第十九章
第十九章
彩音は、部屋の隅で無造作にスマホを放り投げた。
画面が暗くなった瞬間、彼女はしばらくその場で動けなかった。
目の前に広がる空間は静まり返っていて、心の中のざわめきだけがひどく響いている。
何かを言いたかった。何かを伝えたかった。
でも、それが何なのか分からなかった。
数日前、彼女は父親からのメッセージを受け取った。
それから数時間、心の中で言葉を探し続けた。
でも、何も浮かばなかった。
「もう遅い」と返信した自分が、今どんな顔をして彼に接すればいいのか分からなかった。
今でも、父親の顔を思い出すと胸が締め付けられるような気持ちになる。
でも、同時にそれを無視することに心地よさを感じる自分もいる。
彼が送ったメッセージは、あまりにも重すぎて、受け入れられるものではなかった。
“お父さん…”
彼女は呟いた。
その言葉には、昔の感情と今の自分の感情が入り混じっていた。
あの頃、彼の無関心や冷たさにどれだけ傷ついていたのか。
その一方で、彼の不安や後悔が伝わってきたことが、余計に心を乱している。
「私、どうすればいいんだろう。」
彩音は小さくつぶやき、再びスマホを手に取った。
メッセージに対する返信を送ろうと思ったのは、ほんの一瞬だった。
でも、指は画面に触れることなく止まった。
どうしてもその言葉を送ることができなかった。
父親が望んでいるのは、きっと自分が過去を許して、全てを受け入れることなんだろう。
でも、彩音にはその覚悟がなかった。
そして、その覚悟を決めることができる自分が嫌いだった。
「でも…」
彩音は深いため息をつくと、またスマホを放り投げた。
今度は、父親のメッセージを無視して、目を閉じることなく、ただ静かに息を吸った。
これが、彼女ができる唯一の方法だった。
何度も何度も心の中で、自分に言い訳をしていた。
『今はまだ無理』、『もう少し時間が必要』、
でも、それが本当に必要だったのかどうか分からなかった。
ただ、彼女はその瞬間だけ、目を背けることしかできなかった。
⸻
その夜、彩音は布団に入ったまま、目を閉じて眠ることができなかった。
目の裏で、父親からのメッセージがくっきりと浮かび上がる。
そのたびに、彼女は頭を抱えたくなるような気持ちになった。
でも、いくら頭を抱えても、心の奥底にある不安や恐れは消えなかった。
どうしても、その言葉に答えることができなかった自分が、ますます嫌になっていった。
「お父さん…」
小さく呟いてみたけれど、それが自分の口から出ることが、どれだけ恐ろしいことなのか。
その恐れが、彼女の心を縛り続けていた。
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