あの子がいなくなった日

ひだまりこ

1話:ゆびきり

わたしたちは遠い昔のあの日、約束をした。


だれにも言わないこと、ぜったいに破らないこと、もし破ったら指を――いや、存在を奪われると。


子どもだったわたしたちは、当時それをただの遊びだと思っていた。


「ゆびきりげんまん、うそついたら針千本、のーます」


5人の小指にピンクの糸を巻いて、鉄棒の前で誓った。


ヒロト、ミナミ、ユウキ、さやか、そしてわたし。

夕暮れの校庭、さやかの声だけがやけに透き通っていたのが少し怖かったのを覚えている。


「これで終わり。もう安心だよ」


さやかがそう言って微笑んだとき、空気がぴたりと止まった気がした。

わたしたちはそれを友情の儀式だと思っていたけど、いまなら分かる。


あれは、封印だったと――




それから1週間後、さやかは突然いなくなった。

学校にも来なくなり、家族ごと姿を消していた。


「転校したらしい」と聞いたけれど、だれも引っ越しの様子を見た者はいなかったし、学校の先生もさやかが転校したとは言わずにいつも通り授業をしていた。


「さやか、最初からいなかったんじゃないの?」


誰かがふざけて言ったその言葉を、わたしは笑えなかった。


さやかは確かにいたのだ。


あの日、わたしの指に糸を巻いたのは彼女だった。

でも、あのときの感触は妙に冷たくて硬かった。




あれから十数年。

わたしは東京で暮らし、さやかのことも、あの“ゆびきり”のことも記憶の奥に沈めていた。


たまに夢で鉄棒の前に立つだれかの背中を見ることはあったけれど「懐かしいだけ」と自分に言い聞かせていた。


でも数日前、同級生のヒロトの訃報を受け取ったとき、すべてがただの偶然じゃない気がしてならなかった。




ヒロトの葬儀で、わたしは久しぶりに地元へと戻った。

控室で声をかけてきたのは、同じ団地に住んでいた幼なじみのエリだった。


彼女は“ゆびきり同盟”には入っていなかったけれど、さやかをよく知っているひとりだった。


「ねぇ、さやかって覚えてる?」


わたしがそう尋ねると、エリは少し首を傾けた。


「なんかさ……急にいなくなったよね。転校ってことになってたけどだれも見てないし。あとあの子さ、おばあちゃんに教わった遊びとかって、変なことしてたじゃん?」


その言葉に胸がざわついた。


“おばあちゃんに教わった”――それは、さやかがあの儀式を説明するときにわたしたちに言った言葉と同じだった。




ヒロトの死をきっかけに、わたしは他の同盟メンバーたちのことを思い出した。


ミナミは大学に入った年の春に急死した。

持病の悪化という話だったが、ヒロトがこんなことを言っていた。


「ミナミの葬儀でさ、右手の小指だけ異常に腫れてて真っ黒だったんだって」


そしてユウキはその二年後、川で転落死した。


夜中にキャンプ場を抜け出し、川辺で足を滑らせたらしい。

靴はきれいに揃えて置かれていたのに、足跡が一歩も残っていなかったという。


ミナミもユウキも、さやかのことは姿がなくなったあの日から一言も触れなかった。

ただ静かに、そして奇妙にいなくなった――




そしてヒロトは駅のホームで事故死だったという。


彼は亡くなる数ヶ月前にわたしと会っていた。


「まゆさ…おまえ、あのとき何言ってたか覚えてる?“ごめんね”って言ったの、あれ、誰に向けてだった? ……あのゆびきり。俺最近、さやかが夢に出てくるんだよ。あいつの声がずっと耳に残ってる」


それが、彼と交わした最後の会話になった。


そして彼もいなくなったいま、残っているのはわたしだけ。


“最後のひとり”

それが何を意味するのか――わたしにはうすうす分かっていた。




東京の部屋に戻ってから、異変はすぐに始まった。


スマホに通知が来ない。

LINEもメールも既読にならず、返信もない。

だれにも声をかけられず、通勤電車で押されてもだれにも謝られない。


まるでわたしは、空気になったみたいだった。




夜、眠っていたとき違和感で目を覚ますと、右手の小指がじんじんと痛むことに気がついた。


明かりをつけて小指を見てみると、皮膚の下で細い何かが蠢いていた。


――糸?


違う。

もっと生きているように動いている。


ふと、ベッドのそばの鏡が反射したのか、きらりと光りが目に入った気がした。

鏡の方を向くと、そこには何も映っていない。


鏡の中に、わたしはいなかった。




わたしはなんだか怖くなって、翌日実家に帰った。


当時のアルバムを探していると、押し入れの奥に祖母の遺品が残されていたのを見つけた。


箱を開けると、その中にの一番上にあった一冊の古いノート。

表紙には「封じの記録」と墨で書かれていた。

思わず手に取りページをめくると、そこにはこう記されていた。


  “外のもの”は子の姿で現れるが、本性はない。

  封じたのち、器は自らの記憶を失い、内側から人の姿へと染まっていく。

  封じられたものもまた、それを忘れ生きる。


目を通しながら喉の奥がカラカラに乾いた。

その瞬間、すべてがつながった気がした。


わたしたちはただの遊びであの儀式をしたんじゃない。

なにかを“封じ込める”ために、結界として糸を結んだのだ。


そのなにかは、さやかだったのかもしれない――




わたしたちは、それを破った。


ヒロトは同盟メンバーではない友人に話し、ミナミは先生に漏らし、ユウキはさやかを無視し始めた。


わたしは――何もできなかった。

止めることも、守ろうと意識することも、何もしなかった。

そして、忘れようとした。




その夜、夢にさやかが出てきた。

白いワンピースを着ているが、顔はぼやけて見ようとすると形が崩れていく。


「まゆちゃん、やっと思い出してくれたんだね」


ぼやけながらも彼女が微笑むのがはっきりと分かった。


「もう約束は終わったの。ぜんぶ、ほどけたの。でもね――最後の指だけ、まだつながってるの」


次の瞬間、わたしの小指が焼けるように痛んだ。


「だから、切りにきたよ」




目を覚ましたとき、わたしは右手を握りしめていた。

手に中に何かがある。


開いてみると、小指の皮膚がぱっくりと裂けていた。

血は出ていなかったが、代わりにそこから――ピンク色の糸がするすると垂れていたのだ。


この糸はたしかあのとき、さやかが結んだ糸。

でもそれは彼女と結んだものじゃなく、ずっとわたしの中でに封じられていた何かとつながっていたのだ。




だれもわたしを見ない。

名前を呼ばれることも、もうない。

写真に写ると、顔がぼやけて形が崩れている。


わたしは、ほどけている。

“扉”とはわたしのことだったのだ。


最後の糸が切れたとき、わたしは――向こう側に引き込まれる。




数日後、団地の掲示板に一枚の古い写真が貼られていたのを見た。


鉄棒の前に立つ子どもたち。

最初は5人の集合写真だったはずが、その中心に――まゆ。

わたしだけがそこに立っていた。


右手の小指は、さやかでも、ヒロトでも、ミナミでも、ユウキでもないだれかと結ばれている。


その相手は白いワンピースの女の子。

だけど顔はぼやけていて、はっきりとは見えない。


ただ、その小さな顔の輪郭と癖のある前髪は子どものころのわたしそのものだった。




それを見たとき、わたしはすべてを悟った。

あのとき封じられたのは、さやかじゃなかったのかもしれない。


あの儀式。

糸で結んだのは封印のため。


でも、わたしが封じられる側だったとしたら――


わたしこそが、外のものだったとしたら――




あの子たちはわたしをあの場所に閉じ込めていたのかもしれない。


さやかは見張り役だった。

ヒロト、ミナミ、ユウキは何も知らずに結界の一部になっていた。


でも、彼らが約束を破ったことで封印はほどけたのだ。

わたしはそれを忘れたふりをして、何食わぬ顔で外側の世界に戻ってきた。


最後の糸が切れたいま――

わたしはもう封じられていない。




最後に残った存在は、いまも鉄棒の前に立っている。

掲示板の写真は少しずつ変化しているという。


「ねえ、この真ん中の子…前より笑ってるよね?」


とある女子学生のそんな声とともに。その写真の中の少女は小指を差し出していた。


まっすぐ、こちらへ向けて。






ゆびきり、げんまん

うそついたら――針千本、のーます…






(完)

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