第2話 神様に売られた令嬢
「いかがなさいましたか、お父様。私はまた何か間違えてしまったでしょうか。ごめんなさい」
「お前の『ごめんなさい』は軽すぎる。謝るそぶりだけで、本当に反省していない」
「ごめんなさい……」
コノハを書斎に呼び出した父は「同じことしか言えないのか」とあきれたように顔をしかめていたが、「まあいい」とため息をついた。
「お前ももう十八だ、いい加減結婚して家を出てもらわないと困る。しかし、お前みたいな不細工なんて嫁にもらってくれる相手もいないだろう」
父親の言葉に、部屋にいた使用人たちがクスクスと嘲るように笑っているが、コノハは思考が麻痺しており、恥ずかしさに顔を伏せる気力もなく、目はうつろでぼんやりしている。
もはやこの家には、彼女の居場所など、どこにもなかった。
「そこでだ、俺が縁談を用意してやった。俺の指定する相手と婚姻しろ」
「はあ……」
言われている意味がうまく頭の中で処理できていないのか、ぼうっとしている彼女の腕を掴んで、父親は引きずるように応接室へ向かう。
その部屋には、すでに結婚相手が待ち構えていた。
「この地域で有力な縁切り神社の主、葦原神社の
「長いのでミコトと呼んでください。どうぞよろしく」
コノハに対し、友好的な態度を見せる男は白髪で、顔の上半分は狐面をしているため、どんな容貌なのかハッキリとは見えない。和服を着ていて、洋室には不似合いな、一種異様なたたずまいであった。
「ミコト……様」
「そうだ。お前の旦那様になるお方だ。きちんと挨拶をしろ」
少女はハッとして、フローリングの床に正座し、三つ指をついて深々と頭を下げる。
木でできた床は二月の気候を反映して冷たく、彼女の膝や手指、額を拒絶するように容赦なく体温を奪っていった。
「高天原コノハと申します。自己紹介が遅れまして、たいへん申し訳ございません」
「ああ、お気遣いなく。あなたもこちらにおかけください」
「いいえ、私のような卑しいものは地べたで充分でございます」
しかし、ミコトが困ったような雰囲気を察したのか、父親は「いいから、早く立って椅子に座れ」と渋い顔で手招いた。
いつもなら「お前なんか床でも贅沢だ」と言われるのに、どうしてだろうと不思議に思いながら、彼女は親の隣に腰掛ける。
そのあとは、父と男が談笑しているのを、ぼうっと眺めていた。話の内容はよく覚えていない。
「お茶のおかわりをいれてまいります」と台所に立つと、サクヤが近づいてきた。なにか面白いことでもあったのだろうか、ニヤニヤ笑っている。それが己のことだというのに、コノハは思考が鈍っていて気付けなかった。
「お姉様、ご覧になりましたか? あんなに真っ白な髪、あなたにはお似合いの方のようですね」
「え? ああ……そうね……」
ぼんやりしながらお茶をいれていた姉のふくらはぎを、瞬間的に苛立った妹は思い切り蹴飛ばす。熱い液体がコノハの手にかかって、声にならない悲鳴になった。
「本当におっとりしていらっしゃるから、はっきりした言葉でないと伝わらないのですね。あなたには
「愚図でごめんなさい……」
「フン、まあいいでしょう。葦原神社に嫁入りしたら、もう会うこともないでしょうし。これでお姉様の顔を見なくて済むと思うとせいせいする」
わざわざ嫌がらせをするためにこちらに寄って来ているのはサクヤのほうなのだが、コノハは何も言わない。これ以上まずい対応をすれば、今度は何をされるか分かったものではないからだ。
サクヤと別れてお茶を持ち、ふらふらとおぼつかない足で戻ると、すでに父もミコトも席を立って、彼女を待っていたようだった。
「遅い」
「はい、ごめんなさい」
お茶を置きながら父ににらまれて萎縮する。このお茶は飲まれることはないのだろう。
「式は挙げなくていい。さっさとコイツを連れて帰っていただきたい。嫁を渡す代わりに、縁切りの件、よろしく」
「ええ。では、行きましょうか、コノハさん」
狐面の人物に手を差し出され、反射で握ってしまった。
荷物も何もまとめていない。いや、そもそも少女にはまとめるほどの持ち物もないのだが。
着の身着のままで、屋敷を出て、タクシーに乗せられた。窓の外はちらちらと雪が降り始めていて、今夜は積もるかもしれない。
上着すら着ていないが、タクシーの暖房のおかげで、幸い身体は凍えずに済んでいる。だが、使用人と同じ衣服を着せられ、おまけにところどころツギハギになっている生地の薄い服ではこの先、風邪では済まないだろう。嫁ぎ先でなにか衣服が手に入ればいいのだが。
後部座席に隣り合って座った男を見上げる。この人と今日から夫婦になるのか、とぼんやり思った。まだ実感は湧いていない。
「あなたは私に売られました」
ポツリと呟く彼の言葉に、心臓がじくりと痛んだ。
売られた。家族に、まるで家畜を出荷するように、売られた。
「お父上の会社の厄介な取引先と、縁を切ってほしいそうです。人間はそんなくだらないことのために、娘を生贄に差し出すものなのですか?」
「……私には分かりません。ごめんなさい」
「そうですか」
そこから五分ほど沈黙が降りて、それをまた狐面が破る。
「私になにか聞きたいことなどありませんか?」
「えっと……」
頭がうまく回っていなかった。朝ごはんも昼ごはんも使用人に取り上げられて食べていない。この日は腐った残飯すら与えてもらえなかった。この人の神社に着いたら、自分でご飯を炊こう。
「あなた様は、人間ではないのですか?」
やっと口から出てきた質問は、そんな荒唐無稽なものだった。
しかし、ミコトは鷹揚にうなずく。
「あなた方の言うところの、神様、ですかね。五百歳を過ぎたあたりから数えていないので、妹さんが『爺』とおっしゃったのも、あながち間違いではありません」
聞こえていたのか。
なんと謝ったらいいのか分からない顔をしている彼女の手を、彼が優しく握る。
「火傷、大丈夫ですか?」
「え、あ、はい」
「帰ったらすぐに手当をしましょう。人間はこの程度でも大怪我をすると聞きました」
そういった会話をしていたら目的地に到着したらしい。
車が止まった場所は葦原神社。三十段ほどの苔が生えた石段をのぼった先では大きな朱い鳥居が、コノハを迎え入れるように立っていた。不思議と、この神社の雰囲気というのか空気というのか、そういったものが、彼女を温かく受け入れてくれているような気がする。今日からここに住むのか。
「私なんかと結婚する羽目になって、ごめんなさい」
少女の言葉に、男の口は弧を描いていた。
「コノハさんは、私にとってかけがえのない人です。あなたと婚姻できて本当に嬉しい」
「――」
「さあ、お茶をかぶったところを冷やしましょう。ちょうど手水舎がありますから」
狐面の人物は、そっと卑屈な令嬢をタクシーから降ろし、その手を引いて歩き出す。
彼女には、どうして自分が大切にされているのか理解できない。
まるで、これまでにもたびたび会ったことがあるかのようなセリフだなと、うまく回らない頭で考えていた。
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