと一週間で三次面接のエントリーを締め切る企業が三社。きちんと準備しておかなければ。
「へえ、西野も悩むんだな」
振り返ると同期の田中が立っていた。
「当たり前だろ」
「でもお前は選び放題じゃん。学内トップの研究室で、論文も一本通ってて。俺らとは違うよ」
西野は小さくため息をついた。この手の会話は最近増えていた。「優秀な学生」という看板が、時に彼を孤立させる。
「俺らは社会の歯車になるしかないよ。でもお前は違うだろ?」
西野は曖昧に頷いて、田中を見送った。「選び放題」という言葉が耳に残る。本当にそうなのだろうか。
学食でトレーを持って歩きながら、西野は選択肢の多さに目を向けた。カレー、ラーメン、定食…。表面上の選択肢は確かに多い。だが本質的な違いはあるのだろうか。
トレーに野菜たっぷりの定食を置きながら、ふと考えた。なぜ自分はこれを選んだのか。健康志向だから?それとも先週のサステナビリティ講義で「肉食は環境負荷が高い」と聞いたからか。本当にこれは「自分の意志」なのか。
隣のテーブルでは、就活に成功した先輩たちが談笑している。「大手に入った方が安定」「でも外資の方が給料いい」「やりたいことができるベンチャーもいいよ」。どれも一見異なる選択に見えるが、その根底には「社会で評価される」という共通の価値観がある。
西野はスマホを取り出し、買い物アプリを開いた。先日、環境に配慮したエコバッグを購入した。「良い選択をした」と満足感を得たが、今思えばそれはアプリの「SDGs特集」コーナーで目立つ位置に表示されていたからではないか。自分の「選択」は、実は誰かによって「選ばされている」のではないか。
午後の講義は「現代社会と倫理」。教授が問いかける。
「あなたたちは自由に職業を選べると思いますか?」
学生たちは頷く。教授は続ける。
「でも考えてみてください。企業を選ぶ時、皆さんは『自分の意志』を追求していると思っていますが、その意志自体が他者からの承認を求める意志なのではないでしょうか」
西野は眉をひそめた。確かに自分が内定を喜ぶのは、就職先の名前を言った時の周囲の反応を想像してのことかもしれない。
「私たちの意志は、常に他者の意志なのです。完全に自分だけの意志など存在しないのかもしれません」
帰り道、西野は校門の横断幕に目を向けた。「社会に役立つ人材を育成する」。入学以来何度も見たフレーズだ。
社会に役立つとは何か。役立たなければ、存在価値はないのか。西野は考えながら歩いた。就活は「どう役立つか」を選ぶプロセスに過ぎないのかもしれない。でも、その「役立ち方」の選択肢自体が限られているなら、本当の意味で「選んでいる」と言えるのだろうか。
週末、西野は図書館にいた。哲学のコーナーで手に取った一冊の古い本に目が留まる。
「人間は選ぶように呪われている。選ばないことを選ぶことさえ、一つの選択なのだ。我々は自由への恐怖から逃れることはできない」
その言葉に西野は心を掴まれた。
帰り道、スーパーに立ち寄った西野は、商品棚の前で立ち止まる。「環境に優しい」と書かれたシャンプーと、普通のシャンプー。微妙な価格差。なぜ少し高い方を手に取ろうとしているのか。本当に環境のためか、それとも「良い人間でありたい」という自己イメージのためか。
結局、西野は両方とも買わずに帰った。
月曜日、最終面接を控えた西野は制服のように画一的なリクルートスーツを着て、鏡の前に立っていた。「自分らしさをアピールしてください」という面接官の言葉が頭に浮かぶ。その「自分らしさ」とは何なのか。
面接室に入った西野は、三人の面接官の前に座った。
「御社を志望する理由をお聞かせください」
西野は準備していた模範解答を口にしかけたが、言葉に詰まった。そして、ここ数日考えていたことを話し始めた。
「正直に言うと、私は『将来を選ぶ』ということについて悩んでいます」
面接官たちは少し驚いた表情を見せた。
「私たちは自由に選んでいるつもりでも、その選択肢自体が社会によって用意されているのではないか。でも、その制約を自覚することで、別の種類の自由があるのではないかと考えています」
西野は自分の言葉を続けた。社会の歯車になることを恐れる気持ち、でも完全な自由もまた幻想かもしれないこと、そして与えられた枠組みの中でも意味を見出せるのではないかということ。
面接が終わり、西野は建物を出た。空は青く、春の風が頬をなでる。深呼吸をして緊張から解放される。
「ヤバいやつだと思われたかな」
西野は小さくつぶやいた。でも、それも悪くない気がした。
僕たちに意志はあるのか 財前創平 @soheizaizen
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