砂界の城

母をたずねて

 アルマは手綱を緩め、砂丘に単輪車を止めた。

 砂で汚れたゴーグルを上げると、夕陽に輝くセラミックの破片が散らばる砂漠の彼方に、それが見えた。

 城である。

 蜃気楼めいて揺らめくそれは、近づく度に遠ざかる。まるで彼女を嘲笑うかのように。

「やっぱり、届かないか……」

 彼女は面頰を下ろして顎に引っ掛け、唇を噛んだ。

 誰も辿り着いたことのない城だ。それでも彼女に──亡き母に逢いたかった。

「今日はここらで休もう」

 彼女は砂丘を下り、単輪車にそう告げて降りた。

 車輪に触れると、それは蠢いて数多の節足を伸ばし、車軸からずるりと剥がれてどさりと地面に落ちた。

 轍虫わだちむしだ。

 彼女はこの等脚目の巨虫をエルと名付けていた。この兄弟にして生ける車輪がいなければ、何千里にも渡る旅路は道半ばで潰えていただろう。

 アルマは単輪車の荷台に括った背嚢から砂パンを取り出した。道中ですれ違った行商と取引した材料を砂窯で焼いたものだ。

「ここらの盗賊はものが違う。用心しなさい、お嬢さん」

 そんな行商の言葉が強く心に残っていた。

 彼女は二口ほどパンを頬張り、残りをエルの口元に寄せる。彼は「ぎりぎり」と鳴き、それを大顎でもっちゃもっちゃと咀嚼した。

 アルマは僅かに頬を緩め、彼の頭盾を撫でた。

 その時だった。アルマの背後で、砂を軋ませる足音が鳴った。

「あの……!」

 彼女は咄嗟に腰から鈍い銀色に輝く太陽銃を引き抜き、音の出どころに銃口を向ける。

 そこには鎖の切れた足枷と首輪をつけられた少年がいた。

 おそらくは逃げ出した奴隷の類か。

「撃たないで!」

 少年の顔が青ざめ、身を庇った。

「……去れ」

 アルマは恫喝した。大方彼女に助けを求めるつもりだったのだろうが、手を差し伸べるつもりなどなかった。

 砂漠では慈悲を見せたら死ぬ。

「でもぼく」

「去れ!」

 少年は腰を抜かした。股に染みが広がっていく。

 殺しても構わないが、無益な殺生は気が引けた。だが妙な真似をしたら撃つつもりだった。

 その時、不意にアルマは異常を知覚した。

 辺りの砂が微動し、近くの丘が崩れ始めている。足元で蠕動する砂粒が、流れていく。

 ──これは一体……。

 行商の言葉が脳裏に蘇る。

「ここらの盗賊はものが違う」

 そして彼女は目を見張った。


 来る。


 少年の背後。その向こうに砂煙が巻き上がっていた。

 その根元に目を凝らせば分かるはずである。蚯蚓みみず腫れのように畝が刻まれていく砂地の下から、巨大な何かかが砂塵を噴き上げているのだった。

 そして砂漠が割れ、砂がひときわ激しく突き上げられた。

 砂の幕の向こう、巨体を揺らし、無慈悲な駆動音を上げる砂嵐の如きそれが──『跛行戦艦』が、その醜い姿を露わにした。

 数え切れぬほどの砲身が針の筵の如く突き立ったその威容は、錆だらけの装甲が幾重にも張り付けられた奇形の甲殻類を思わせた。船体右舷で砂礫を食む鉤爪の生えた掘削機が緩慢に回り続け、地に埋まる何本もの下肢のスクリューが砂を盛り上げ、本体から生える蠍のような細脚達が地を掻いては蹴り、放たれる無数の銛が砂地に刺さっては巻き上げられ、沈み続ける船を無理やり前進させているのだった。

 おそらくは、旧時代の遺物だろう。この盗賊どもはそれを復元し、一帯を荒らし回っているらしい。

 醜悪な怪物だった。

「ああ……」

 少年は絶望の声を上げた。その怯えようは尋常ではなかった。少しでも跛行戦艦から距離を取ろうと、這いずってアルマに助けを求めるように手を伸ばす。

 一人では到底逃げ切れない。緩慢に進む跛行戦艦だが、人の足ではいつしか疲れ果て、追いつかれるだろう。

 だが彼女は引き金を引いた。放たれた青色の熱線は最低出力だったが、少年を炭化させるには十分だった。

 少年の身体は熱された鉄のように真っ赤に染まり、全身が焼けて、一瞬不愉快な臭いを発した。あとに残ったのは焼け焦げた白骨と鉄枷だけである。その様は妙に哀れを誘い、同時に滑稽ですらあった。

 どのみち再び捕まれば折檻の末に死んだだろう。ならば、これは介錯だ。

 彼女は太陽銃の脇に備え付けられたゲージを見やる。今使用したことで5分ほど充填せねばならなかった。強力な兵器だが、太陽の光を浴びせることで満充填しなければ最大出力を発揮できない。

 アルマは跛行戦艦を睨みつける。まだ距離はある。今のうちになるべく距離を開けて被害に巻き込まれぬようにせねば。幸いエルには飯を与えてある。

 彼女はエルを車軸に固定し、手綱を引いて、未だ届かぬ城に向けて彼を発進させた。

 風が彼女のゴーグルと面頰を叩いていく。

 夕景に城が見える。


 その瞬間、跛行戦艦に搭載された一基の榴弾砲が火を噴いた。砲口から吐き出された誘導砲弾の重心軸は大きな弧を宙空に描き出して、彼女の進路前方に突き刺さり、爆ぜた。

「クソ」

 束の間、砂漠に穢らわしい花が咲いた。

 砂によって威力は減殺されていたが、飛散した砂漠のセラミック片が彼女の上着を抉った。盗賊どもの目的は彼女を捕らえることにあったのだろう。そのために精妙な操作によって直撃を避け、彼女の進行を遮ったのである。

 アルマは単輪車から投げ出された。背中から砂に突っ込むと、面頬の中で激しくせき込んだ。車体ごと飛ばされたエルも、「ぎぃ!」と悲鳴を上げる。

 幸い真銀製の鎖帷子を内に着込んでいたので軽傷で済んだが、地に叩きつけられたせいで意識が朦朧とした。

 宙に舞った砂塵の向こうで夕陽が輝いている。それを割って黒い影が差し込んできた。光輪を纏い、その輪郭を縁取らせたそれは、徐々に大きさを増している。

 城である。彼女の死期を悟り、浄土へ誘うために迫ってきたのだろうか。

 その風景が、母を想起させて切なくなった。

「ママ……」

 思わずそんな言葉が口の端から漏れる。

 母に会いたいと強く願っている。だが、それは生きて果たさねばならない。

 彼女の二の舞に陥るつもりはなかった。己の胎から産み落としたアルマとエルを置き去りに、一人浄土に逝ってしまった母の。

 だからこそ、いつか風にかき消されると分かっていながら、こうして砂界に二人だけの轍を刻み続けている。

 なにゆえ母は死ぬことを選んだのか。その理由を生きて問い質すために。

 エルが彼女を起こそうと頭盾を腹に叩きつけてくる。その衝撃で、意識の上に焦点が結ばれた。

 咳を吐いて、彼女は身を起こした。太陽銃の把手を握ると、それを腰から引き抜き、銃口を地面に押し付けて杖代わりにしながら砂丘を這い進む。砂丘の頂上にたどり着いた彼女は、銃の制限装置を解除し、その横に設置されているダイヤルを目一杯回して最大出力に設定すると、腕を地面に腕を押し付けて固定した。

 銃口を跛行戦艦に向け、照星で狙いを定めた時、背後に城を強く感じた。同時に眼前の、これから自分が奪うであろう多くの命のことも。きっとあの中には自分が焼いた少年のような奴隷が多くいるのであろう。

 砂漠では慈悲を見せたら死ぬ。何より故郷を離れた時から、自分たちの旅路を遮るものは何であろうと退けると、そう決意していた。

 彼女は息を吐き、引き金を引いた。

 指向性を持った熱量の包装が彼方の目標めがけて直進した。それは跛行戦艦に着弾すると、膨大な熱を叩きつけ、積層した表面装甲をめくりあげた。その100万分の1秒後、超高熱の火球が発生し、周囲の砂粒をガラス質に変じさせた。

 その頃には既に、アルマは砂丘の影に身を隠していた。

 猛烈な熱と風が頭上を吹き抜けていく。環状に波を広げる衝撃は砂界を捲って去っていった。

 爆風を凌いだアルマは、よろよろと身を起こした。

 着弾地点から巨大な雲が立ち昇っている。恐らく跛行戦艦は影も形もないだろう。それは見届けた彼女は、背後を振り返った。城はもう遠くへと去っていた。

 彼女はため息を吐いて腰を下ろした。凄まじい疲労が身体を蝕んでいる。

 顔を擦りつけてくるエルを撫でながら、アルマは言った。

「今日はここらで休もう」

 無数の亡魂が、城へと向かうのを感じていた。


──終

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